めちゃイケ亡くなったメンバー。 『ゴチ』メンバー、大杉漣さん追悼 突然すぎる別れに「受け止められない」

『ゴチ』メンバー、大杉漣さん追悼 突然すぎる別れに「受け止められない」

めちゃイケ亡くなったメンバー

元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎さんが亡くなっていた。 享年48歳。 【「ボキャブラ」で活躍 元「フォークダンスde成子坂」桶田さん死去していた 元相方は06年死去】 今年40歳になる僕は、このニュースを見て「あぁ、やっぱりそうだったのか、、、。 」と思った。 なんか変だな?と思うキッカケはあった。 毎週聴いているラジオ番組である「 有吉弘行のSunday Night Dreamer」 (毎週日曜20時~22時)にて、当時欅坂46を脱退した平手友梨奈さんの話題に触れた際に有吉さんがいつもの調子でこんな感じでボケた。 有吉弘行:今日、なんかニュースいっぱいやってて。 なんだっけ?なんとか坂の、フォークダンスDE成子坂46の… 安田和博:違います。 フォークダンスDE成子坂じゃなくて、欅坂。 有吉弘行:フォークダンスDE成子坂… 安田和博:46いませんから 笑 有吉弘行:しかし、フォークダンスDE成子坂って悲しいけどね。 安田和博:うん。 有吉弘行:ねぇ。 お二人とも、お亡くなりになっちゃいましたね。 安田和博:うん、そうですよね。 ラジオ書き起こしサイト:ラジサマリーより。 共演者であるデンジャラスの安田さんが全くツッコんでいなかった。 「あれ?おかしいな」と思い、桶田さんの名前で検索してみても全くそれらしい情報が出てこない、と言うより桶田さんの情報自体がもはや古いものしかなく、twitterもブログも更新しておらず、今何しているのかも全くわからなかった。 桶田さんのTwitter(オケダケイタロー) そこから1ヶ月程経ってのこのニュースだったので、「あぁそうか、本当に亡くなっていたんだな」と認識を改めた。 きっと芸人さん界隈ではある程度知られていた話だったのだろう。 ポストウンナン・ダウンタウンとなるコンビだったフォークダンスDE成子坂 26年前、当時中学生だった僕はお笑いが好きで、 ダウンタウンや ウッチャンナンチャンの番組をVHS2時間テープに3倍録画してそれをずっと家で見ていた。 (あぁ懐かしき3倍録画。。 )2時間番組が3本分入るから、4月と10月の改編期にはいつもそのビデオテープが3~4本ずつ貯まっていった。 全てダウンタウンとウンナン、たまにとんねるずの番組で埋め尽くされていた。 僕がフォークダンスDE成子坂を知ったのもその頃だった。 GAHAHAキング爆笑王決定戦と言う番組が日曜のお昼にやっていた。 テレビ朝日系列のコント・漫才の10週勝ち抜き番組で、田代まさしと久本雅美が司会だった。 初代GAHAHAキングの爆笑問題 ルールは、後の オンバトや M-1にも通じる若手芸人の勝ち抜き形式。 若手芸人がネタを披露し、会場のお客さんの投票と、5人の持ち点10点ずつのプロの審査員の点数の合計点で決まる。 週を追うごとに勝ち抜く基準の点数が上がっていきクリアすれば次週に進むというような内容だった。 初代のGAHAHAキングが 爆笑問題だ。 今から思うと現在第一線でMCクラスで活躍している芸人さんがほとんどここに出ていた。 ネプチューンしかり、 くりぃむしちゅー(当時のコンビ名は海砂利水魚)、 Uturnというコンビで 土田さんも出ていた。 勝ち抜いていく若手が数多いる一方で、出る度に毎回1週目で落ちるのだけれどしょっちゅう呼ばれていたのがモノマネでおなじみの 神奈月さんだった。 後に ボキャブラブームというのが来た時の中心メンバーもほとんどがこの番組の出演者でだったような気がする。 フォークダンスDE成子坂はこの番組の2代目GAHAHAキングになった。 (その後、3代目キングに ますだおかだがなる。 オンバト、Mー1とますだおかだのチャンピオン遍歴は実は凄まじい。 日本一勝ち抜いてきた芸人さんかもしれない。 ) 前述のように、ダウンタウンやウンナンが大好きなお笑いフリークだったけど、若手芸人にはさほど興味がなかった。 というより存在を知らなかった。 そんな中、何もやることのない日曜お昼に、たまたま見たのがフォークダンスDE成子坂だった。 衝撃が走った!めちゃくちゃ面白かった!俗に言うシュールコントなのだけれど、とにかく新しくておシャレでカッコ良かった。 その時がフォークダンスにとって何週目の挑戦だったのかはわからないけれど速攻で翌週分の録画予約を入れた。 今考えるとまだお二人とも22歳くらいだったのではないか?圧倒的実力でその後10週勝ち抜いてチャンピオンになった。 その時にはなぜか我が事のようにテレビの前で喜んだ。 (正確には10週勝ち抜いた後で異例のもう一週、よくわからない理由で追加されてそれも勝ち抜いて11週勝ち抜きチャンピオンになった) 中学生だった僕は、最先端の笑いを見つけた喜びを抱えて翌日学校に行き、「 フォークダンス知らないの??」と同級生にドヤったものだった。 同じ番組で知った爆笑問題も好きになった。 ダウンタウンの次はこの二組だと確信し、それ以降とにかく追いかけるようになった。 とは言ってもまだ中学生、ライブなどという存在は知らず、テレビで深夜番組もなかなか見られなかった頃だった。 僕にとっては テレビガイドや テレビジョンなどのテレビ雑誌をくまなく探し、お笑い番組を見つけてはそれに出るのをチェックするくらいしか出来なかった。 当然インターネットもない頃だった。 フジテレビの深夜では「 とぶくすり」や「 新しい波」と言う番組がやっているというのはその当時は知らなかった。 若手芸人のネタが見られる番組は少なかった。 今のようにテレビのゴールデンタイムで若手がネタをやるというのはほとんどなかった。 テレビがメディアの中心であり、広告予算もたんまりあったのだろう。 豪華なセットやゲストにまだまだお金をかける余裕があったんだろうなと思う。 若手のネタがコンテンツとして重宝される時代でもなかったのだろうと今は思う。 後に ボキャブラブームが訪れ終焉、 オンバト、Mー1誕生となるほんのちょっと前だった。 作家もセットもいらない若手芸人のネタが重宝されるようになるのはもう少し世の中が不景気になる1997年以降かもしれない。 ネタ番組なんてほとんどない中で、当時NHKに「 笑いが一番」という番組があった。 日曜の午後にやっている同番組は貴重な演芸番組だった。 そして同じくNHKで3ヶ月に1度「 お笑いダンクシュート」という若手が集まってネタを披露する番組があった。 意外なことに若手のネタは当時は NHKでしか見られなかったのだ。 そしてそれらに登場するフォークダンスDE成子坂は、間違いなく 関東若手芸人のトップを走っていた。 それは、お笑いダンクシュートのとある回のラインナップと演者の順番を見るだけでも明らかだ。 後にくりぃむしちゅーとなる海砂利水魚やオアシズなどテレビで売れっ子になるメンツを差し置いて関東のトリを務めていたのだ。 同時期の1995年にはフジテレビで「 今田耕司のシブヤ系うらりんご」という番組があった。 平日夕方17時からの30分の帯番組で、月~金までの総合司会を 今田耕司が務めていた。 番組の演出は後に「めちゃイケ」の総合演出も務めることになる 片岡飛鳥という方で、各曜日毎のレギュラーのうち木曜のレギュラーがフォークダンスDE成子坂だった。 司会 今田耕司 レギュラー 前期(1995年4月 — 6月) 月曜日:極楽とんぼ(加藤浩次・山本圭壱)、鈴木蘭々、山崎邦正(現:月亭方正)(準レギュラー) 火曜日:山本太郎(現参議院議員)、遠峯ありさ(現:華原朋美)、山羊智詞(準レギュラー 水曜日:東野幸治、矢部美穂 木曜日: フォークダンスDE成子坂(桶田敬太郎・村田渚) 金曜日:ナインティナイン(矢部浩之・岡村隆史) wikipediaより抜粋 極楽とんぼ、ナインティナインも各曜日のレギュラーだった。 後のめちゃイケメンバーと並んでレギュラーになっていたのだから当時は本当にフォークへの期待が高かったことがわかる。 (渋谷公園通り劇場という、当時の吉本常設劇場での収録だった。 ここの番組にホリプロ所属のフォークダンスがキャスティングされているというのも実は異例なのではないかと思う。 ) フォークダンスDE成子坂の時代がやって来る!と思い心躍らせていた僕にはこれも嬉しかった。 村田さんがいじられキャラになってはいたけれど、この番組のフォークダンスは面白かった。 残念ながら番組自体は半年程度で終わってしまうのだけれど。。 そんな中で ボキャブラ天国という番組にも若手のコーナーが始まり、ボキャブラブームが訪れる。 ここでもフォークダンスDE成子坂は独特の存在感を示した。 「 港のヨーコヨコハマヨコスカ」シリーズはもはやボキャブラではないのだけれど毎週面白く爆笑した。 ) 「あんた!あの香ばしさ」 「サンタ!ほんとにいるの?」 「パンダ!あの頃ナンバーワン」 「パンダ!笹を食う」 ダジャレとしてははっきり言ってメチャクチャだ。 ただ最初に披露した「 あんた!あの香ばしさ」がなぜかスタジオでジワリ、 タモリさんが「なんか面白いね」とハマってチャンピオンになった。 やっぱりスゲェな!と確信したものだった。 確実に ポストウンナン・ダウンタウンになるのはフォークダンスDE成子坂で間違い無い!!そう確信した。 (ごくごくたまにダウンタウンの松本人志の口からフォークダンスの名前が出ることもあった) フォークダンスDE成子坂とは違うというところを見せなあかん(ガキの使いのフリートークにて) 日本のコメディアンはダウンタウンとフォークダンスDE成子坂は知ってます。 (HEY HEY! HEY! にてGEISHA GIRLSとしてトークしている最中に) ボキャブラとめちゃイケの狭間でなぜかブレイクし損ねた ここからなのだ。 結果から言うと フォークダンスDE成子坂はテレビで主役になることはなかった。 ボキャブラブームが本物のブームになり、各芸人さんにスポットが当たるようになったあたりから、少しずつフォークダンスの存在感が薄れていった。 そんなふうに見えた。 片や爆笑問題は「 爆笑問題の日本原論」と言う書籍がヒットし、ボキャブラでも毎週のように1位を獲得し、あっという間に自身がMCを務める番組を獲得していった。 それに対してフォークダンスはなんかつまらなそうと言うか、居心地が悪そうな気配を感じた(特に桶田さんが)。 一方で ネプチューンや XーGUNの方が番組内ではキャラ的によく目立つようになった。 なんとなくだけどワーキャーのファンや、グラドルや役者に審査されたり、いじられたりというのがフォークダンスは人よりも嫌いだったっんじゃないかと思う。 ボキャブラブームにあまり馴染んでいないように見えた。 ボキャブラブーム終焉時の勝者は明らかに爆笑問題とネプチューンだった。 (海砂利水魚はボキャブラ時には大きなブレイクはしなかった。 くりぃむしちゅーとなって冠番組を持ち始めるのはここからさらに5年後くらいのこと。 改名や上田さんのうんちくブームなどを経てである。 銭金という番組ではネプチューンが総合司会で、くりぃむは数いるうちのイチレポーターだった。 もっともこのレポーターがめちゃ面白くてブレイクするきっかけにもなるのだけれど) そして当時ボキャブラブームの一方では ナインティナインを中心とした めちゃイケの存在があった。 特にナインティナインのブレイクは革命的だった。 ボキャブラ後の天下、めちゃイケの躍進、そのどちらにも入れたであろうフォークダンスDE成子坂は結果としてどちらでもブレイクすることはなかった。 (噂では、めちゃイケメンバーの候補にもフォークダンスDE成子坂は入っていたが、村田渚のみのキャスティングだった為断ったという説もある。 ) 97年頃のお笑いダンクシュートを見てもわかるが、もうその時にはトリではなくなっていた。 その後オンバトが始まり、フォークダンスも一度だけ出演しているらしいがその時には既に「 ボキャブラ芸人=ちょっと古い芸人」のレッテルも貼られてしまい、逆にボキャブラブームには参加しなかった ますだおかだや バナナマンが脚光を浴びることとなった。 結果、 1999年にフォークダンスDE成子坂は解散。 村田渚さんはピン芸人や「 鼻エンジン」というコンビで活動したりもして、Mー1の準決勝まで勝ち抜いたりもしたけれど 2006年にくも膜下出血で死去。 そしてそこから13年、2019年11月23日に相方の桶田さんも亡くなった。 (死因は不明) やっぱり 解散が早すぎたと思う。 当時の価値観で言えばあの時、天下を取れなかったようにも見えた。 けど時代も変わり、あの頃天下を取り損ねたと思った芸人さんも今や様々な別の形でブレイクしている。 関西のトップだった千原兄弟もコンビとしての形は変わりつつ二人ともブレイクしたし、ジャリズムは解散したけど 世界のナベアツは一大ムーブメントを起こした。 ナイナイに完全に負けたと思っていた 雨上がり決死隊や さまぁ~ず、だってほんの数年遅れただけでやっぱり売れっ子になった。 やっぱり当時面白いと思った人たちは今も第一線で活躍しているのだ。 そう考えるとやっぱりあの時に解散したことが悔やまれるというか早すぎたのではないだろうか?そんなやるせない気持ちに今日訃報を聞いて改めて思ったのだ。 でも確かにあの時いたのだ。 フォークダンスDE成子坂はあの頃確かに瞬間最大風速を叩き出したのだ。 村田さんが亡くなった時、 youtubeで過去の動画を漁ってみたが、あの頃はほとんどアップされていなかった。 今はyoutube文化が当時の何倍も成熟してきたから当時の映像も沢山見られる。 そして今見てもやっぱり面白いものは面白い。 「 長生きも芸のうち」という言葉が落語界にはあるけど、その芸がなかったんだろうな。。。 合掌 【追記】2020年3月3日のTBSラジオ「 火曜JUNK:爆笑問題カーボーイ」にて桶田さんの死因について爆笑問題により語られていた。 死因は「 がん」だったそうだ。 冒頭30分以上に渡って太田光さんが中心になって故人を忍んだ。 本当に天才だったと語るとともに、生前の様々な楽しいエピソードを語っていた。 相方の渚さんの死去時から程なくしてがんが発覚したのだが桶田さんの意向で奥様以外の誰にも話さなかったらしい。 結果、若くしての癌だったにも関わらず10年以上生きた。 村田さんが生きさせてくれたのだろうという奥様は語っていたとのこと、改めてご冥福を。

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めちゃ×2イケてるッ!

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急性心不全のため21日午前3時53分に亡くなった俳優・さん(享年67)の訃報を受け、日本テレビ系バラエティー番組『ぐるぐる』(毎週木曜 後7:56)の人気コーナー「グルメチキンレース・ゴチになります! 」で共演するナインティナイン、、羽鳥慎一アナウンサー、橋本環奈らが追悼の言葉とともに胸中を明かした。 岡村隆史と矢部浩之は所属事務所を通じて「突然の事で正直まだ受け止められていません。 まだ信じられませんが…本当に残念です。 ぐるナイでの大杉さんの包み込む優しさ、沢山の気遣いに感謝しかありません。 本当にありがとうございました。 心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。 渡辺は「大杉漣さん。 私みたいな若手芸人にも気さくにいつもお話ししてくださったり、あだ名で呼び合おうと緊張する私たちに提案してくださったり、とても優しい大先輩でした」と思い出を振り返り「突然の事で正直まだ受け止められていません。 ご一緒にお仕事出来て光栄です。 本当にありがとうございました。 謹んで御悔やみ申し上げます」と悼んだ。 橋本は自身のツイッターを通じて「大杉漣さん、本当にお世話になりました。 突然の事でびっくりしています。 いつも優しく温かく接して下さる漣さんに会えないと思うと、本当に寂しいです。 心からの感謝と共にご冥福をお祈りします」とコメント。 『ゴチ』で司会・進行を務める羽鳥は、22日放送のテレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』で「突然過ぎて、悲しみより驚きしかない」と沈痛の表情で「このタイミングで大杉さんの訃報を伝えるとは思わないですし、本当に…ちょっと泣くまでいかない。 よくわからない」と心情を吐露した。 また、昨年12月まで『ゴチ』で共演していたTOKIOの国分太一は22日放送のTBS系『ビビット』(月〜金 前8:00)に生出演し「いまだちょっと信じられないですね。 2年間、大杉さんの隣で一緒に収録させてもらってたんですけど。 カメラ回っていないところでも色々とお話をしていたので。 最後に会ったのが去年の年末だったんですけど、その時でも元気なあの笑顔も忘れられないので。 本当かなと思ってしまいますね」と肩を落としていた。 なお、同番組について日本テレビは「22日放送分に関してはご家族・事務所のご了承を得た上で予定通り放送いたします。 来週以降の放送については現在検討中です」とコメントしている。 大杉さんは1951年9月27日生まれ、徳島県出身。 74年から88年まで、太田省吾主宰の『転形劇場』で舞台俳優として活躍し、78年に『緊縛いけにえ』で映画デビュー。 以降、映画『ソナチネ』、『土竜の唄 潜入捜査官REIJI』、NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』などの多数の作品に出演。 主役を際立たせる名バイプレーヤーとして欠かせない存在となった。

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日テレで『めちゃイケ』!? まさかのメンバー共演に歓喜の声続出(2019年3月13日)|ウーマンエキサイト(1/2)

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もくじ• fujitv. -What A COOL we are! 』通称めちゃモテのリニューアル番組です。 「めちゃモテ」は、めちゃイケの初期メンバー(大久保さんを除く)が総出演していた人気番組であったにも関わらず、テレビ局側の都合か、たった一年で打ち切りとなってしまいます。 この知らせを聞いてショックを受ける視聴者に、当時のナインティナインは「みんなの気持ちはよく分かるよ。 でも必ず帰ってくるから」といった思わせぶりな発言を残していました。 その後、視聴者からの問い合わせが殺到してか、もともと企画していたのかは定かではありませんが、めちゃモテ終了のわずか1ヶ月後、今度は「めちゃイケ」と番組名を変え、ゴールデンタイムでの放送をスタートさせたのです。 深夜枠からの移動番組ということで、業界内では「すぐに打ち切りになるのでは?」といった下馬評が集まる中、『めちゃイケ』は多くの若い世代からの支持を集め、グングンと視聴率をあげていきました。 そんなめちゃイケの人気企画の中には、2000年の7月から始まった『抜き打ちテスト』があります。 yahoo. このときの最下位はよゐこの濱口さんで、これ以降「王冠プレゼンター」や「理事長」としてもテスト企画に参加しています。 その後は高学歴の有名人、イケメン、アイドルといったジャンル分けテスト企画も行い、いずれも視聴者からの高い評価を得ました。 また、メインMCである岡村隆史さんのダンス経験を活かした、SMAPやEXILE、モー娘やAKB48といった人気グループとのコラボ企画も人気が高く、次々と高視聴率を記録するお化け番組として成長していったのでした。 fujitv. しかし次第に数字は伸び悩むようになり、2012年ごろからは「テレビ離れ」もささやかれる中、どんどんめちゃイケの視聴率は低下していきます。 また先日(2015年12月5日)放送された『AKB48高橋みなみの卒業旅行SP』では、AKBをメインとしたスペシャル版にもかかわらず、その視聴率はなんと『7. めちゃイケという人気番組が一転、低視聴率に陥ってしまった理由とは一体なんだったのでしょうか? そこで、ネット上でささやかれている「めちゃイケ批判」から、視聴率低下の理由を探ってみました。 番組のかじ取り役ともいえるプロデューサーは、企画や構成、ゲストに至るまで、全ての責任を背負う重要なポストです。 この『番組の軸』が大きく変わってしまったことが、めちゃイケがつまらなくなり、ひいては低視聴率にもつながってしまったのではないかと考えられています。 naver. 『水曜どうでしょう』などは、本来裏方である立場の人間が表に出てきて成功した希少な例ですが、基本的にタレント以外の人が表に出ることを嫌う視聴者も多いので、こうした批判もある程度は仕方がないのでしょう。 しかし、ここまで多くの批判を買ってしまうようなプロデューサーが番組を仕切っているわけですから、番組が「つまらない」と感じてしまうのも無理はないのかもしれません。 sanspo. この間に放送された『めちゃイケ500回突破記念』の最後では「現状打破のため」という名目で、新レギュラーオーディションを行うことが発表され、物議をかもします。 その後、視聴者の不安をよそに10月30日に生放送された「今夜ついに新メンバー決定! 生放送スペシャル!! 」では、新メンバーとして『ジャルジャル』『たんぽぽ』『敦士さん』『重盛さと美さん』『三中元克さん』が、新しく番組のレギュラーに加わることになりました。 これにより、めちゃイケの低視聴率挽回を図って勢いづくはずが、この『新メンバーの追加』は裏目に出てしまったのです。 上記の視聴者コメントを見る限りでは、新メンバー自体の評価も良くないようですね。 個々の評価は別にしても、古くからのファンの人たちは「めちゃイケらしさが消えてしまった」と感じているのかもしれません。 fujitv. naver. かつてのめちゃイケには『テレビ番組の規制が厳しくなった』といわれる中にも、番組名にもあるよう、どこか「イケてる雰囲気」を感じさせてくれる先鋭的なものがありました。 あのころの視聴者が感じていた「何か」が、今のめちゃイケにはなくなってしまったようが気がします。 jp また、さらには番組の顔ともいえる「岡村さん」が、徐々に視聴者から嫌われはじめたことが、めちゃイケの視聴率を落とした大きな原因ともいわれています。 岡村さんはナインティナインのボケ担当として、芸歴も16年になるベテランですが、どうも年々他の芸能人に対するイジリ方や発言がひどくなってきているように感じます。 rakuten. このとき、番組のレギュラーであったジャルジャルの福徳さんは企画の内容を知らされておらず「宝物を持ってこい」とだけ知らされ、プライベートで大切に使っていたヴィトンのボストンバッグを持参しました。 しかしこのボストンバッグは、福徳さんが高校生の時に亡くなった父親の形見だったのです。 それが視聴者プレゼントされることを知った福徳さんは強く抵抗しますが、結局、岡村さんに取り上げられ、本当に当選者に送られてしまいました。 実家がお金持ちであるという理由から、福徳さんのボストンバックは度々「嫌味だ」とネタにされてはいましたが、この番組を見た視聴者からは「さすがに形見をプレゼントはダメだろ」という声もあがっていました。 『私立めちゃ日本体育大学付属高等学校期末テスト』に参加した元サッカー選手・前園真聖さんに対して、2013年に前園さんが起こした飲酒・暴行事件という「触れられたくない過去」をネタに何度も言及し、芸人でない前園さんを追い詰めます。 芸人相手であっても、やややりすぎ感の否めないこの岡村さんの仕打ちには「ちょっとしつこ過ぎるだろ」といった意見も聞かれました。 また、AKB48が参加した『国立め茶の水女子大学付属第48高等学校期末テスト』では、大島優子さんの回答に対して「トンボを難しい漢字で書けることを自慢をした」と批判したうえで「こういうの嫌いです」といって減点。 この「さらして笑いを取る」というやり方にも、番組終了後にはAKBファンからの大ひんしゅくを買いました。 【関連記事】 【最新】めちゃイケの視聴率がどんどん低下した4つの理由 まとめ 今回は『めちゃイケの視聴率がどんどん低下した4つの理由』を、世間の声とともにお届けしました。 最近では、個人が作った動画のクオリティーも高くなり、面白いものも増えてきたため、テレビを観る視聴者の目も肥えてきています。 また、昔のバラエティーでは「えげつないほど面白い」とされる風潮がありましたが、現代ではこの流れも飽きられ始めているように感じます。 そんな世の中にあって「めちゃイケ」は、来年20周年を迎える長寿番組だからこそ、昔ながらの固定概念が抜けず、迷走しているのかもしれません。 これからは世間の意見も参考にしながら面白い企画をどんどん打ち出して、私も含めた昔からのめちゃイケファンを楽しませて欲しいなと願っています。 【関連記事】 めちゃイケに山本圭壱が復帰も「打ち切り前の視聴率稼ぎ」と失笑の嵐 「三中元克はクビでいいけど 相方のイケメンをレギュラーにして」の声?.

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