野生 の 呼び声。 【みんなの口コミ】映画『野性の呼び声』の感想評価評判

映画『野性の呼び声』あらすじ・ネタバレ・内容。犬が野生に帰る時。ハリソン・フォードの眼差しは「動物愛護」賛成。ジャック・ロンドンの小説を映画化。

野生 の 呼び声

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野性の呼び声

野生 の 呼び声

「野生の呼び声」の原作あらすじ 原作となった小説「野生の呼び声」は、映画と同様1890年代に起こったカナダユーコン準州のクロンダイク・ゴールドラッシュ時代を舞台にしています。 主人公のバックはカリフォルニアでミラー判事の飼い犬として生活していました。 が、 4歳の時に庭師助手の手によって誘拐、売り飛ばされます。 その当時、北米の北部での犬ぞり用のそり犬の需要が高まっており、それに適した大型犬が高値で取引されていたからです。 バックは シアトルで二人のフランス系カナダ人に買われ、クロンダイク地方に連れていかれます。 そこでそり犬として働くようになるのですが、バックはほかの犬から群れの中で寒冷地での生き残り方を学び、新しい生活に適応していきます。 群れのリーダーである先導犬のスピッツは、新たに群れに加わったバックとの上下関係をはっきりさせるべく対立しますが、最終的にバックがスピッツに勝利します。 この敗北でスピッツは、群れから離れ、 先住民族の飼う犬の群れによって殺されてしまうのでした。 スピッツに勝利したことで、新しく群れのリーダーとなったバックは、先導犬としても優れた能力を発揮し始めます。 その後、 政府の命令でバックのそり犬たちは郵便業務に従事する別の男性に引き渡されます。 そこで郵便荷物専用の犬ぞりを引くことになるのですが、その荷物はいつも重量があり、満足に休ませてもらえないほど酷使されることになるのでした。 あまりの激務に衰弱していき、ついには仕事の役に立たないと判断され、売り払われることになります。 そしてこのそり犬チームを買い取ったのが、ハルとその姉のマーシディーズ、そして彼女の夫のチャールズの3人組でした。 3人は寒冷地の大自然の中での経験が乏しく、そりや犬についての知識も素人同然であったため、無謀な計画を立てては無茶な旅を続けていたのでした。 3人との旅の途中、アウトドアの経験豊富なジョン・ソーントンに出会います。 ジョンは3人が、春先に川に張った氷の上を通ろうとしているのを見て、氷が割れる可能性が高いことからやめるように警告します。 が、3人は耳を貸しません。 無理に進もうとしますが、バックも危険を感じており、また極度の疲労状態にあったこともあり、動けないふりをして進もうとしません。 ハルはバックに暴行を加え、その場に捨てていきます。 ソーントンがバックを保護して、連れて帰ろうとしたとき、川に張った氷が割れ、 3人は犬ぞりと一緒に川の中に消えていったのでした。 ソーントンの世話のおかげで元気を取り戻したバックはソーントンになついて献身的にふるまうようになります。 バックが回復した後、ソーントンは 仲間の二人とバックと一緒に他の犬たちもつれて金採掘の旅に出ることにします。 運よく金を見つけ出すことに成功した一行は、その地にとどまって金の採掘を続けますが、その間、バックは周囲の森を探索するようになり、そこに棲む狼たちと交流をし始めます。 野生への思いを強めるバックでしたが、キャンプ地に戻ってソーントンとのふれあいで得られる愛情もそう簡単に諦められるものではありませんでした。 が、ある日、バックが森から戻ると キャンプ地がインディアンの集団によって襲撃されている場面に出くわします。 犬やソーントンの仲間がすでに息絶えており、ソーントンの姿もどこにも見えませんでした。 バックは見つけられるだけの インディアンを殺し、復讐を果たします。 その後、バックは狼たちの群れに加わり、やがてその群れのリーダーになっていきます。 が、その後も人知れず、毎年夏になるとソーントンが死んだ谷に出向いて長い東保絵を挙げて去っていくようになるのでした。 そしてバックは、その地域に住むインディアンに幽霊犬というあだ名で恐れられる存在となったことを記して物語は終わります。 、 映画「野生の呼び声」との違いとその背景を考察 原作のあらすじを見ると映画で見られたエピソードがたくさん入っていることが分かります。 一つ一つ見ていくことにしましょう。 バックがさらわれてクロンダイクにたどり着くまでで内容が異なる点 まずはバックがカリフォルニアに住んでいた頃。 判事の飼い犬であった点は原作と同じです。 映画ではバックを売り払った男性がどのような人物であったのかは、詳しく描写されていません。 見る限り、 判事の家に住み込みで働いているような人物ではありませんでした。 最も原作も庭師助手という職業は明記されていますが、住み込みであったかどうか? 続いてはクロンダイクへの輸送のシーン。 映画では馬車に揺られ、その後鉄道で運ばれ、逃げ出そうとしたときは船の中、という描写でした。 原作ではいったんシアトルで売りに出され、そこから映画でのペローに当たる人物に買われてカナダに向かうことになります。 また、船の上で赤いセーターの男にこん棒で威嚇され、おとなしくなるシーンがありましたが、原作ではそれは シアトルでの出来事として描かれ、また、歯向かったために激しく打ち据えられる下りが存在します。 その経験からバックはこん棒を持った人間には逆らわない、という習性を身に着けたのでした。 犬ぞりの参加してからソーントンと出会うまで内容が異なる点 映画ではソーントンとは、犬ぞりに参加する前に出会っています。 ソーントンが落としたハーモニカを拾って届けるシーンです。 原作では、シアトルでバックを買ったフランス系カナダ人の二人組がバックをそり犬として用いたとなっていますが、映画のように 黒人男性と先住民女性ではありません。 また、彼らは個人の犬ぞりを引かせていて郵便物の運搬をしていたわけではありませんでした。 郵便物を運搬していたのは別の人物で、バックたちはその人物に引き取られます。 そしてそこで酷使され、疲労のために弱ったので、使えないそり犬として売却処分されます。 そんなバック達そり犬チームを購入したのが、ハル達の3人組でした。 ハル達の描かれ方は原作も映画も同じような扱いです。 異なる点とすれば、 ソーントンとの初めて出会いは町の中でなく、自然の中、氷の張った川の川岸で、ソーントンがバックを保護したときでした。 ソーントンとの生活で内容が異なる点 原作と映画の違いとして大きいのはソーントンという人物像でしょう。 原作では 純粋に金採掘を目的としてクロンダイクにやってきて生活している男性ですが、映画では訳ありで家族を捨てて、一人孤独に生活したいと流れ着いた男性として描かれています。 そのため、バックと旅に出る理由も、原作では金採掘のためであり、他の仲間もそり犬もつれての旅となるのですが、映画では息子が本で読んだという、地図に書かれていない場所を見たい、という理由でバックだけを連れて出かけます。 ソーントンとの北の小屋での生活は原作も映画も同じような描写で、ソーントンが金採掘をしている最中、バックは森に出向き、そこに棲む狼たちと交流を持つようになります。 原作との大きな違いは、ソーントンの死。 原作では インディアンの襲撃により、命を落としたことになっていますが、ソーントン自身は死体すらなく、本当に死んだかどうかの確証はないような状況でした。 一方映画では唯一生き残ったハルが逆恨みしてストーキングし、殺されてしまいます。 しかし、不思議なのはあれだけ無茶な旅をつづけた結果、自分一人だけ「なぜか」助かったハルが、よくソーントンの後を確実に追跡して居場所を突き止めたことです。 まぁ、映画のストーリー上、ハルには途中で野垂れ死にしてもらっては困りますので、 スパイ衛星並みの探知能力を発揮してソーントンを追跡してもらわないといけないのですが。 原作と映画の違いの理由 原作と映画でストーリーを若干変更しています。 この理由を考えると以下の点が挙げられるのではないでしょうか。 映画としてまとめる必要がある 映画という時間制限のある媒体では、やはりそれに話を合わせないといけないという制限があります。 長ければカットし、短ければ膨らませる。 また、映画という映像の媒体では、むやみやたらと登場人物を増やすことは避けたいものです。 登場人物が多くなれば、それだけ背景のような人物も増え、それを避けるためには個々の個性やエピソードを作らないといけないという条件も増えます。 ですので、まとめられるのであれば、できるだけ少なくし、適切な人数の登場人物のほうがいいというのが映画というメディアです。 原作でバックがハルに出会うまでに二人の違い所有者がいますが、映画では一人にまとめられているのが、この例に当たるでしょう。 時代の違い 小説は1903年に発行されました。 これは今から100年以上も前。 ですので描写も、今では考えられないようなものもその当時は問題なかったわけです。 例えば、 動物愛護の観点。 1890年代であればいうことを聞かない犬に対してこん棒でぶちのめすのは、普通に行われていたことでしょう。 でも今は、そんなことをすれば動物虐待で後ろに手が回ります。 映画という作り物世界ですら、そのようなシーンが入っていることは大問題で、公開ができなくなる可能性もあるくらい。 もう一つの例を挙げれば 人種差別の意識でしょう。 やはり1900年ごろは今よりも露骨に人種差別が、意識されることなく行われていました。 だからこそ、原作ではソーントン一行を襲撃する野蛮なインディアンが登場します。 その当時のアメリカ人の、インディアンに対する見方はその程度でしかなかったのです。 ですが、今これをやったら大問題。 ですので、ソーントンを殺す役回りを担うのにハルというキャラクターが選ばれたわけです。 これらが原作と映画の違いの大きな理由だと思います。 やはり時代にあった描写をしないと、不自然に見えてしまいますからね。 ただし、個人的な感想では、 いかに差別をなくさないといけないからといって、黒人と先住民族の女性が郵便物を運ぶ仕事をしている設定には驚きましたけど。 小説と映画のそれぞれの主題を考察 小説と映画では少し主題が異なるように思えましたので、そのことを考察したいと思います。 小説も映画も主人公は犬のバックです。 が、映画の場合、興行的に成功させる意味でも、犬が主人公とするよりもハリソン・フォードが演じたソーントンを主人公として描いたほうが、人々の目を引き付けることができるでしょう。 僕などがそうで、 「野生の呼び声」という小説のことを知らなかったので、てっきりハリソン・フォードが厳しい自然のアラスカで犬と冒険を行う映画だと思ってしまったほどですから。 そのため、原作に忠実にバックを視点で物語を進めていく必要はあるものの、ソーントンとのかかわりをできるだけ早くして、ソーントンという人物を掘り下げていく必要があったと思いました。 そうすることでバックとソーントンとの対比という面で、映画を進めることができます。 僕が感じた映画が言いたい主題は、まさにこの バックとソーントンの対比 でした。 バックはさらわれて北の地にやってきたものの、そこで他の犬やオオカミといった仲間と出会い、北の地で生きていくために必要な野生も取り戻しながら、群れの中で生きる術を身に着けていきます。 一方ソーントンは、一人で生きたいと北の地にやってきますが、最終的には家族の元に戻りたい、という気持ちを持ち始めます。 バックが狼たちと群れで過ごしている時間があることは、ソーントンが実際に知っていたのかどうかはわかりませんが、そのことを知っている視聴者には、 バックがソーントンに仲間と一緒に共有する楽しさ、素晴らしさを思い出させたのではないか、と深読みさせたのではないでしょうか。 実際、人間という生き物も社会という他人に交わって生きることの必要な本能があり、元来群れで生活する生き物ですので、野生に返れば返るほど、人間も一人では生きられないのではないか、と思うのです。 一方で小説は、というと完全にバックが主人公です。 バックという犬に人間並みの完成と学習能力を与え、そんなバックの目を通した世界を文章にしている作品といっていいでしょう。 1890年代とはいえ、バックがカリフォルニアという都会から、大自然の掟が色濃く残るクロンダイクにやってきたことで、眠っていた野生を取り戻し、それを完全に取り戻したときに野生の狼の群れに迎えられるわけです。 時代背景的には社会がどんどんと文明化している時に、 野生に戻るために必要なものが何であるか、それを取り戻した暁に待っているものは何なのか、を描いているといえるのではないでしょうか。 ただし、ここまで文明の発達した現代において、極端に言えば、ただすべてを捨てて厳しい大自然に戻ればハッピーエンド、という主題では訴える方向性に疑問を持たれる可能性が大きいと思います。 だからこその小説と映画で主題が異なるではないか、と感じました。 まとめ 原作の小説と今回の最新映画、やはり100年以上の時の差は大きく、今の時代に合ったストーリーとしないといけない部分があります。 それは 描写だけではなく、主題やテーマも時代に合ったものにしないといけません。 あの当時では、そういう主張も分かる。 けど今それを言ったところで、可能なの? それだけの時代変化がありましたので、原作と映画の違いが出ても仕方がないと思います。

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映画野生の呼び声のネタバレと感想!映画ロケ地はアラスカでなくカルフォルニア!

野生 の 呼び声

映画「野生の呼び声」の簡単なあらすじとキャストの紹介 それでは映画「野生の呼び声」の簡単なあらすじとキャストの紹介です。 映画「野生の呼び声」の簡単なあらすじ ハリソン・フォードが主演を務め、アメリカの文豪ジャック・ロンドンが1903年に発表し、過去にも映画化されたことのある名作冒険小説を新たに映画化。 地上最後の秘境アラスカで地図にない土地を目指し、ひとり旅する男ソーントンが、犬ぞりの先導犬としてアラスカにやってきた犬のバックと出会う。 やがてソーントンとバックの間には友情が生まれ、かけがえのない相棒となっていく。 「スター・ウォーズ」シリーズなどで数々のカリスマ的ヒーローを演じてきたフォードが、主人公ソーントンに扮した。 監督は「リロ&スティッチ」「ヒックとドラゴン」といったアニメーション映画で言葉の壁を越えた友情を描いてきたクリス・サンダース。 映画「野生の呼び声」は 1890年代に起こったカナダのクロンダイク・ゴールドラッシュ時代を舞台として、 犬ぞり用の犬としてさらわれた犬バックを主人公とした物語です。 カリフォルニアのサンタクララバレー、今でいうシリコンバレーに暮らしていたセント・バーナードとスコットランドコリーの雑種犬バックがさらわれて売られたところから物語は始まります。 そり犬の価値は100万円!? この当時、丈夫なそり犬の需要はとても高く、その当時のお金で 100ドルから300ドル程度で取引されたそうです。 アメリカドルに対する、1800年から2019年のインフレ計算機サイトがありましたので、試しにそこで、1890年から1900年のアメリカ100ドルが、いくらくらいになるのかを計算してみたところ、 約30倍という結果が出ました。 つまり 3000ドルから9000ドル、日本円に換算すれば大体、30万円から100万円くらいの値段ということになります。 それくらいの大金が手に入るわけですから、犬を盗み出す犯罪が行われていても、何ら不思議はありませんね。 ちなみにそのサイト、こちらになりますので、もしよかったら参考にしてみてください。 妙に人間じみた表情を見せるバック 映画の中でずっと気になったのは、 バックの豊かな表情。 犬というよりは、人間とほとんど同じ感情を持った生き物として描かれており、 僕個人としては感情移入がしやすかったというより、得体のしれない生き物を見ているようで、なんとなくムズカユイような印象をずっと受けていました。 それもそのはず、この映画の撮影では 犬は一切使われておらず、すべてがCGIで作成されていたのです。 ですので、犬の表情、特にバックが人間のように表情豊かに画面で描かれているのが、納得できると思います。 つまりバックはモーションキャプチャーされて作られたキャラクターで、犬を演じたのはモーションキャプチャー俳優として有名な テリー・ノートリー。 彼はこれまで、数多くのモーションキャプチャーを使った映画にかかわってきたその道の専門家です。 テリー・ノートリーのプロフィールはのちに詳しく紹介しますので、そちらを参照ください。 撮影ロケ地はカリフォルニア! バックが本物の犬を撮影に使用せずに、モーションキャプチャーによってCGIで作り出された犬であることが分かりましたが、実はこの映画「野生の呼び声」、 撮影はすべてカリフォルニアで行われており、アラスカやカナダのユーコン準州でのロケーション撮影は一切されていません。 つまり、あの大画面に映る美しい自然は、すべてCGIで描かれたものなのです。 映画の最後に流れるキャストロール。 あちらを注意してみてもらうと、非常に長いうえに携わった人がどれほど多いかが分かると思います。 そのほとんどが美術関連であり、アニメーターやグラフィック担当の人間です。 つまり、それだけの人間を駆使して、コンピューター的に作り上げられたのが、あの映像ということになるのです。 映画「野生の呼び声」の感想 映画「野生の呼び声」ですが、僕個人の感想としては 平均的なお話だな、と思いました。 可もなく不可もなしと思った理由 僕自身、小説のことは知らず、その前情報なしで見に行った状態で、唯一持っていた情報は予告編映像だけ。 ポスターからも分かるとおり、ハリソン・フォード主演を前面に押し出していて、アラスカが舞台の自然アドベンチャーだと思っていたのですが、実際の主人公は犬のバック。 ちょっと拍子抜けした気がしました。 そこに加えて表情豊かなバックというキャラクターのせいが、あまりに豊かすぎる表情がゆえに、感情移入するよりも、得体のしれない生き物のように見えてしまい、ストーリーに入り込めなくなってしまったのです。 また1890年代にカナダでの話とはいえ、フランス系の 黒人が先住民族であるイヌイットの女性と一緒に郵便配達の仕事で、犬ぞりを引いているという設定に、そんなことがありえたのか、という疑問のほうが気になってしまいました。 カナダはアメリカほどでないにしてもやはり黒人差別がありましたし、先住民族に対する偏見や差別、軽蔑なども、残念ながらありましたし、今でもあります。 小説ではソーントンはインディアンに殺されてしまいます。 その当時の時代背景では、この話の流れが何の疑問もなく受け入れられていたほど、先住民族に対するステレオタイプ的な見方があったはずなのに、郵便という公的な職業に就けていたのか、と思ってしまったわけです。 2020年の現代において、政治的に正しいポリティカルコレクトが大きく叫ばれていますが、だからといって 過去にあった悲しく残酷な差別という真実をゆがめてしまうのはどうかと思ってしまうのは、自分だけなのでしょうか。 人も犬も仲間や家族が必要 映画の後半はソーントンとバックが二人だけで地図に書かれていない外の世界へ旅立つことになります。 人と交わりたくないソーントンはそれでいいのかもしれませんが、バックは別にほかの犬と関わり合いを持ちたくないわけではありませんでした。 落ち着いた先でバックはオオカミの群れと出会い、その群れの中で信頼を勝ち取ってやがてリーダーとなります。 そのころになってソーントンも家族のもとに戻ってもいいという気になっているのですが、ある見方をすれば バックがソーントンに仲間や家族が必要であることを教えたような気になりました。 バックはオオカミの群れの中でしか、自分の居場所を見つけられなかったわけではないでしょうけど、人に飼われ、使われて生きる生涯よりも自分に合った生活を見つけたのだと思います。 そういう意味ではソーントンがバックにより良い環境に出会える手助けをした、実はモブキャラだった、という見方もできるでしょう。 残念ながら、ソーントンは逆恨みしたハルによって命を落とします。 最後に少し突っ込みたいのですが、 自然に対する知識も薄く、経験も少なくて、仲間や犬を殺してしまうような決定をし続けていたハルが、一人でソーントンの後を追跡し、その地にたどり着けたことが不思議でなりません。 ソーントンが下ったあの急流の川をハルもカヌーで無事に下れたのでしょうか? 地図にも載っていない広大な地域でどうやってソーントンが住んでいる小屋を見つけることができたのでしょうか? ヒグマやオオカミの群れがうろついているような世界ですよ。 この部分は、感動的というより、突っ込みのほうが大きくて、「おいおい」と思ってしまいました。 バックを演じたテリー・ノートリーについて 上記でも紹介しましたがバックはモーションキャプチャーによって演じられ、それをCGI加工で作り上げられた犬のキャラクターです。 実際の犬を一切使っていません。 そしてモーションキャプチャーをするためには、それを演じる役者が必要ということになります。 バック役としてモーションキャプチャーを演じたのは テリー・ノートリー。 彼は俳優であり、スタントコーディネーターであり、スタントマンとして活躍する人物です。 これまでも数多くの有名な映画にかかわってきました。 テリー・ノートリーが映画に携わるきっかけ テリーはもともと有名なカナダのサーカス集団「 シルクドソレイユ」のパフォーマーでした。 2000年に公開されたジム・キャリー主演の「 グリンチ」の映画で監督のロン・ハワードがシルクドソレイユのパフォーマーを映画に雇います。 その時のメンバーにテリーが加わっていたのですが、パフォーマーの仕事の見事さに感激したロン・ハワード監督が、テリーに対して役者に動きについて教えてほしいと依頼することになるのでした。 撮影にかかわった映画 その後、テリーはティム・バートン監督が撮影した2001年公開の「 猿の惑星」に参加します。 テリーはロサンゼルス動物園に通い、類人猿の動きを勉強し、撮影に臨みました。 2009年に初めてモーションキャプチャー役として映画に出演します。 その映画は「 アバター」 この映画でナヴィ族の動きを総括し、ナヴィ族の一人として出演したのでした。 「猿の惑星」シリーズには引き続き参加し、ロケット役で出演。 その他にも「 ホビット」シリーズ、マーベルシリーズの「 ハルク」や「 アベンジャーズ」の2作など数多くの作品に参加しています。 まとめ 映画「野生の呼び声」は同名の有名小説の6度目の映画化で、全編をCGIを駆使して作り上げられた作品です。 アラスカはおろか、 屋外でロケを一度もすることなく、カリフォルニアのスタジオ内だけで作り上げられました。 その映像は素晴らしいものですが、ストーリー的には、僕には可もなく不可もなし、というものに感じられてしまい、平均的な映画だったと思いました。 視聴した後で調べたのですが、制作にかかった費用が1億2500万ドル~1億500千万ドルであったのに対し、2020年2月26日の時点で全世界を合わせて4570万ドルの興行収入しかなく、1億ドルのマイナスとなってしまっています。 この結果に対しても、個人的にはなんとなく納得してしまうところがある映画だったのかな、と思いました。

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