フェデラー 対 ジョコビッチ。 通算50度目の対戦を制するのは?「一方的な展開になる可能性も」レジェンドが語るフェデラー対ジョコビッチの展望|ニフティニュース

男子決勝はフェデラー対ジョコビッチ ウィンブルドン (写真=AP) :日本経済新聞

フェデラー 対 ジョコビッチ

7月14日 男子決勝は32歳のノバク・ジョコビッチ(セルビア)が、37歳のロジャー・フェデラー(スイス)を7-6 5 、1-6、7-6 4 、4-6、13-12 3 のフルセットで破り2年連続5度目の優勝を果たした。 5時間に及ぶ凄い決勝戦だった。 ファイナル・セットは12-12となり、タイブレークに突入。 昨年まではウィンブルドンのファイナル・セットはロング、永遠に勝負が決まるまで続いたのだが、今年から12-12になるとタイブレークで勝負をつけることとなった。 そのタイブレークをジョコビッチが7-3で制し優勝した。 「最もエキサイティングな決勝がプレーできた。 歴史に残る偉大なプレーヤーと素晴らしい戦いができたことを誇りに思う。 お互い勝つチャンスはあったが、勝敗はどちらかが敗者にもならなければならない。 ロジャー(・フェデラー)が他の人たちに、年をとっても頑張れることを見せたいと話していたが、私もその一人、まだまだ頑張っていきたい」。 ビヨン・ボルグと同じウィンブルドンでの5回目の優勝と並び、 「4、5歳のころから、(ボルグのように)ウィンブルドンでトロフィーを掲げることを夢見ていた」。 この勝利でジョコビッチはグランドスラム大会通算16度目の優勝を記録した。 フェデラーが4ゲーム分も多くポイントは取っていた 5時間、正確には4時間57分の死闘。 その戦いのトータルポイントを比べるとジョコビッチは204、フェデラーは218。 なんとフェデラーが14ポイントも多くとっている。 4ゲーム分も多くとっていた。 攻撃的な良いテニスでフェデラーがゲームを支配していたが、勝敗はジョコビッチのものだった。 悔しかっただろうが、フェデラーの表彰式でのふるまいは王者の気品があった(表彰式YouTube) フェデラー8-7、 40-15とマッチポイントがあった! ファイナル・セット7-7、ジョコビッチのサーブで30-0からフェデラーは5ポイント連取、最後はフェデラーはランニングクロスパスを決めて8-7とリードする。 フェデラーのサービング・フォ・ザ・チャンピオンシップ、 15-15からサービス・エースを連発、40-15とチャンピオンシップ・ポイントを握ったのだが。 フェデラー対ナダル フェデラー対ナダル 準決勝では宿命のライバル対決となり、芝の王者フェデラーが7-6 3 、1-6、6-3、6-4で制した。

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ウィンブルドン2019男子シングルス決勝、フェデラー対ジョコビッチ現地観戦記

フェデラー 対 ジョコビッチ

ロジャー・フェデラー(2018年) 基本情報 国籍 出身地 生年月日 1981-08-08 (38歳) 身長 185cm 体重 85kg 利き手 右 バックハンド 片手打ち ツアー経歴 デビュー年 1998年 ツアー通算 111勝 シングルス 103勝 ダブルス 8勝 生涯獲得賞金 129,946,683 アメリカ合衆国ドル 4大大会最高成績・シングルス 優勝(2004・06・07・10・17・18) 優勝(2009) 優勝(2003-07・09・12・17) 優勝(2004-08) 優勝回数 20(豪6・仏1・英8・米5) 4大大会最高成績・ダブルス 3回戦(2003) 1回戦(2000) ベスト8(2000) 3回戦(2002) 国別対抗戦最高成績 優勝(2014) 優勝(2001・18・19) キャリア自己最高ランキング シングルス 1位(2004年2月2日) ダブルス 24位(2003年6月9日) 獲得メダル 金 男子ダブルス 銀 男子シングルス 2020年6月10日現在 ロジャー・フェデラー(Roger Federer ドイツ語発音: 、 - )は、・出身の選手。 身長185cm、体重85kg。 右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。 芝コートでは無類の強さを誇り、ツアー通算歴代最多111勝。 20勝。 1世紀を超えるテニス史で築かれた数々の記録を塗り替えてきたことから、史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声も高い。 スイス代表としても功績を残しており、2001年・2018年・2019年で優勝、2008年金メダル、2012年ロンドン五輪・男子シングルス銀メダル、2014年優勝に貢献した。 テニス界において絶大なる人気を誇り、スポーツ界全体でも名実共に最高クラスの評価を受けている。 にて テニスを嗜む両親の影響から3歳のときに初めてラケットを握った。 週末になると父の勤める会社のテニスコートに連れてもらい家族で遊んだという。 本格的にテニスに取り組む様になったのは8歳の時。 母が彼を地元のテニスクラブに入会させてからだった。 15歳になるとスイスの18歳以下のジュニアチャンピオンになり、これを機にジュニア選手として本格的に世界を転戦。 同年5月にイタリアのジュニア大会で優勝し、初めて国外のタイトルを手にした。 16歳で迎えた1998年はジュニア・サーキットを席巻。 全米オープン・ジュニア準優勝をはじめ、オーストラリア・ジュニア・ヴィクトリア選手権、フィレンツェ国際ジュニア、マイアミ・オレンジボウルで優勝。 ・ジュニアに至ってはシングルスとダブルスで優勝し、ジュニア世界ランキングも1位に上り詰めた。 また、の2大会に招待枠で出場。 ツアーデビュー戦となったはルーカス・アーノルド・キブロンに 4-6, 4-6で敗れたものの、フランスのツールーズではギヨーム・ラウーを6-2, 6-2で下してツアー初勝利を飾り、次戦のリチャード・フロンバーグも下して準々決勝進出を果たした。 こうしてツアーでも手応えを得たフェデラーは、いよいよプロ選手として活動して行くこととなる。 キャリア初期 [ ] サーキットを卒業してプロとなった1999年は世界ランキング302位から出発。 とATPツアーを股にかけ、後者は主にを貰いながら転戦した。 チャレンジャーは優勝1回、ツアーは準々決勝進出が2回、、、の出場も果たした。 また、当時のトップ選手であるやから金星を挙げた。 9月に世界ランキング100位の壁を破り、64位でシーズンを終え、13勝17敗を記録した。 2000年2月、に出場。 ATPツアーで初めて決勝に進み、同胞に6-2, 3-6, 6-7 5 で敗れた。 3月、2回戦で敗れてからは、5月末までに5大会連続初戦負けを喫するなど伸び悩み、大舞台で華々しい活躍を魅せる同世代のやらの影に埋もれていった。 この頃のフェデラーは、センス溢れるプレーを魅せる一方で、熱くなり過ぎて自滅するなど、感情の制御に課題があった。 しかし、銅メダル決定戦でに敗れた頃から急成長が始まる。 10月はで準優勝。 11月にランキングを24位まで上げ、36勝30敗、準優勝2回でシーズンを終えた。 2001年1月、でスイスの優勝に貢献。 2月のロッテルダムは準優勝。 続くでは準決勝でを下し、勢いそのままに念願のATPツアー・シングルス・タイトルを手にした。 更に全仏オープンで準々決勝に勝ち進み、活躍に弾みをつけた。 そして6月、の4回戦に勝ち進み、優勝候補のと初対戦となった。 当時のサンプラスはテニス界で一時代を築いており、特に同選手権ではからに掛けて7度も制覇するなど絶対的な強さを誇っていた。 サンプラス優位と予想される中、試合は序盤から拮抗した打ち合いが続いた。 互いに2セットずつ奪い合って迎えた最終セット第9ゲーム、フェデラーがサービスゲームでミスを誘われブレークピンチを招いてしまう。 いつものフェデラーなら感情的になって自滅する展開だったが、気持ちを切り替えてサンプラスに食らい付き、2度のデュースを凌いでサービスキープに成功。 課題だった感情の制御を克服しつつある事を示した。 そして第12ゲーム、今度はフェデラーがサンプラスのミスを誘ってブレークチャンスを掴み、最後はフォアハンドのリターンエースで決着をつけ、3時間41分に渡る7-6 7 , 5-7, 6-4, 6-7 2 , 7-5 の番狂わせを演じ切った。 この一戦は大きな注目を集め、一躍フェデラーを時の人とし、サンプラス時代の終焉を予感させる出来事となった。 この後、フェデラーは戦で力尽き、準々決勝でウィンブルドンを去る事となる。 この年はでも準優勝し、ランキングを12位まで上げ、準優勝2回、優勝1回、49勝21敗でシーズンを終えた。 2002年、グランドスラムは不本意な結果に終わるもで躍進をみせ、ではを下して準優勝。 ではを下して自身初のビッグ・タイトルを獲得。 他のカテゴリーでは、とで優勝。 5月には世界ランキング10位の壁を破った。 11月、ランキング上位8名のみ参戦できるへ出場を果たし準決勝に進出。 この年はランキングを6位まで上げ、優勝3回、準優勝2回、58勝22敗でシーズンを終えた。 2003年 グランドスラム初優勝 [ ] 2003年、2月から6月に掛けて6大会で決勝進出、うち4大会で優勝するなど好調な前半戦を過ごした。 この勢いでウィンブルドンへ乗り込むと、準決勝で優勝候補のを、決勝ではをストレートで下し、念願のグランドスラム優勝をスイス人男子として初めて成し遂げた。 更にマスターズ・カップで、これまで全敗を喫していたをはじめ、この年のグランドスラム・チャンピオンを全て退けて栄冠を手にした。 自己最高の世界ランキング2位でシーズンを締めくくった。 2004年 テニス界を席巻 [ ] 2004年、これまで4回戦進出が最高だったで決勝に勝ち進むと、を破って優勝。 2月2日には遂に世界ランキング1位へ上り詰めた。 以降、マスターズ・シリーズでは、、で優勝。 グランドスラムではこそ3回戦でクレー巧者に敗れるも、でを、でを破って優勝。 1988年の以来16年ぶりとなるグランドスラム年間3冠を達成した。 この活躍から、の開会式での旗手を任された。 (2回戦でに6-4, 5-7, 5-7で敗れている。 ) シーズン終盤も勢いは止まらず、マスターズ・カップを無敗で連覇。 オープン化後唯一である、シーズンを通して対トップ10選手に負けなしと圧倒的な強さを見せつけた。 終わってみれば11大会優勝、74勝6敗 勝率92. 年間勝率の9割達成は1989年の以来15年ぶりの快挙となった。 2005年 ツアー支配 [ ] 2005年も好調を維持し、驚異的なペースで勝ち星を重ねた。 マスターズ・シリーズでは、、、で優勝。 マスターズ・シリーズの年間4冠は史上初の快挙だった。 グランドスラムはでマラト・サフィンに、でに、それぞれ準決勝で敗れるも、でを、でをそれぞれ決勝で破って連覇を果たす。 シーズン終盤は足首を傷めてしまい、マスターズ・カップの出場が危ぶまれたが、決勝まで勝ち上がり、1984年にが記録したシーズン最高勝率の更新に王手をかけた。 しかし、ラウンドロビン戦では攻略していたジュニア時代からのライバル、に7-6, 7-6, 2-6, 1-6, 6-7の逆転負けを喫し、大会連覇とともに記録更新を阻まれた。 この年は11大会で優勝。 81勝4敗、勝率95. 4敗の内訳は、同世代のサフィンやナルバンディアンの他、ナダルやといった10代の若手で、特にナダルとはその後も幾度となく火花を散らす事となる。 2006年 キャリアハイ [ ] 足首の怪我から明けた2006年、驚異的だった前年を上回るペースで勝ち星を重ねる。 マスターズ・シリーズでは、、、で優勝、、で準優勝。 グランドスラムでは、、で優勝。 は決勝でナダルに敗れ、を阻まれた。 10月はに出場。 決勝でを破り、初来日を優勝で飾っている。 更にマスターズ・カップでも優勝し、出場した17大会のうち16大会で決勝に進出。 12大会で優勝する異次元の活躍を魅せ、戦績は92勝5敗 勝率94. 敗戦の内訳はに4回、が1回と、共に新進気鋭の選手であり、これまでのライバル選手達には手がつけられなくなっていた。 2007年 ウィンブルドン5連覇、歴代最長連続世界ランキング1位 [ ] にて マスターズ・シリーズでは、インディアン・ウェルズの2回戦でに敗れ、ツアー連勝記録が41 歴代4位 で止められるも、とで優勝。 ハンブルグではナダルのクレー連勝記録を81で止め、シンシナティーではを破ってATPツアー・シングルス・タイトル獲得数が50に達した。 また、、、では準優勝している。 グランドスラムでは、を全試合ストレート勝ちで優勝。 グランドスラムでの達成はの以来27年ぶり史上4人目で、全豪オープンとしては1971年の以来の快挙であった。 は決勝でナダルに敗れ、年間グランドスラムを阻まれた。 は決勝でナダルとの接戦を制し、1980年の以来となる5連覇を達成。 も決勝で新鋭を破り、前人未到を更新する4連覇を果たした。 これにより、歴代最多となる10大会連続グランドスラム決勝進出を達成した。 マスターズカップはラウンドロビン戦こそに敗れるも、決勝でを破って優勝した。 この年は8大会で優勝し、戦績 68勝9敗 勝率88. 全仏オープン終了時にランキング争いでナダルに肉薄されるも、ウィンブルドン以降は盛り返し、8月27日に世界ランキング1位連続座位期間が「187週」に到達。 が持つ最長記録 186週 を塗り替え、12月には「200週」に到達した。 2008年 不調からの全米5連覇、オリンピック金メダル [ ] 北京五輪にて このシーズンは前年までの活躍に陰りが見えた。 マスターズシリーズは、とでナダルと対戦した準優勝が最高で、に至っては初戦でに破れるなど失速が目立った。 グランドスラムは準決勝でに敗れ、から続いていたグランドスラム連続決勝進出記録が「10大会」で途絶えた。 は決勝でに圧倒されて準優勝。 では決勝で再びと対戦。 以来の選手権6連覇(1881年~1886年にかけて達成)に挑むも、4-6, 4-6, 7-6, 7-6, 7-9の4時間48分に及ぶ死闘の末に偉業達成を阻まれた。 また、2003年から続いていた芝生コートにおける連勝も歴代最多「65連勝」で止まった。 不安視されたでは意地を見せ、準決勝でジョコビッチを下して全豪の雪辱を果たすと、決勝でを6-2, 7-5, 6-2で下し、対マリー戦の連敗を止めて大会 5連覇を達成した。 グランドスラムのシングルス2大会の5連覇達成は史上初の快挙であった。 また全米オープンの5連覇はオープン化以前まで遡り、全米選手権時代に達成されたウィリアム・レンショーの6連覇以来、実に84年ぶりの出来事であった。 で、フェデラーは2大会連続でスイス代表旗手を務めた。 オリンピック翌週の8月18日、世界ランキング1位の座をに明け渡し、連続座位記録は「237週」で止まった。 さらにジョコビッチの猛追を受け、シーズン終了時にはランキングポイントで10点差にまで詰め寄られ、ランキング2位の座さえ危ぶまれた。 マスターズ・カップではラウンド・ロビンにて1勝2敗で敗退。 同大会で初めて準決勝進出を逃した。 この年は、シングルで4大会優勝、66勝15敗 勝率81. 2009年 キャリアグランドスラム達成、4大大会最多優勝記録更新 [ ] にて では、決勝でに5-7, 6-3, 6-7, 6-3, 2-6で4時間19分に及ぶ激闘の末に敗れた。 その後のでは準決勝でに、では準決勝でに敗れた。 しかし続く欧州クレーコート・シーズンは、で、決勝でのクレーコート連勝数を33勝で止めて優勝。 続くでは、4回戦でを破ったを6-1, 7-6, 6-4で破り、悲願の全仏オープン初優勝を果たし、史上6人目となる を達成、併せてと並び歴代1位となる四大大会14度目の優勝を挙げた。 また同大会では、準々決勝でを下し、四大大会準決勝連続進出記録を20大会連続に伸ばし、準決勝でを下して、四大大会決勝進出回数での19大会目に並んだ。 では、準々決勝でを下し、四大大会連続準決勝進出記録を更新。 準決勝ではを下し、が持つ四大大会決勝進出数を更新する20回を達成。 決勝ではと対戦し、四大大会男子シングルス決勝史上最多ゲーム数を更新する77ゲームに及ぶ5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14の激闘の末に2年ぶり6度目の優勝を果たし、 四大大会優勝数歴代最多記録を樹立。 また、ウィンブルドン選手権7年連続決勝進出は現行のトーナメント方式になった1922年以降初であり、更に全仏とウィンブルドンの同一年度優勝は、前年のに続き、1968年の四大大会オープン化以降では史上4人目の快挙であった。 7月6日に発表された世界ランキングでは、約11ヶ月ぶりに1位に返り咲いた。 続く全米オープン前哨戦では、決勝でを下して優勝。 しかしながら、決勝でに6-3, 6-7, 6-4, 6-7, 2-6で惜敗し、大会6連覇は成らなかった。 その後の欧州インドア・シーズンは決勝でに敗れ、2009年度からロンドンに移転した年間最終戦も準決勝で敗退。 この年は4大会で優勝、61勝12敗 勝率83. 2010年 全豪オープン化後最多タイ4回目の優勝 [ ] にて では、決勝でを破り優勝。 これによって、自身の4大大会優勝最多記録を16に伸ばした。 また、2月22日発表の世界ランキングで1位通算在位記録での「270週」を抜き歴代2位となった。 しかし、では準々決勝でに6-3, 3-6, 5-7, 4-6で敗れ、連続準決勝以上進出記録が23大会で途切れ、世界ランキング1位通算在位記録も歴代1位のの「286週」にあと1週と迫りながらも、6月7日発表の世界ランキングで2位に転落。 続くでも準々決勝にて第12シードのに4-6, 6-3, 1-6, 4-6で敗退。 フェデラーが同大会で決勝進出を逃したのは実に8年ぶりであり、大会後、世界ランキングは3位に転落した。 その後は好調を取り戻し、の前哨戦となるで優勝を飾り全豪以来7ヶ月ぶりのタイトルを獲得する。 しかし、では準決勝でに マッチポイントを握るも、7-5, 1-6, 7-5, 2-6, 5-7で敗退、7年連続の同大会決勝進出を逃した。 地元の決勝ではを6-4, 3-6, 6-1で破りツアー65勝目を達成、の64勝を抜き歴代単独4位となった。 その後も決勝ではを6-3, 3-6, 6-1で破り3年ぶり5度目の優勝を果たした。 この年は、優勝5大会、65勝13敗 勝率83. 2011年 ツアーファイナル歴代単独最多6回目の優勝 [ ] にて 開幕戦では、決勝でをストレートで下し、ツアー67勝目を挙げた。 ディフェンディングチャンピオンとして挑んだでは準決勝でにストレートで敗退した。 フェデラーは続くの決勝との準決勝で、いずれもに敗退。 更に、では準決勝でに敗退した。 ハードコート・シーズンではいずれも準決勝進出以上と優れた成績で終えたものの、が出場した全大会で優勝したため、に抜かれ世界ランキングは3位に後退した。 クレーコート・シーズンにおいては、は準々決勝で第7シードのにストレートで敗退。 続くの初戦でに7-6, 6-7, 7-6の苦戦を強いられながらも勝利したが、準決勝でに敗退。 は、3回戦でに6-4, 6-7, 6-7で早いラウンドで敗退した。 では、と今季絶好調のの優勝争いが注目されたが、準決勝でを7-6 5 , 6-3, 3-6, 7-6 5 で退け決勝進出を果たした。 これによりの開幕戦からの連勝記録を41で止め、対戦の連敗も3で止めた。 しかし、決勝ではに5-7, 6-7 3 , 7-5, 1-6で敗退した。 続くでは、準々決勝で第12シードのに6-3, 7-6, 4-6, 4-6, 4-6と、自身初の4大大会における2セットアップからの逆転を喫した。 では準決勝でを相手に2セットアップでのマッチポイントを握りながらも敗退、自身2002年以来となる四大大会無冠に終わった。 その後の欧州インドア・シーズンは出場した、、と出場した全ての大会で優勝。 ツアー・ファイナルでは、同大会 歴代最多記録となる6度目の優勝を果たすとともに、決勝戦は自身100回目の決勝進出であり、かつ、70回目のタイトル獲得となった。 この年は4大会で優勝を挙げ、64勝12敗 勝率84. 2012年 ウィンブルドン史上最多タイ7回目の優勝、歴代最長世界ランキング1位 [ ] 優勝 年始に開催された準決勝は背中の不調を理由に試合を棄権。 続くは準決勝でにセットカウント1-3で敗退した。 その後、、、、と4大会で優勝した。 では、準決勝でにストレートで敗退。 しかしながら、1回戦の勝利で史上初となる全グランドスラム各大会50勝を達成。 続く2回戦で4大大会通算234勝目を挙げ、を抜く 歴代最多のマッチ勝利数を更新した。 では、3回戦でに苦戦するも2セットダウンから逆転で下し、準決勝で前年の覇者を破り、ウィンブルドン 史上最多タイとなる8回目の決勝進出。 決勝ではイギリス勢74年ぶりの決勝進出を果たしたを4-6, 7-5, 6-3, 6-4で破り、、に並ぶ史上最多タイとなる7度目の優勝を飾ると同時に、4大大会通算17勝目を挙げた(4大大会優勝は以来2年半ぶり)。 そして、この優勝により大会翌日更新の世界ランキングにて、約2年ぶりに世界ランキング1位に返り咲き、その翌週のランキングで1位在位期間が通算287週となり、サンプラスを抜いて男子 歴代単独1位在位記録となった。 8月にウィンブルドンを会場にして行われたでは、準決勝でとの激戦(3セットマッチ史上最長4時間26分)を制し初の決勝進出を果たし、史上3人目の生涯ゴールデンスラムの期待も高まったが、地元イギリスのにストレートで敗退し、銀メダルに終わった。 オリンピックシングルス部門では4度目の出場で初のメダル獲得であった。 その後のでは、決勝でをストレートで破り、シーズン6勝目を挙げた。 では準々決勝でに敗れ、同大会9年ぶりにベスト4進出を逃した。 10月のでは、準決勝でに敗退するも、大会後のランキングでは1位を守り、男子初の在位総週300週を超えた。 しかしながら、その後のでは決勝でに4-6, 7-6, 6-7の接戦で敗退し、その後、昨年優勝した大会の欠場によるポイント失効と併せて、11月5日のランキングでは、に世界ランキング1位の座を明け渡し、1位在位記録の更新は302週で止まった。 では、決勝でに敗れ3連覇を阻まれた。 この年は6大会で優勝、71勝12敗 勝率85. 2013年 怪我と不調との闘い [ ] にて では準決勝でにフルセットの末敗退。 その後もは準々決勝で、では準決勝で敗退。 続くでも準々決勝でに敗れた。 クレーコートシーズンでは、3回戦で第14シードのに敗退。 では、半年ぶりにツアー大会の決勝に進出するもに敗退した。 では、4回戦でオープン化後史上4人目となるマッチ通算900勝を達成。 しかし、続く準々決勝でにストレートで敗退した。 芝前哨戦では、決勝でを下し、6月にして、ようやくシーズン初タイトルを獲得。 しかし、では、2回戦で世界ランク116位のに7-6, 6-7, 5-7, 6-7で敗れ、4大大会では以来の早期敗退を喫した。 この敗戦により、から続いていた4大大会連続ベスト8進出記録(歴代最長:36大会連続)が途絶え、大会後のランキングでも10年ぶりに世界ランキングトップ4から陥落した。 その後急遽出場したクレーコート2大会でも、背中の怪我の影響もありランキング50位以下の相手に連敗を喫した。 ランキング7位で迎えたにおいても、4回戦で過去全勝だったに敗退。 2002年来、4大大会の決勝進出がならない年となった。 欧州インドア・シーズンに入り、で準優勝。 続くでベスト4とし、一時は出場も危ぶまれたに出場、ラウンドロビンで2勝を挙げベスト4へ進出するなど、復調の兆しを見せた。 2013年はツアー大会優勝が1大会のみで、以上の大会でタイトルが1つも取れなかったのは2001年以来、戦績も45勝17敗 勝率72. 2014年 ウィンブルドン準優勝、デビスカップ初優勝 [ ] にて 2014年から元世界ランク1位でサーブ&ボレーの名手であったをコーチとして迎え入れた。 年初ので準優勝。 続くでは、準決勝で第1シードのに敗退したものの、4大大会では4大会ぶりにベスト4まで勝ち上がった。 2月のでは、準決勝でに、決勝でに勝利しシーズン初優勝を飾った。 また、この優勝でが78となり、を抜いて歴代単独3位となった。 でも決勝に進出するが、に6-3, 3-6, 6-7の惜敗。 続くでは、準々決勝でに敗退したものの、大会後のランキングでは約9ヶ月ぶりにトップ4に復帰した。 クレーコートシーズンでは、では6年ぶりに決勝進出を果たすが、に敗れ準優勝。 では初戦で敗退し、では、4回戦で第18シードのにフルセットの末敗退し、同大会10年ぶりにベスト8進出を逃した。 ウィンブルドン前哨戦で優勝し、迎えたでは、年初から取り組んでいたネットプレーを増やす戦術が奏功し、2年ぶりに決勝進出を果たした。 決勝では歴代単独最多8回目の優勝を目指し第1シードのと対戦したが、7-6, 4-6, 6-7, 7-5, 4-6のフルセットの末に敗れ、準優勝に終わった。 全米オープン前哨戦でも好調を維持し、・2大会連続で決勝進出。 ではに敗れ準優勝となるも、では、を下して2年ぶりの優勝・シングルス80勝目を飾った。 では、3年ぶりに準決勝へ進出するが、第14シードで大会優勝者のにストレートで敗退した。 10月のでは、準決勝で第1シードのに、決勝ではに勝利し大会初優勝を飾った。 地元開催では同一大会で最多となる11回目の決勝に進出し、決勝では若手のを下してシーズン5勝目を挙げた。 続くでは、準々決勝でに敗退した。 ではラウンドロビンを全勝で1位通過し、準決勝では同胞のとの激戦を制して決勝進出を果たすが、腰の怪我により決勝戦を棄権し準優勝となった。 フェデラーの棄権は2012年1月の以来、プロ生活3度目のことであった。 また、ツアー・ファイナルにおける決勝戦の棄権は大会45年の歴史の中で初の出来事であった。 その後フランス・で行われたテニスの国別対抗戦・決勝では、シングルス・ダブルスそれぞれ1勝を挙げ、3対1でを下しの初優勝に貢献した。 2014年は5大会で優勝、73勝12敗 勝率85. 9% 、年間最終ランキングを2位で終え、前年の不調から一転、好調な一年であった。 また、決勝進出11大会・マッチ勝利73勝はいずれも2014年のツアー最多記録であった。 2015年 マッチ通算1000勝達成、ウィンブルドン・全米準優勝 [ ] 年初に行われたでは、決勝でに勝利し大会初優勝を飾ると同時に、1253勝の、1017勝のに次いでオープン化後史上3人目となるマッチ通算1000勝の偉業を達成した。 また15年連続でATPタイトル獲得は歴代1位記録となる。 では、3回戦でに11度目の対戦にして初黒星を喫し、同大会14年ぶりの早期敗退となった。 また、2004年から続いていた連続ベスト4進出記録も11年で途切れた。 2月のでは、決勝でを破り、大会連覇・7度目の優勝を飾った。 また、この大会で、、に次いで史上4人目のキャリアサービスエース数9000本を突破した。 では、決勝でに3-6, 7-6, 2-6で敗れ2年連続準優勝となった。 4月、昨年準優勝だったでは第2シードで出場するも3回戦でに敗れた。 4月29日イスタンブール・オープン2回戦にて通算クレーコート勝利数200勝達成。 決勝ではを破り以来となるレッドクレー大会での優勝を果たした。 では初戦でに7-6, 6-7, 6-7の接戦で敗れた。 では2年ぶりに決勝に進出するもに敗れ4度目の準優勝となった。 では準々決勝でに敗れたものの、からの4大大会連続出場が62大会に達し、の持つ最多連続出場記録に並んだ。 2015年 芝前哨戦では、決勝でを下し大会3連覇・8度目の優勝を果たした。 同一大会で8回以上の優勝は(8回)、(9回、・8回)に次いでオープン化以降3人目。 では、準決勝でを破り2年連続10回目の決勝進出を果たす。 2年連続同一カードとなったとの決勝では6-7, 7-6, 4-6, 3-6で敗れ2年連続準優勝、またもウィンブルドン単独最多優勝達成を阻まれる形となった。 全米オープン前哨戦のでは、、、、準決勝で、決勝でにストレート勝ちし大会連覇と同時に7度目の優勝を飾った。 では、失セット0・失ゲーム43と圧倒した勝ち上がりで2009年以来6年ぶりの決勝進出を果たす(4大大会で2大会連続決勝進出も2010年全豪以来)。 しかし決勝では、先のウィンブルドンに続きまたもに4-6, 7-5, 4-6, 4-6で敗れ準優勝に終わった。 では初戦でに6-7 4 , 6-2, 3-6で敗れた。 地元開催では、大会12度目の決勝でを6-3, 5-7, 6-3で下し7度目の優勝、シーズン6勝目を飾った。 との対戦は2014年全豪以来約2年ぶり、決勝では2013年5月から約2年半ぶり、勝利したのは2012年以来のこととなった。 では3回戦でに6-7 3 , 6-3, 6-7 5 で敗れた。 では第2戦で7-5, 6-2で勝利するなど決勝に進出するも、に3-6, 4-6で敗れた。 2015年は6大会で優勝、63勝11敗(勝率85. 1%)、年間最終ランキング3位と引き続き好調だった。 2016年 史上初グランドスラム300勝、半月板損傷によるツアー離脱とトップ10落ち [ ] では3回戦ではに勝利し、史上初のグランドスラム通算300勝を達成した。 この大会は準決勝でに1-6, 2-6, 6-3, 3-6で敗れた。 全豪後に受けた左膝の内視鏡手術のため、出場予定だったと、さらにの欠場を発表した。 には第3シードでエントリーするも、胃のウイルス性疾患により初戦直前に棄権。 全豪から2ヶ月以上もの期間、ツアーを離れる形になった。 その後、4月ので復帰。 準々決勝でに敗れた。 しかしへの準備として、当初は出場予定ではなかったにエントリーするも、背部の怪我のために再び初戦前に棄権。 「タフなシーズンになっている」と話す。 では3回戦で22歳のに6-7 2 , 4-6で敗れた。 は怪我が回復しなかったため、欠場を表明。 以来のグランドスラム欠場となり、グランドスラム連続出場記録も65でとまった。 6月の芝の大会ので復帰するも復帰初戦の準決勝でに6-3, 6-7 7 , 4-6で敗れた。 では準決勝で19歳の若手のに敗れた。 フェデラーがまで優勝がないのは2001年以来。 では準々決勝でに2セット先取され、第4セットでマッチポイントを3度まで追い込まれるも、6-7 4 , 4-6, 6-3, 7-6 9 , 6-3で勝利。 これでウィンブルドン男子シングルス通算84勝となり、と並んで歴代1位タイとなった。 また4大大会通算307勝目でもあり、を抜いて男女併せて歴代1位となった。 準決勝でに3-6, 7-6 3 , 6-4, 5-7, 3-6で敗れた。 試合中の転倒により再び左膝を負傷。 リオ五輪の出場断念とシーズンの残り全試合を欠場することを発表した。 これにより11月に2002年10月以来14年ぶりにトップ10落ちとなった。 2016年はこのように怪我の影響で16年ぶりに優勝なし、21勝7敗(勝率75%)、年間最終ランキング16位と低迷した。 2017年 全豪5回目の優勝、ウィンブルドン歴代単独最多8回目の優勝 [ ] 15年ぶりの出場となるで復帰を果たす。 とスイス代表として出場し、2勝1敗でラウンドロビン敗退に終わる。 公式戦にはから復帰。 怪我でランキングを落としていたため第17シードとして出場。 その初戦ではベテランで同年代のに7-5, 3-6, 6-2, 6-2で勝利、3回戦で第10シードのに6-2, 6-4, 6-4のストレート勝ち。 4回戦で第5シードのと初めてグランドスラムで対戦、6-7 4 , 6-4, 6-1, 4-6, 6-3で破り、準々決勝でに6-1, 7-5, 6-2で破り、準決勝で第4シードのを7-5, 6-3, 1-6, 4-6, 6-3で破り、7年ぶりに決勝進出。 自身全豪オープンで100試合目となった決勝では第9シードのとグランドスラムでは以来、グランドスラム決勝では以来の対戦となり、6-4, 3-6, 6-1, 3-6, 6-3で破って、全豪では2010年以来5回目、グランドスラムでは以来となる優勝を収め、完全復活を印象付ける大会となった。 なお、全豪のオープン化後初となる世界ランキングトップ10の4人を倒しての優勝でもあった(グランドスラムでは1982年全仏以来)。 2月のでは2回戦で相手に3回のマッチポイントを迎えるも、6-3, 6-7 7 , 6-7 5 で敗れた。 3月のでは4回戦でに6-2, 6-3で勝利。 決勝に駒を進め、を6-4, 7-5で破り、に並ぶ大会最多5回目の優勝を果たした。 続くでは、に7-6 2 , 6-3、に6-3,6-4、7-6 5 , 7-6 4 にいずれもストレート勝ち、準々決勝でにマッチポイントを2つ握られるも6-2, 3-6, 7-6 8 で勝利、準決勝でに7-6 9 , 6-7 9 , 7-6 5 と3時間10分の死闘を制した。 決勝でを6-3, 6-4で破り、マスターズ2大会連続大会3度目の優勝を果たした。 その後、全仏オープンを含む、2017年の全てのクレーコートシーズンの大会の欠場を公式サイトで発表した。 6月の芝の大会の初戦の初戦でに6-2, 6-7 8 , 4-6で敗戦を喫する。 では決勝でを6-1, 6-3で破って歴代最多となる9度目の優勝を果たした。 また、この大会初戦でに勝利し、史上2人目となるツアー通算1100勝目を達成した。 では、、、、、そしてにいずれもストレート勝ちと安定した勝ち上がりで2年ぶりに決勝へ進出。 決勝でを6-3, 6-1, 6-4で破り、5年ぶり 歴代最多となる8勝目を挙げた。 また、ウインブルドンでの全試合ストレート勝ちでの優勝は1976年の以来の快挙となり、35歳でのウィンブルドン制覇はオープン化以降では1975年のの32歳を大きく更新する最年長優勝となった。 全米オープンの前哨戦として、3年ぶりにに出場。 大会中に背中を痛め、決勝に進むもにストレートで敗れ、準優勝。 直後のを欠場し、迎えたでは、準々決勝でに5-7, 6-3, 6-7 8 , 4-6で敗退した。 では準決勝でを3-6, 6-3, 6-3で破り、決勝ではランキング1位となっているを6-4, 6-3で下し優勝。 地元では、準決勝でを6-1, 6-2で破り13度目の決勝進出を果たすと、過去に決勝で2度敗れているを6-7 5 , 6-4, 6-3で下し、2年ぶり通算8回目の優勝を達成した。 これによって、自身のツアー勝利数が通算95勝となり、コナーズに次ぐ単独2位となった。 また、生涯賞金額がを上回り、1位となった。 は背中の怪我のため欠場した。 では、ラウンドロビンで全勝したものの、準決勝でに6-2, 3-6, 4-6で初めて敗れ、シーズンを終了した。 2017年は怪我からの完全復活を印象付け、グランドスラムも2勝するなど、とても充実した年になった。 52勝5敗 勝率91. 2018年 全豪歴代最多タイ6回目、グランドスラム20回目の優勝 世界1位最年長記録 [ ] 年初のでは決勝でを破り優勝。 第2シードで臨んだでは、準決勝までの全試合をストレート勝ちで決勝戦に進出。 決勝では第6シードのと対戦。 6-2, 6-7, 6-3, 3-6, 6-1のフルセットの末に勝利し、全豪オープン2連覇かつ、史上最多タイ6度目の優勝、同時にグランドスラム20勝目を達成した。 1位との差を155ポイントまで詰めた状態で、2月のに出場。 準々決勝でに勝利し、2月19日付で5年3ヶ月ぶり、歴代最年長36歳6ヶ月での世界ランキング 1位復帰を果たした。 では第23シードなどを下し決勝に進出したが、にフルセットで敗退し連覇はならなかった。 では第1シードとして出場したが初戦敗退に終わり、ナダルに奪還される形で世界ランキング1位から陥落した。 その後クレーコートシーズンを欠場、ナダルの成績により世界ランキング1位と2位を数回行き来する状態となった。 6月にとの約20年の契約を終えて、と10年3億ドルの契約を締結した。 世界ランキング2位でを迎えることとなった。 第1シードで迎えたウィンブルドンでは4回戦までストレートで勝ち進めたが、準々決勝で第8シードのに6-2, 7-6 5 , 5-7, 4-6, 11-13と逆転負けを喫し、2連覇とはならなかった。 では第2シードとして出場し、決勝へ進出したが、に4-6, 4-6のストレートで敗れた。 は4回戦でに6-3, 5-7, 6-7 7 , 6-7 3 で敗れた。 フェデラーが出場したグランドスラムでベスト8に到達できなかったのはの3回戦でアンドレアス・セッピに敗北して以来。 では決勝でを7-6, 6-4 5 で下し、大会9度目の優勝を飾った。 ではラウンドロビンは突破したものの、準決勝でアレクサンダー・ズベレフに5-7, 6-7 5 で敗れた。 3位でシーズンを終えた。 2019年 ATPツアー優勝100回、ウィンブルドンシングルス史上初の通算100勝 [ ] 年初のでは昨年に続き決勝でを破り優勝、史上最多3回目の大会制覇を達成した。 では4回戦で若手のに7-6, 6-7, 5-7, 6-7で敗れ、3連覇を逃した。 全豪では4年ぶりの早期敗退となった。 2月のでは決勝でシチパスに6-4, 6-4で雪辱を果たし、同大会最多となる8度目の優勝を飾るとともに、ツアー大会でに次ぐ史上2人目のシングルス通算100勝を達成した。 BNPパリバ・オープンは決勝に進出したものの、決勝ではに敗れた。 マイアミ・オープンでは準決勝でを破り決勝に進出すると、決勝では前回覇者のに6-1, 6-4で勝利して優勝した。 クレーコートシーズンに3年ぶりに参戦することを発表。 復帰戦は4年ぶりの出場となるで、ベスト8まで残ったが、準々決勝でティームに逆転負けを喫した。 続くでもベスト8入りしたが、準々決勝は右足の負傷のため棄権した。 4年ぶりの出場となったは、大会前に自身の優勝は「疑問」としながらも 、準々決勝でを破りベスト4入り。 準決勝では、全仏オープンでは8年ぶりにナダルと対戦し、3-6, 4-6, 2-6で敗れた。 は決勝でを下し、ナダルに次いで史上2人目となる同一大会10度目の優勝を成し遂げた。 では、準々決勝でを4-6, 6-1, 6-4, 6-4で破った一戦が、ウィンブルドンマッチでの100勝目となった。 同一グランドスラム100勝は史上初の快挙。 準決勝ではグランドスラム2大会連続で、そしてウィンブルドンでは11年ぶりにナダルと対戦し、7-6 3 , 1-6, 6-3, 6-4で全仏の借りを返した。 決勝ではジョコビッチと対戦し、6-7 5 , 6-1, 6-7 4 , 6-4、そしてファイナルセットは12-12まで決着がつかず、本大会の男子シングルスで初めて最終セットタイブレークにまでもつれた末3-7で力尽き、去年に続いて長期戦の末に涙をのんだ。 は、準々決勝でに6-3, 4-6, 6-3, 4-6, 2-6のフルセットの末に敗退。 グランドスラムでは3年ぶりに無冠に終わった。 10月14日にで開催されたチャリティマッチ「 LifeWear Day Tokyo」に参加し、非公式試合ではあるが13年ぶりに日本でプレーを披露した。 では準決勝でシチパスを下し、決勝でを6-2, 6-2で破り同大会10勝目を挙げた。 は初戦でティームに敗れるも、第2戦でを下し、第3戦ではジョコビッチから4年ぶりの勝利を挙げてラウンドロビンを突破。 準決勝でシチパスに敗れ、この年も3位で終えた。 2020年 右膝の手術による離脱 [ ] は準々決勝でから7本のマッチポイントをしのぎ、ベスト4入り。 準決勝でジョコビッチにストレートで敗れた。 2月20日に右膝の手術を受けたことを発表した。 の影響でシーズンが中断となる中、6月に右膝の再手術を受けたことを発表し、復帰は翌年になるとした。 プレースタイル [ ] すべてのプレイにおいて高いレベルを誇るオールラウンドプレイヤー。 グランドストロークが基本だが、サーブ、ボレーも上手い。 特にサーブは高速ではないが非常に読みにくく、エースを連発する等強力な武器である。 ラケットの支えをしっかりさせるリストの強さと、繊細なタッチによる絶妙なコントロールを両立させており、また顔の位置がブレず同じ姿勢のまま動ける下半身の柔軟性があるため、目線の上下動が非常に少なくミスヒットが少ない。 また、強力かつ正確なスマッシュを持ちバックハンドスマッシュ、スカイフック、ハーフボレー、ジャンプスマッシュなども効果的に使用する。 ドロップショットも武器にしておりフェイントを掛けて相手の反対側に落とすのを得意とする。 ショットの中でも特にフォアハンドは歴代最高と言われる。 深さと角度を自在にできるため、浅いアングルでもフルスイングし、高く弾むショットを深くへ打ち込むことも可能。 さらに伸びがあるため相手は予測が付きにくく対処も難しい。 フットワークの良さで効率的にコートを駆けまわりバックハンドに打たれたボールを回り込みフォアハンドで攻める。 片手バックハンドからは多様な打球を打ち出すことでき攻守のバランスに優れている。 同じスライスでもわざとサイドスピンを与えたり、深く滑らせたり、浅く落としたりと様々な変化をつけられ、またトップスピンも自由に回転量を変えられる。 さらにテイクバックが十分にとれないときでも相手の力を利用するのがうまく、逆に大きく引いて自分からハードヒットすることもできる。 サーブは、様々な球種を同じモーションで打たれるため、相手にとって非常に読みにくい。 無駄のない効率的で安定感のあるサーブのため調子の波が少ない。 またファーストサーブとセカンドサーブの差が少ないのも特徴。 ボールタッチが非常に良いため両サイドに自在にコントロールできる。 2014年シーズンからをコーチ陣に迎え、ボレー技術の向上を図りネットプレーを増やすことによって、より攻撃的なゲームを展開するようになった。 2015年シーズン後半から相手のセカンドサービスでサービスラインまでダッシュし、ハーフボレー気味にリターン。 次のネットプレーで確実に決める奇襲戦術を展開するようになる。 この技はSABR セイバー、Sneak Attack By Rogerの略称 と呼ばれている [ ]。 2016年からをコーチ陣に迎え、片手バックハンドの高い打点からでの攻撃力向上、更にはバウンドした直後に打つライジング技術を磨き、更に攻撃的なゲームを展開するようになる。 息子には、片手バックハンドではなく、より簡単なダブルバックハンドを教えたいと、2018年全豪オープンで語っている [ ]。 ライバル [ ] 同世代(ニューボールズ) [ ] レイトン・ヒューイット [ ] とは27回対戦した。 初対戦から9戦は2勝7敗でヒューイットが先行していたが、2004年以降16勝2敗となり計18勝9敗とフェデラーが勝ち越している。 ジュニアの頃から対戦している2人はグランドスラム決勝でも1度対戦しており、これがフェデラーの全米オープン初タイトルとなった。 他にグランドスラムでは6度対戦している。 アンディ・ロディック [ ] はフェデラーの長年のライバルであった。 2004年にフェデラーが初めて世界ランキング1位につく前の1位がロディックである。 2人は24回対戦しており内4回がグランドスラム決勝。 戦績はフェデラーの21勝3敗で、グランドスラムでは8戦全勝、ロディックからするとツアーで最もフェデラーに負けた回数の多い選手でもある。 それゆえロディック自身は「一方的でライバルというにはふさわしくない」とも語っている。 決勝では5セットで勝利した。 この決勝は最終セット16-14で計77ゲーム、4時間以上の激戦となった(4大大会決勝戦最多ゲーム数記録)。 この勝利でフェデラーはの4大大会最多優勝記録を更新する15度目の優勝を果たした。 BIG4 [ ] フェデラー 右 ジョコビッチ 左 2015年シンシナティ・マスターズ決勝 との対戦は23勝27敗である(2020年1月30日時点)。 ジョコビッチはフェデラーが生涯最も対戦したライバルで、2人はグランドスラムで史上最多となる16回の対戦があり、結果は6勝10敗である。 ジョコビッチは、BIG4と呼ばれるフェデラー、ナダル、マリー全選手に唯一勝ち越している選手である。 準決勝ではセットカウント3-1でフェデラーが勝利した。 シーズン開幕から41連勝と破竹の勢いだったジョコビッチをフェデラーが止め記録更新を阻んだ一戦だった。 ジョコビッチは4大大会3冠を達成した年であり、この試合に勝てていれば年間グランドスラムも夢ではなく、ビッグチャンスを逃した一戦である。 その後の準決勝ではジョコビッチが3-2フルセットで激戦を制した。 この後決勝でナダルに快勝し、ジョコビッチが4大大会3冠を達成している。 この試合、最終セット、フェデラーのサーブでマッチポイントを迎える絶体絶命の状態で、ジョコビッチは強烈なリターンエースを決めて形勢逆転したシーンは歴史に残る名場面である。 準決勝はフェデラーが3-1で快勝した一戦。 1記録達成につなげることになった。 この試合1-1で迎えた第3セットが、お互いの技術、戦術を尽くした壮絶な勝負どころであり、「最強王者同士の歴史的戦い」ともいえる名場面である [ ]。 決勝はジョコビッチが3-2で接戦を制した一戦。 この試合、第4セットがフェデラーのスーパープレーにより奪取した名場面は、とても33歳のプレイヤーではなく、全盛期のフェデラーがわずかな時間復活した瞬間である [ ]。 決勝第2セットタイブレーク。 ジョコビッチが3-1で試合自体は快勝。 しかし、第2セットタイブレーク フェデラー12-10 は、一時的であるが、全盛期同士のフェデラーとジョコビッチの対決を感じさせた最高の名場面である [ ]。 決勝フェデラー対ナダルの第4セットタイブレーク(フェデラー10-8)と並ぶ歴史に残るタイブレークの1つである [ ]。 決勝最終セットは、12-12まで決着がつかず、同大会で初めて最終セットタイブレークが適用された試合となった。 結果はジョコビッチが7-3で勝利。 アンディ・マリー [ ] フェデラー 左 マリー 右 2010年ロジャースカップ決勝 との対戦は14勝11敗(2018年時点)。 グランドスラムでは6回対戦し5勝1敗。 6回の対戦の内3回は決勝での対戦であり3回ともフェデラーが勝利している(2008年全米、2010年全豪、 )。 では決勝で敗北し、フェデラーはキャリアゴールデンスラムを阻まれた。 マリーはフェデラーが10回以上負けている3人の内の1人である。 その他経歴 [ ] 慈善活動にも熱心に取り組んでおり、2003年にはロジャー・フェデラー基金を設立し、アフリカの子供たちの支援や、タイでおきた津波災害のときも自ら率先してチャリティイベントを企画して募金活動を行うなど、その活動は世界中から高く評価されている。 2006年4月には、にも任命され、とATPが結ぶグローバル・パートナーシップであるACE(Assisting Children Everywhere)という活動の中心人物として、世界中の子どもたちに健康と教育の機会を確保し、様々な困難から子どもたちを守るためのプログラムを推進している。 2005年~2008年の4年連続で「」の男子最優秀選手賞を受賞した。 2000年に創設されたこの世界的なスポーツ賞で、男子最優秀選手賞の4年連続受賞は歴代トップである。 2009年にはフェデラーの功績が讃えられ、が開催される(バーゼル)に『ロジャー・フェデラー・アリーナ』の名が与えられた。 ツアーの選手同士の中から選ばれる「」を2004年から2017年の間に13度も受賞しており 、試合中のやフェアプレイなども高く評価されている。 ATPが主催する「」の人気投票では、2003から2019年現在まで17年連続で1位を獲得している。 地元のスター選手と対戦する際にも、フェデラーには相手に負けないほどの声援がおくられる [ ]。 テニス男子4大大会通算20勝目の姿を刻印したスイス金貨2種類が、2020年に発行される。 1月にシルバーコイン20スイスフラン 銀貨の片面には、フェデラーが片手バックハンドでショットを放つ姿が刻まれたデザイン が9万5千枚の予約限定販売で来年1月に発送が始まる。 また5月には、50スイスフラン金貨 銀貨とは別のデザイン も発行される。 スイスでは硬貨に存命中の人物が描かれるのは初めて。 私生活 [ ] 2012年ロンドン五輪を観戦するフェデラー夫妻 2000年シドニー五輪がきっかけで、3歳年上のテニス選手と交際を始め、2009年4月11日に結婚している。 2009年7月に双子の娘が、2014年5月6日には双子の息子が誕生している。 サッカーの熱心なファンである。 出身地のクラブであるのファンであると公言している。 また、12歳までは実際にサッカーをプレーしており、テニスプレーヤーとしてのスケジュールが多忙を極めたため、サッカーを断念せざるを得なかったとも語っている。 サッカーのがスイスで開催された際には、()や(選手)、(F1チーム・オーナー)らとともに親善大使に選出された。 であるをサッカーの歴史の中で最高の選手と述べておりその凄さを「僕がメッシに関して多分最も好きなのは、彼がボールを持って体をゴールの方へ向けるとき、彼にはすべてのビジョンを持っていることだよ。 彼には常にパス、ドリブル、シュートという3つの選択肢がある。 それができる選手はそう多くないよ」と語っている。 2011年6月、米経済誌発表の「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」において、年収4,700万ドルで4位にランクインしている。 同誌の「」では毎年のように上位にランクインし、2020年には年収は1億630万ドルでテニス選手として初の1位になった。 さらに、「スポーツ4部門のブランド・ランキング」でも2016年に1位を獲得している。 2017年5月、はを発表し、フェデラーは、、リオネル・メッシに次ぐ4位にランクインした。 またエージェントであるteam8のゴドシックは、現在でもスポンサー契約を結びたがる企業が絶えず平均月2件は断っていると明かしている [ ]。 4大大会優勝 [ ]• :6勝(2004, 06-07, 10, 17-18年)〔準優勝1度:2009年〕 歴代2位タイ。 :1勝(2009年)〔準優勝4度:2006-08, 11年〕• :8勝(2003-07, 09, 12, 17年)〔準優勝4度:2008, 14-15, 19年〕 歴代1位。 :5勝(2004-08年)〔準優勝2度:2009, 15年〕 歴代4位タイ。 ITFワールドチャンピオン(2004-07, 2009)• ATP最優秀選手賞(2004-07, 2009)• ステファン・エドベリ スポーツマンシップ賞(2004-09, 2011-17)• アーサー・アッシュ ヒューマニタリアン賞(2006, 2013)• ATPTour. com Fans' Favourite(シングルス)(2003-19)• スイス・スポーツマン賞(2003-04, 2006-07, 2012, 2014, 2017)• BBC海外スポーツパーソナリティ賞(2004, 2006-07, 2017)• ゴールデンベーグル賞(2004, 2006-07)• ESPY最優秀選手賞(2005-10)• (2005-08, 2018)• チャンピオンオブ・チャンピオン賞(2005-07)• スポーツマン賞(2005-07)• オリンピックスイス代表旗手(2004, 2008) 脚注 [ ] []• ATP Tour. 2020年5月31日閲覧。 2009年7月6日閲覧。 2009年12月21日閲覧。 2012年12月2日閲覧。 Forbes JAPAN. 2016年10月26日閲覧。 2016年1月24日閲覧。 ロジャー・フェデラー公式サイト. 2016年2月4日閲覧。 tennis365. net. 2016年3月8日閲覧。 THE TENNIS DAILY. 2016年5月3日閲覧。 2016年5月20日閲覧。 tennis365. net. 2016年7月7日. 2016-07-29 at the. www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 TENNISDAILY. 2017年3月4日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 2018年1月27日. 2018年1月27日閲覧。 2018年1月27日. 2018年1月27日閲覧。 2018年2月17日. 2018年2月17日閲覧。 2018年2月16日. 2018年2月19日閲覧。 2018年7月3日. 2019年4月7日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年1月18日閲覧。 www. afpbb. com. 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"[Federer]... completed a record 302nd week at No. 1 before being usurped by Djokovic this week. 男子歴代最長記録。 2010年6月7日付のランキングで、当時ピート・サンプラスの持っていた男子歴代最長記録「286週」に残り1週と迫っていたが、2位に転落してしまう。 その後一時は4位までランキングを落としたが、2012年ウィンブルドン優勝により約2年ぶりにランキング1位に復帰した。 その翌日更新のランキングでサンプラスの記録に並び、翌週も1位を守りきって男子歴代単独1位の記録をつくった。 2012年10月15日付のランキングにて、男子では史上初の世界ランキング1位通算在位300週を達成(女子ではシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワが達成)した。 2012年11月5日付のランキングでジョコビッチに1位の座を明け渡した。 その後、2018年2月19日付のランキングでランキング1位に復帰した。 ATP World Tour. 2012年2月12日閲覧。 2004年2月2日~2008年8月18日までの、男女を通じた世界最長記録。 2007年2月26日にジミー・コナーズの男子歴代最長記録「160週」を抜き、同年8月27日にシュテフィ・グラフの女子歴代最長記録「186週」をも更新。 同年12月2日付で史上初の「200週」に到達。 2008年8月18日、ラファエル・ナダルが世界ランキング1位となり、記録は「237週」で止まった。 フェデラーは初めて世界ランキング1位の座についてから、約4年半もの間ランキング1位を守り続けた。 この快挙を称えて、スイスの郵政省は2007年4月1日にフェデラーを印刷した切手を発行。 これにより、フェデラーは存命のスイス人として初めて切手の印刷面を飾った人物となった。 なお、この記念切手にはウィンブルドンの優勝トロフィーを掲げたフェデラーの姿が印刷されており、2010年2月8日にオーストリアで新たに発行された記念切手には全仏オープンでプレーするフェデラーの姿が印刷されている。 歴代2位の年長記録はアンドレ・アガシの「33歳4ヶ月」である• Sports Illustrated. 2009年7月8日. 2012年6月12日閲覧。 また、2006から2007年にかけて歴代2位の36連勝も記録している。 ATP World Tour. 2012年2月11日閲覧。 ATP World Tour. 2012年2月11日閲覧。 ATP World Tour. 2012年8月31日閲覧。 BBC Sport 2015年1月11日. 2015年1月11日閲覧。 ATP World Tour. 2012年2月4日閲覧。 Davis Cup 2014年4月6日. 2014年7月4日閲覧。 外部リンク [ ]• - のプロフィール (英語)• - のプロフィール (英語)• - のプロフィール (英語)• rogerfederer -• rogerfederer -• ウィキメディア・コモンズには、 に関するカテゴリがあります。 タイトル 先代: ラファエル・ナダル ラファエル・ナダル ラファエル・ナダル 世界ランキング1位 2004年2月2日 — 2008年8月17日 2009年7月6日 — 2010年6月7日 2012年7月9日 — 2012年11月4日 2018年2月19日 — 2018年4月1日 2018年5月14日 — 2018年5月20日 2018年6月18日 — 2018年6月24日 次代: ラファエル・ナダル ラファエル・ナダル ノバク・ジョコビッチ ラファエル・ナダル ラファエル・ナダル ラファエル・ナダル 記録 先代: ATP生涯獲得賞金王 2007年 — 次代: - 先代: ピート・サンプラス グランドスラム最多タイトル獲得 2009年7月5日 — 次代: - 先代: ピート・サンプラス 世界ランキング1位最長記録 2012年7月16日 — 次代: -• 1973-1974 計40週• 1974 計8週• 1974-1983 計268週• 1977-1981 計109週• 1980-1985 計170週• 1983-1990 計270週• 1988-1989 計20週• 1990-1992 計72週• 1991 計12週• 1992-1993 計58週• 1993-2000 計286週• 1995-2003 計101週• 1996 計6週• 1998 計6週• 1999 計2週• 1999 計6週• 1999 計1週• 2000-2001 計9週• 2000-2001 計43週• 2001-2003 計80週• 2003 計8週• 2003-2004 計13週• 2004-2018 計310週• 2008-2020 計209週• 2011-2020 計282週• 2016-2017 計41週• 1973年8月23日のATPランキング導入以降の記録• 最初に在位した年-最後に在位した年 - 在位総週• 現在の1位は強調表示, 2020年3月16日付• (1969年)• (1970年)• (1971・72年)• (1973年)• (1974年)• (1975年)• (1976年)• (1977-1• (1977-12• (1978・79年)• (1980年)• (1981・82年)• (1983・84年)• (1985年)• (1986年)未開催• (1987年)• (1988年)• (1989・90年)• (1991年)• (1992・93年)• (1994年)• (1995年)• (1996年)• (1997年)• (1998年)• (1999年)• (2000・01年)• (2002年)• (2003年)• (2004年)• (2005年)• (2006・07年)• (2008年)• (2009年)• (2010年)• (2011-13年)• (2014年)• (2015・16年)• (2017・18年)• (2019年) ・ ・• (1968年・69年)• (1970年・71年)• (1972年)• (1973年)• (1974年)• (1975年)• (1976年-80年)• (1981年)• (1982年)• (1983年・84年)• (1985年・86年)• (1987年)• (1988年)• (1989年)• (1990年)• (1991年)• (1992年)• (1993年-95年• (1996年)• (1997年-2000年)• (2001年)• (2002年)• (2003年-07年)• (2008年)• (2009年)• (2010年)• (2011年)• (2012年)• (2013年)• (2014年・15年)• (2016年)• (2017年)• (2018年・19年)• (1968年)• (1969年)• (1970年)• (1971年)• (1972年)• (1973年)• (1974年)• (1975年)• (1976年)• (1977年)• (1978年)• (1979年-81年)• (1982年・83年)• (1984年)• (1985年-87年)• (1988年)• (1989年)• (1990年)• (1991年・92年)• (1993年)• (1994年)• (1995年・96年• (1997年・98年)• (1999年)• (2000年)• (2001年)• (2002年)• (2003年)• (2004年-08年)• (2009年)• (2010年)• (2011年)• (2012年)• (2013年)• (2014年)• (2015年)• (2016年)• (2017年)• (2018年)• (2019年)•

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フェデラー ハース ディミトロフ そしてジョコビッチ 4人の歌声に反響

フェデラー 対 ジョコビッチ

ジョコビッチは同大会、通算6回目の決勝進出。 この大会で優勝したことはない。 0 : 0• narrow-browser-and-phone• medium-browser-and-portrait-tablet• landscape-tablet• medium-wide-browser• wide-browser-and-larger• medium-browser-and-landscape-tablet• medium-wide-browser-and-larger• above-phone• portrait-tablet-and-above• above-portrait-tablet• landscape-tablet-and-above• landscape-tablet-and-medium-wide-browser• portrait-tablet-and-below• landscape-tablet-and-below.

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