すさまじきもの 内容。 『枕草子』すさまじきもの(22段)

枕草子『すさまじきもの』解説・品詞分解(1)

すさまじきもの 内容

古典文学の中で使われることばの中には、今の私たちには馴染みのないものがあります。 例をあげれば、「うべ(むべ)」(=なるほど・もっともな)、「かまびすし」(=うるさい)など。 問題なのは、同じ言葉に見えながら昔と今では意味の異なるもの。 それが一番厄介かもしれません。 たとえば、「すさまじ」。 今でも「すさまじい」ということばは使いますよね。 「恐れを感じさせるほどである。 ものすごい。 程度がはなはだしい。 」というような感じを表す場面が多いでしょう。 ところが、それをそのまま古典の解釈に持ち込み、「『すさまじ』ならわかる、わかる。 」とばかりに油断してかかると、誤ってしまうことがあるのです。 古語としての「すさまじ」は、「その場にそぐわない様子でつまらない。 興ざめである。 」というような意味で用いられているからです。 今風にいえば、「なんとな~くしらけてみえる。 」という感じでしょうか。 清少納言の「枕草子」に「すさまじきもの」という章段があります。 そこでは… 「昼吠ゆる犬。 春の網代(あじろ)。 三、四月の紅梅の衣(きぬ)。 牛死にたる牛飼い。 乳児(ちご)亡くなりたる産屋(うぶや)。 …」 など、彼女の感性からみた「すさまじきもの」が連ねられています。 「網代」は秋から冬にかけて設置する魚採りのしかけ。 「紅梅の衣」は春の初めにふさわしい着物の色目の合わせ方。 ですから、「春の網代」も「三、四月の紅梅の衣」も季節を外れているわけですね。 お産のための部屋からは、やっぱり元気な赤ちゃんの声が響いてこなくちゃ…、と残念に思う気持ちもあらわれています。 そんな厳しい美意識を持った彼女からすれば、こんなのは真っ先に「いとすさまじ!」と言われそう。 「八月の朝、曇天の下の向日葵」 でもね、「お日様なんぞ出ていようがいまいが構うもんか!」と言わんばかりに、毅然たる風情で咲き誇っていた姿は、なかなか迫力がありました。

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【すさまじきもの】 ~第二十三段(三)_枕草子_日文古典名著_日语阅读_日语学习网

すさまじきもの 内容

古典文学の中で使われることばの中には、今の私たちには馴染みのないものがあります。 例をあげれば、「うべ(むべ)」(=なるほど・もっともな)、「かまびすし」(=うるさい)など。 問題なのは、同じ言葉に見えながら昔と今では意味の異なるもの。 それが一番厄介かもしれません。 たとえば、「すさまじ」。 今でも「すさまじい」ということばは使いますよね。 「恐れを感じさせるほどである。 ものすごい。 程度がはなはだしい。 」というような感じを表す場面が多いでしょう。 ところが、それをそのまま古典の解釈に持ち込み、「『すさまじ』ならわかる、わかる。 」とばかりに油断してかかると、誤ってしまうことがあるのです。 古語としての「すさまじ」は、「その場にそぐわない様子でつまらない。 興ざめである。 」というような意味で用いられているからです。 今風にいえば、「なんとな~くしらけてみえる。 」という感じでしょうか。 清少納言の「枕草子」に「すさまじきもの」という章段があります。 そこでは… 「昼吠ゆる犬。 春の網代(あじろ)。 三、四月の紅梅の衣(きぬ)。 牛死にたる牛飼い。 乳児(ちご)亡くなりたる産屋(うぶや)。 …」 など、彼女の感性からみた「すさまじきもの」が連ねられています。 「網代」は秋から冬にかけて設置する魚採りのしかけ。 「紅梅の衣」は春の初めにふさわしい着物の色目の合わせ方。 ですから、「春の網代」も「三、四月の紅梅の衣」も季節を外れているわけですね。 お産のための部屋からは、やっぱり元気な赤ちゃんの声が響いてこなくちゃ…、と残念に思う気持ちもあらわれています。 そんな厳しい美意識を持った彼女からすれば、こんなのは真っ先に「いとすさまじ!」と言われそう。 「八月の朝、曇天の下の向日葵」 でもね、「お日様なんぞ出ていようがいまいが構うもんか!」と言わんばかりに、毅然たる風情で咲き誇っていた姿は、なかなか迫力がありました。

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すさまじきもの 内容

除目(ぢもく)に司(つかさ)得ぬ人の家。 今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、出で入る車の轅 ながえ もひまなく見え、もの詣(まう)でする供に、我も我もと参りつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど、耳立てて聞けば、先追ふ声々などして上達部(かんだちめ)など皆出でたまひぬ。 もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男(げすおとこ)、いともの憂げに歩み来るを見る者どもは、え問ひだにも問はず、外(ほか)より来たる者などぞ、「殿は何にかならせたまひたる」など問ふに、いらへには「何の前司(ぜんじ)にこそは」などぞ、必ずいらふる。 まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。 つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて去ぬ。 古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとをかしうすさまじげなる。 除目の折に官職を得られなかった人の家は興ざめがする。 今年は必ず任官だとのうわさを聞いて、以前に奉公していた者たちで、散り散りになっている者や田舎めいた所に住む者たちがみんな集まってきて、出入りする牛車の轅もひっきりなしに見え、主人が任官祈願に寺社に参拝するお供にと、我も我もと参上し、物を食い、酒を飲んで騒ぎあっているのに、任官の審議が終わる明け方まで門をたたく音もせず、おかしいなと耳をすませば、人を先払いする声などがして、会議を終えた上達部たちはみな退出なさってしまった。 情報を聞くために宵から出かけて寒さに震えた召使いが、いかにも憂鬱げに歩いてくるのを見た人たちは、声をかけて尋ねることもできず、よその者が「ご主人は何におなりになりましたか」などと聞くと、「前の何処そこの国司ですよ」と決まって答える。 心からあてにしていた者は、ひどく嘆かわしく思っている。 早朝になり、すきまなくいた者たちは、一人二人とこっそり立ち去る。 古参で、そのように立ち去れない者は、来年に国司が交代するはずの国々を指を折って数えたりして、体を揺り動かしながら歩き回っているのも、ひどく妙な姿で興ざめがするものだ。

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