心の傷を癒すということ レビュー。 Tvlog

新増補版 心の傷を癒すということ: 大災害と心のケア

心の傷を癒すということ レビュー

【サントリー学芸賞(第18回)】PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ阪神大震災の被災者の「心の叫び」と、自らも被災しながら取り組みつづけた精神科医による臨床報告。 著者と関係の深かった人々の文章を加えた新増補版。 「心の傷を癒すということ」(主演:柄本佑)。 主人公のモデル・安克昌さんのご家族の今の想い、 親友・名越康文さんによる青年時代の思い出、 ドラマの登場人物のモデル(新聞記者、同僚医師……)の安医師への想い、 さらに、NHKプロデューサーによるドラマ化の裏話など……。 柄本さんは、しばらく黙って、こう答えてくれた。 「誰も独りぼっちにさせへん、てことや」。 それは、(安克昌さんがモデルの主人公)安和隆が「心のケアって何か、わかった」から語り始める柄本さん自身のセリフだった。 脚本家の桑原さんは、セリフに込めた思いをこう語る。 「『心のケアって何か、わかった』と書いた直後、手が止まりました。 安さんが人生をかけて掴み取った答えを、私が書かなければいけないのです。 言葉が浮かぶのをひたすら待ちました。 まるで、安さんのそばにじっとたたずんで、口を開かれるのを待っているようでした。 やがて『誰も独りぼっちにさせへん、てことや』という言葉が浮かんだ時、これは安さんが書かせて下さったセリフだと思いました………」。 私も逃げるので精一杯だったんです。 助けてあげられなかった。 それで自分を責めてしまうんです……。 私も死んでしまえばよかった。 しかし今後、傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか? やがて被災地は、復興へと向かっていく。 しかし、〈心の傷〉を見て見ないふりをして前進することではないだろう。 震災直後から被災者が抱える心の傷。 誰もがそこにあることが分かっていながら誰も触れることが出来なかった心の傷。 「他人にはわかりっこないけど、分かって欲しい」と思う気持ち。 「復興」という名の祭りへの疲れ・・・・・・。 「お困りのことはありませんか?」 「眠れていますか?」 安医師が避難所に出向き、傷ついた被災者にかける言葉は専門家として上段からではなく、一人の人間としてそっとそばに寄り添う優しさと謙虚さに満ちている。 心に大きな傷を抱えた人を目の前にした時、私たちに何ができるだろう。 「傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか・・・・・・」という言葉が重く響く。 心のケア=カウンセリングと誤解されているが、決してそうではない。 苦しみがそこにあることに気付くこと、回復に向け懸命に生きる人を、敬意をもって受け入れる社会を作ることも心のケアの意義であると安医師は言う。 そして、ドラマでも何度か繰り返されていた本書最後の一文は、耳に、目にするたびに私の胸を締め付け、重い課題を突き付ける。 「世界は心的外傷に満ちている。 それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。

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『心の傷を癒すということ』 最終話 ネタバレ感想~人に寄り添い人に優しく

心の傷を癒すということ レビュー

このレビューはネタバレを含みます 読む前は、PTSDなどに対する専門的な臨床の方法が書かれていると思っていた。 もちろん少しはそのことが書かれていたが、大半は阪神淡路大震災直後から1年後あたりまでに著者が経験したこと、そしてその中で心の傷を癒すということを改めて考えていく様子であった。 著者の考えをまとめると以下のようになる。 震災において、心に傷を負うということは当然のことだ。 そして、その傷を癒すためには医者だけでなく、周りの人たちが持続的に粘り強く寄り添っていく必要がある。 つまり、これさえあれば治せてしまうような医療技術は存在せず、また医者がどれだけ努力したとしても限界があり、社会や周りの人たちの協力が大切だということだ。 レビューの続きを読む 2013. 19読了 2011. 17購入 【東日本大震災関連・その107】 東日本大震災の後、日経新聞のコラムで紹介されていたので、気になり購入していたのですが、阪神淡路大震災18年の … ニュースを聞いたのを機会に読んでみました。 1995年1月17日の阪神淡路大震災から、ほぼ1年間の著者の精神科医としての活動がつづられています。 日本では、精神科とか、神経科と名乗ると敬遠されてしまうので、精神科医であることは、表面に出さずに活動せざるをえなかったようです。 人間は、体の不調と同様、精神のバランスを崩すことがごく普通にあるという認識が行き渡って、精神科にかかりやすい日が来るのが望ましいのかもしれませんが、本書でも述べられているように、親が子を失った時、子が親を失った時、愛する人を失った時、の悲しみ、等は、同じような経験をした人同士の交流が最も有効な癒しになる、ということもあるようですので、精神科医の役割は、あくまでも脇役ということになるのでしょう。 日本における心のケアは、阪神淡路大震災の経験をきっかけにして、本格化したのでしょうか。 もしそうなら、この本の著者の安克昌さん、や中井久夫さんの果たした役割は大きい、ということになります。 ただ、残念なことには、安克昌さんは、2000年12月にがんのため39歳で亡くなっているとのことです。 この本の単行本は、1996年4月に作品社より刊行されています。 当面の生活維持のため気が張っているためと、あまりのショックで現実感を喪失しているために、うつ状態にならずにいるのだろう。 仕事への没頭も、一時的に喪失体験からの注意を逸らせるために必要なのだろう。 埋もれた人を助ける人手がない。 道具がない。 消火活動するための水がない。 負傷者を運ぶ手だてがない。 病院で検査ができない。 手術ができない。 収容するベッドがない。 そして、スタッフは全員疲労困憊している。 私も逃げるのが精一杯だったんです。 助けてあげられなかった。 ……それで自分を責めてしまうんです。 今も耳元で〝助けて、助けて〟という声がするんです。 誰しも自分の心の傷を、無神経な人にいじくられたくはない。 心の傷にまつわる話題は、安全な環境で安全な相手にだけ、少しずつ語られるのである。 治療を受けていないアルコール症者が多いようだったが、なかには数年間断酒していたにもかかわらず、震災後のストレスによって再飲酒し始めた人もいた。 ひどい場合には記憶を失うことすらある。 これは、衝撃から自分を守ろうとする無意識の心の働きである。 精神医学では、この反応を「解離」と呼ぶ。 一方、「否認」と言う防衛機制もある。 これは、「解離」と違ってその人が自分の体験を認めたくないことを、ある程度意識している。 これは厳粛な事実である。 だから、死別体験者の苦しみとは、この動かしようのない事実をいかにして受け入れるかという葛藤であろう。 だが死別という事実は、時間さえ立てば受け入れられるというようなものではない。 死別を十分に悲しむという作業 「グリーフワーク」と言う がまず必要である。 そして葛藤の中で考え、感じ、話すことによって、喪失は受容されていくもののようである。 また私の知人は、大阪にある職場で「いつまで甘えてるんや」と言われてひどく傷ついたと言っていた。 この後は、「自力」だけで立ち直っていかなくてはならないのだろうか……。 周囲の大人が発見して初めて顕在化するのである。 内訳は、韓国・朝鮮百十一人、中国・台湾四十四人、アメリカ二人、ペルー一人、ブラジル八人、フィリピン二人、オーストラリア一人、ミャンマー三人、アルジェリア一人などとなっている。 21 「大震災復興への警鐘」内橋克人・鎌田慧著、岩波書店、1995. 17 「神戸発阪神大震災以後」酒井道雄編、岩波新書、1995. 20 「災害救援」野田正彰著、岩波新書、1995. 20 「わが街」野田正彰著、文芸春秋、1996. 20 「神戸震災日記」田中康夫著、新潮文庫、1997. 01 「ヘリはなぜ飛ばなかったか」小川和久著、文芸春秋、1998. 10 「復興の道なかばで」中井久夫著、みすず書房、2011. 10 「阪神・淡路大震災10年」柳田邦男著、岩波新書、2004. 21 2013人2月15日・記 (「BOOK」データベースより) 1995年1月17日未明、震度7という激震が阪神・淡路地方を襲った。 全てが手探りの状態で始まった精神医療活動、発症する数々の精神障害、集まった多くのボランティア、避難者や仮設住宅の現実…。 震災がもたらした「心の傷」とは何か? そして本当の「心のケア」とは何か? 被災地から届けられた、「いのちとこころ」のカルテ。 第18回サントリー学芸賞受賞作。 続きを読む.

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心の傷を癒すということのレビュー一覧

心の傷を癒すということ レビュー

「心の傷を癒すということ」 主演:柄本佑。 主人公のモデル・安克昌さんのご家族の今の想い、 親友・名越康文さんによる青年時代の思い出、 ドラマの登場人物のモデル 新聞記者、同僚医師…… の安医師への想い、 さらに、NHKプロデューサーによるドラマ化の裏話など……。 サントリー学芸賞受賞作の増補決定版 大震災で、人の心はいかに傷ついているのか? そして、復興によって癒すことはできるか? 柄本さんは、しばらく黙って、こう答えてくれた。 「誰も独りぼっちにさせへん、てことや」。 それは、 安克昌さんがモデルの主人公 安和隆が「心のケアって何か、わかった」から語り始める柄本さん自身のセリフだった。 脚本家の桑原さんは、セリフに込めた思いをこう語る。 「『心のケアって何か、わかった』と書いた直後、手が止まりました。 安さんが人生をかけて掴み取った答えを、私が書かなければいけないのです。 言葉が浮かぶのをひたすら待ちました。 まるで、安さんのそばにじっとたたずんで、口を開かれるのを待っているようでした。 やがて『誰も独りぼっちにさせへん、てことや』という言葉が浮かんだ時、これは安さんが書かせて下さったセリフだと思いました………」。 私も逃げるので精一杯だったんです。 助けてあげられなかった。 それで自分を責めてしまうんです……。 私も死んでしまえばよかった。 しかし今後、傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか? やがて被災地は、復興へと向かっていく。 しかし、〈心の傷〉を見て見ないふりをして前進することではないだろう。 1973年、東大阪市立縄手小学校卒業。 1976年、私立星光学院中学校卒業。 1979年、私立星光学院高等学校卒業。 1985年、神戸大学医学部卒業。 1991年5月1日、神戸大学医学部附属病院精神科神経科助手となる。 同年6月30日、結婚。 1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。 自らも被災しながら、全国から集まった精神科ボランティアをコーディネイトし、精神科救護所・避難所などでカウンセリング・診療などの救護活動を行った。 同年4月、著書『心の傷を癒すということ』を刊行 作品社。 同年12月、同書が「サントリー学芸賞」を受賞。 1997年、神戸大学医学部附属病院精神科神経科講師となる。 2000年、神戸市立西市民病院精神神経科医長となる。 同年5月、肝細胞ガンが発覚。 同年10月20日、神戸市立西市民病院精神神経科で最後の診察をして休職。 同年12月2日、神戸市立西市民病院で死去、享年39歳。 資格、1985年、医師免許証 4295 、1990年、精神保健指定医 8392 、1997年、博士 医学 神戸大学 本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです 私もドラマを見て読んでみようと思いましたが、放送にあたって再版されたと思われるこの版が既に新品が入手困難ということで困惑してしまいました。 初版は入手困難なようですが、この版の一つ前の版の中古があるもののお値段が高すぎます。 今現在この版の新品が 2,120円で出品されていますが送料がなんと 2,977円。 本一冊送るのにどこの業者を使ったらそんな送料がかかるというのでしょうか?これは商品の価格を安く見せるための設定でしょう。 Amazon さんにはしっかりチェックしてもらいたいものです。 書店を通じて出版社に問い合わせましたら今月20日には増刷出来とのことで、書店には月末頃に入荷するそうです。 この作品はサントリー学芸賞を受賞したとドラマの中でも触れられていましたが、専門書ではないものの小説ではないのでドラマの感動を再度と期待して購入するのだとしたらちょっとあてが外れるかもしれません。 39歳で肝細胞癌で亡くなったとは残念なことです。 ドラマでは手術はできない状態ということでしたのでステージ4だったのでしょう。 専門外とはいえお医者様なのに、と誰でも思うのではないでしょうか。 入荷を待って、新たに加えられた文章などもじっくり読みたいと思います。 2020. 20 追記。 安医師その人がどういう人であったかをもっと知りたい方には『精神科医・安克昌さんが遺したもの: 大震災、心の傷、家族との最後の日々』をお読みになることをお勧めします。 肝細胞癌が発見されてから安医師がどう生きたかが綴られています。 ドラマとは違って父親や恩師との関係、奥様との出会い、仲間とのジャズ演奏などは述べられていませんが、病態がどうであったか、それを安医師がどう受け止めたか、どうして入院を選択せずに家族と生きることを選び、仕事も続けたかが描かれています。 もともと分裂病が専門であったことからPTSDと多重人格の関係に着目してその治療に力を注がれたのですが、新聞の連載が書籍化されてサントリー学芸賞を受賞したことによって「心のケア」の専門家とみなされるようになってしまったこと、その事によってその方面の仕事の比重が増えたことが死の遠因になったのではないかとも述べられています。 (2020. 29 追記) 昨日書店より入荷の案内がありました。 「世界は心的外傷に満ちている。 それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである」 p. 258。 心に傷害を負った三十年前、ぼくは、一方では、自分の心を自分の体内で治癒するための書を漁ったが、他方では、自分の内的救いを求めるだけで社会の救いを放置してよいのかという引け目があった。 そんなとき、社会の問題をも重視する信田さよ子さんのような精神治療家にも出会った。 人の心と社会とは別問題ではなかったのだ。 「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。 清くなれ』と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。 イエスはその人に言われた。 『だれにも話さないように気をつけなさい。 ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい』」(マタイによる福音書8:3-4)。 イエスの時代、病者は社会の外にはじき出された。 病が癒えれば社会に戻れた。 言い換えれば、社会とのつながりを回復することが、イエスの「癒し」だった。 本書の著者の安克昌さんなら、「ケア」と言うかも知れない。 「被災直後の人たちには、自分たちが見捨てられていないと感じる必要がある」 p. 医学的にPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断される病者を軽視してはならない。 しかし、「世界は心的外傷に満ちている」。 被災者には、あるいは、いろいろな形で傷ついている人びとには、人とのつながり、社会とのつながりが大切だ。 「心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのではないか」 p. 「住民が尊重される」とは人権や衣食住の保証とあわせて、その人の心が大切にされることであろう。 しかし、それは「あなたの気持ちはよくわかります」ということではない。 「わかりますよ、と言ったとたんに、私の姿勢そのものが嘘になってしまう」 p. けれども、安さんは、しょせん人の気持ちなどわからない、とクールに言いたいのではない。 「(わたしの苦しみなど誰にも)わかりっこないけど、わかってほしい」ということをわかろうとする、「品格」のある、やさしい人なのだろう。 品格とやさしさこそが、人が社会で生きる意味ではないか。 本の中でしかあったことがないけれども、ぼくは、39歳で夭逝した、同じ年生まれの安さんが好きだ。 尊敬する。

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