死に たい ポエム。 死に方 : 人に迷惑をかけないように死にたいので、どこまで片付け

生きるために知っておきたい、人が死ぬ前に後悔する17のこと

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テーマ:安らかな死とは何か?~取り切れない死の苦痛への対処法 私が通っていた幼稚園はキリスト教の教えをベースにしていました。 土曜日の朝に礼拝があり、毎回、先生が数分程度の話をしていました。 今でも私の記憶に残っている話がひとつあります。 それは……。 人が生まれたときに、神様は 蝋燭 ろうそく に火をともします。 蝋燭には、太くて短いものや細くて長いもの、太くて長いものもあります。 どれ一つとして同じものはありません。 みな、1本1本違います。 この蝋燭の火が消えるときが、神に召される日です。 私は無宗教ですが、この話はとても印象に残っていて、自分が治療のために入院している間も、自分や他の患者さんを見て、「ああ、あの話は案外本当かもしれない。 自分の蝋燭はどんな形をしているのだろう?」と思ったものです。 看取りに関してはたくさんのガイドラインや書籍がありますが、私たちも元気なうちから、大切な最期の時間の過ごし方を考えておく必要があります 安楽死、尊厳死、鎮静死。 死の定義には様々なものがありますが、一般的に安楽死は薬物などを使って強制的に「死なせること」、尊厳死は治療を行わないで体力の落ちるまま自然に「死を迎える」こと、そして鎮静死とはどうしても取れない苦痛を除去するために「死を選ぶ鎮静薬を投与して死を迎える」ことを言います。 先ほどの蝋燭を例にすると、蝋燭の火を自分で「ふっ!」と吹き消すのが「安楽死」、風に吹かれて火が「すーっ」と消えていくのが「尊厳死」、最後の火の光を家族と見つめながら「そっと」消すのが「鎮静死」というようなイメージで私はいます。 患者さんの亡くなるまでのプロセスを見ていると、自然に自分も「死をどのように迎えるか」を考えます。 治療の効果と不利益を 天秤 てんびん にかけて、治療の「 止 や めどき」を考えることの大切さ、最期の場所を考えることの大切さ、限られた時間をどう生きるのかを考えることの大切さ。 亡くなるまでに考えた方が良い大切なことをいつも仲間から教えられます。 カレンさんは、1975年にとあるパーティーに参加をし、精神安定剤とアルコールを服用しました。 このことが原因で植物状態になり、人工呼吸器をつけて生きていました。 両親は、人工呼吸器を取り外すことを望みましたが、病院はこれを認めず、裁判となりました。 最高裁まで争われ、「倫理委員会の判断があれば&取り外しを決定した医師、父親にも民事・刑事の法的責任は一切なし」という条件で家族が勝訴、カレンさんの人工呼吸器は外されました。 ところが、その後も彼女は9年間、植物人間の状態で生き続け、事故から10年後に肺炎で亡くなりました。 家族は人工呼吸器を外したにもかかわらず生き続ける彼女の姿にとまどいます。 私も、この本を読んで、家族は死を選んだのにカレンの肉体は生き続けること。 それは「死にたくない」という彼女の意志の表れだったのか、単なる身体反応なのか? 9年間、ずっと寝たきりの状態でしたから、カレンさんの身体は萎縮していきました。 ご家族は娘のそんな姿を見続けることが、どれだけ 辛 つら かっただろうと思います。 そして、カレンさん自身はどのような気持ちだったのだろうと思います。 現代医学が進歩する中、この事件も、「死」を考える一つの機会になったはずです。 私は「死」というものは、こちらから近づくものではなく、「あちら」から近づいてくるものだと思っています。 ですから、「安楽死」は自分の考えの中には「ない」です。 病気をして、これ以上どうしようも手だてがない。 どうしても取れない苦痛が続いて、改善の見込みがないとき。 このときは「尊厳死」か「鎮静死」を選ぼうと思っています。 自分ががんの診断を受けたときに桜井家の3か条を決めました。 これは、 1.痛いのと 痒 かゆ いのは嫌。 いざとなったら先に眠るから、そのときはよろしく! 2.葬儀のときに 棺 ひつぎ の小窓は開けないで。 興味本位で死に顔を見られて「眠っているみたい」とか言われるの、すっごく嫌。 そんなん言うなら死ぬ前に会いに来てほしい。 3.葬儀は身内だけで簡素に。 香典など一切無用。 ただし、そうすることで後の接客が大変になるのなら適当にやって。 2と3は、亡くなった後のことですが、1はいわゆる鎮静死です。 緩和ケアではどうしても取り切れない苦痛があります。 特に呼吸苦は死をイメージさせ、その精神的な苦痛は大きなものです。 ですので、もしそのような場面になったときには、私は鎮静死を選択することを決めていますし、その意向を先ほどの3か条にして家族に伝えています。 なぜ家族に伝えているかといえば、差し迫った状況の中で、家族が治療継続を決めたにしても、 止 や めたにしても、どちらを選んでも、私が逝った後に「罪悪感」を感じてほしくないからです。 こうした所作は、「家族のために、私ができるグリーフケア(悲嘆のケア)」だと思っています。 葬儀の方法や葬儀で流す音楽など、死んだ後、つまり「終活」の議論はしても、一番大切な「死ぬまでの時間の過ごし方」を考えていることは少ないのではないでしょうか? でも大切なのは、死んだ後より死に方です。 本当は、犬や猫のように自然にその日がきてそのままパタンと亡くなるのが一番だと思いますが、なかなかそうもいかない。 人は生きるのも大変ですが、死ぬのも大変なのが現実です。 乳幼児期は公民権運動真っ盛りのアメリカで成長。 大学で都市計画を学んだ後、再開発などの都市計画事業や環境学習などに従事。 2004年夏、30代でがんの診断を受けた後は自らの病気体験や社会経験を生かした働く世代のがん患者・家族の支援活動を開始、現在に至る。 社会福祉士、技術士、産業カウンセラー。 編著書に『がんと一緒に働こう』『がん経験者のための就活ブック』(ともに合同出版)などがある。 趣味はおもちゃ集めとランニング、音楽。 ランニングは1か月150キロを走る。 グラムロックやハードロックをこよなく愛し、いつの日かフレディ・マーキュリーのお墓参りをする計画。 外交的に見えて実は内向的という典型的な 水瓶 ( みずがめ )座。 旦那と愛犬(名: 爺次 ( じいじ ))、愛亀(名:平次)と暮らしています。 死のイメージはまさに私が抱いているものと同じです。 両親ともに尊厳死を選びました。 事前に書面で伝えておいてくれたので迷うことはなかったけど、どんど... 死のイメージはまさに私が抱いているものと同じです。 両親ともに尊厳死を選びました。 事前に書面で伝えておいてくれたので迷うことはなかったけど、どんどん衰弱して行く姿を見守るのも辛かったです。 ただ痛みを感じることなく最期を迎えることができたのはほっとしました。 私自身は桜井さんと同じで痛みだけはとってほしいので、尊厳死または鎮静死を選択します。 家族にはすでに伝えてありますし、医療に関する遺言も作成済み。 死は誰にでも平等に訪れます。 どう死にたいかはどう生きたいか。 とかく死について語ることをタブーとする風潮がありますが、死生観を持つことは大事だと考えています。

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死に方についてもっと議論しよう【安楽死について議論したい】

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「尊厳死は認められるべき」 「平均寿命が延びたと手放しで喜べない現実だからこそ…」 「実際自分がそういう立場になったら安楽死を選ぶ」 「自分の命の終わりは自分で決めてもいいはず」 「認知症でベットに拘束され周りに迷惑掛けるくらいなら…」 「安楽死を認めた方が幸せなケースもある」 「事故や病気で苦しみながらは、誰も望んでないんだから…」 出典: 賛否はあるだろうが、ネットの意見としては、圧倒的に「賛」が多く、自分がそうなった時、自分の周りの人 親など がそうなった場合を想定して、「日本でも認めていくべきだろう」という声が多数、寄せられた。 ちなみに、橋田先生の調べによると、スイスに安楽死させてくれる団体があり、費用は70万円とのこと。 「ディグニタス」について しかし、これだけの「賛同」があるのに、日本 以外の認められていない国でも で法制化の動きがないのはナゼなのだろうか… 「犯罪」に結び付く可能性が高い 少子化の問題と高齢化の問題。 それに伴い、これからの日本において、考えなければならないテーマのひとつである、「安楽死」。 橋田寿賀子がこういったテーマをあげたことで、「よく言ってくれた」「一番重要な課題」など、感心を寄せる人も多いようだが 出典: 医師会の儲けも指摘されているが、もっとも恐ろしいのは、「安楽死容認」による「犯罪」が多くなってしまうということだ。 「介護が辛くなったから安楽死を選ばせた」「殺人を安楽死にみせかけた」など、たしかに危険性は否めない… そして… 「自殺者」が多発する 出典: 「年齢制限なしの安楽死」ということが認められたら、若年層による「安楽死」と見せかけた自殺者の数が倍増するのではないかという指摘も… ちなみに、今年5月に発表された「2016年版・自殺対策白書」では、2015年の自殺者数は前年比1402人減の2万4025人」、4年連続で3万人を下回っているという。 つまり、自殺者数は減少しているということだ。 1998年に達した3万人に急増する前の1997年(2万4319人)の水準まで減ったという。 規定をしっかり定めれば「ただ死にたい」という理由で「安楽死」を選ばせることはできなくなるが、その「誰もが納得する安楽死のルール」を定めるのに、何年もかかりそうである…。 また、これらは「安楽死」ではなく「尊厳死」にあたるのではという指摘も… ただ、家族に多額の請求がかかり、利用者の時間をストップさせてしまう「電車の飛び込み」や、見てしまった通行人がトラウマになってしまう「飛び降り」など、人に迷惑を掛ける死に方 自殺 【浦安通り魔事件】瓜生裕美が狂ったのは精神病院の「担当医師」と「旦那」のせいか? ,, ,, — 危機タイムズ KIKIPlanning そして、今流行の「みんな殺して死にたかった…」など、「世の中どうでもいいと思った殺人」を防止するために「安楽死」という選択があれば、少しは違うのかなという気もする…。 ただ、「安楽死」であれ何であれ、死んだ側は気楽(?)だろうが、家族や友人は、自分自身がが死ぬまで一生、その苦しみを背負わなければいけないかもしれない… 「自分の意思で行動できるうちに」やっておくこと 橋田先生は、この「 」の文章の中で、「洋服やバッグを全部処分して、捨てきれない宝石や絵画、時計は死んでから処分してもらうことにした」と綴っている。 つまり、「終活」による断捨離だ。 実際に、こういった「安楽死」の様子がアップされた動画が投稿されていたりする… この動画を見た視聴者からは、「違法でもなんでもいいからこの薬を今すぐにでも手に入れて死にたい!」「無責任に生きることを強要しないで欲しい」「日本でも安楽死が認められて欲しい」「スイスに生まれたかった…」「なんていう薬か教えてほしい」など、肯定的 ? なコメントが寄せられている… たしかに、病気などで寝たきりになり、家族の負担も大きく、自分は毎日病院の天井を見上げているだけ…なんて、「辛すぎる」「無理だ」と思うのも無理はない… しかし、本当に病気で、事故で、痴呆症で、苦しんでいる方が言っているのなら理解できるが、「まだまだ元気なネット世代」のこういったコメントを見ていると、今の日本には、「人生を早く終わらせたい」と思っている若者が多いのだと実感する。 若くとも、病気になっていなくても、「早く死にたい」って… 本当は国もそうして欲しい!? 今後、年配者への年金支給や生活保護などで、国の借金は確実に増える一方。 また、国に守ってもらっている側も、「そこまでして生きたくない」と思う人は少なくないはず….

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死に方 : 人に迷惑をかけないように死にたいので、どこまで片付け

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慢性的な希死念慮はうつ病の可能性があります。 理由ははっきりしないのに何となく「もう死にたい」という気持ちを抱えている場合、注意が必要です。 「毎日が空しい」「希望がまったく見えず、何もかも投げ出したい」「自分は周りのみんなに迷惑をかけているだけだ」……。 心の危機は、深刻な状態になっていても心の中にあるだけに、他人からはなかなか分かりづらく、一人で辛さを抱え込むことになりがちです。 多くの場合、上記のような死にたいという気持ちが生じるのは、何かショックな出来事が起きた直後です。 そしてほとんどは一時的なもので、しばらくすると元の精神状態に戻るものです。 しかし、時には心の不調が慢性化してしまい、死にたい気持ちが生じたまま、なかなか消えなくなってしまうことがあります。 今回は死にたい気持ちへの対処法を、うつ病との関連から詳しく解説します。 様々な心の病気…うつ病の場合は特に自殺願望に注意を 死にたい気持ちに陥ってしまうほど心が危機的な状態になる原因は、実に多様です。 自殺願望を持つきっかけとして、具体的な悩みがあるケースは少なくありません。 例えば「深刻な病気を発症してしまい、健康がすぐれず将来が不安」「仕事が激務で厳しく、精神的に辛すぎる」「大切な人と死別してしまい生きがいを失ってしまった」「事情があり家族と離れ離れになってしまい孤独感が強い」など、健康、仕事、家庭など、いずれの場合も何らかの解決困難な問題がきっかけとなることが多いようです。 また、これらのような具体的な理由がなくても慢性的に気分が冴えず、気質的に空虚感を憶えやすく、死にたいと考えてしまう場合もあります。 ここで重要なのは、どんな具体的な悩みがある場合であれ、「解決困難」というのは、「その時の自己判断で」という点であることです。 たとえ何らかの合理的な解決策や未来への希望があったとしても、心が疲れきっていて、いつもと同じレベルの判断力、洞察力を失ってしまった状態では、解決策や希望を見いだすのは難しいかもしれません。 将来的に事態が好転する可能性や、何か深刻な問題を抱えてしまっても時間が経つにつれて、そこからできる生きがいを新たに見つけられることは実際に少なくないものです。 しかし、ここにうつ病などの心の病気を伴ってしまった場合、うつ病が原因で気持ちの落ち込みと共に心身の機能もスローダウンしてしまい、いつもどおりの判断力、洞察力も失ってしまうことがあります。 実際には完全に絶望的な状態でなくても、希望がないと自己判断して死にたい気持ちを強めてしまうことがあるため、特に注意が必要です。 希死念慮(きしねんりょ)と自殺願望の違い 死にたい気持ちについて考えるとき、「希死念慮(きしねんりょ)」という言葉があります。 自殺願望はたとえば上記のように、解決困難と思える問題があり、そこから逃れる方法として死ぬことを考えてしまうことです。 自殺願望を持つ人が、「仕事がうまくいかず毎日が辛い」「酷いいじめにあっている」「借金で首が回らなくなり、どうすることもできない」といった何らかの死にたくなってしまう理由を持っていて、それらから解放される方法として自殺を考えてしまうのに対して、希死念慮は特に理由はないけれど、何となく生きているのが苦痛で死んでしまいたいと思うことと区別されているようです。 しかし、「死にたい理由がない」という中には、本人が理由を理由として認めたくないということも含まれていると思います。 その意味で、希死念慮と自殺願望を厳密に区別することは難しいかもしれません。 また、いずれも心の危険な状態であることに変わりはないため、対策として行うことも同様。 いずれにしてもうつ病の可能性に注意して、深刻な場合には早めに精神科を受診した方がよいことに変わりありません。 死にたい気持ち・希死念慮・自殺願望とうつ病の関係 希死念慮にしても自殺願望にしても、死にたい気持ちが生じているとき、第一に注意すべきことは、上記にも述べた通り、うつ病の可能性がないかを考えることです。 うつ病を発症すると気持ちが落ち込み過ぎた状態になりますが、これはその方の心が弱いためではありません。 脳内の神経伝達物質であるセロトニンなどの働きに問題が生じて起きる症状です。 そのため、乱れたセロトニンの働きを元に戻す適切な治療を受ける必要があります。 うつ病になると心身の機能がスローダウンしてしまうため、思考力、集中力が低下し、物事を今までどおりに判断できなくなります。 自分を悩ませている問題が必要以上に大きく見えやすくなるとともに、自責の念が増してきます。 死にたい気持ちも生じやすく、心の苦しみから逃れるためには、自分で命を絶つことが唯一の解決策だと判断してしまう場合があるのです。 実際、自殺者の多くは、自殺の時点で、うつ状態になっていたことが分かっています。 もしも死にたい気持ちが生じていたら、うつ病が重症化している可能性があります。 ぜひ、精神科(または神経科)をすぐに受診されることをお考えください。 死にたい気持ちへの対処法……まずは話しましょう 死にたい気持ちが生じるほど、心を危機状態に陥らせないためには、まず心の重荷を必要以上に深刻化させないことが大切です。 悩みを自分の心の中にだけ秘めていては心の健康を損ないます。 悩みごとの深刻度が、実態以上に心の中では大きくなりやすいからです。 誰か信頼できる人に自分の悩みを話すことは、話すこと自体が心を軽くするうえ、その問題を新しい角度から見るきっかけにもなりますので、話せる機会は逃さないようにしたいものです。 また、ストレス対策も重要ですが、冴えない気分を癒す手段として、飲酒やギャンブルなどにのめり込まないよう注意しましょう。 これらはストレス解消効果も一時的ですぐに元の冴えない気分に戻りやすく、悪循環に陥るリスクがあることに加え、依存症などのさらなる問題を生み出してしまうこともあります。 運動で汗を流すなど、より健康的なストレス対策法をぜひ取り入れてみてください。 最後に繰り返しますが、もしも現在、死にたい気持ちが生じている場合は、健康的な思考、正常な判断を妨げる「うつ病」が重症化している可能性があります。 すぐに精神科(または神経科)受診を考えましょう。 また、家族などの身近な方から死をほのめかすような言葉を聞かれた方は、軽く考えず、ぜひ精神科受診を促していただければと思います。 自分は自殺願望などの考えには無縁だと感じている方は、正しく理解するために「」記事も、ぜひご覧いただければと思います。

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