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メンバーと担当楽器 [ ] 名前 生年月日 出身地 担当 (たまき こうじ) 1958-09-13 (61歳) 出身 (やはぎ わたる) 1957-06-27 (62歳) ギター コーラス (たけざわ ゆたか) 1958-05-16 (62歳) ギター コーラス (たなか ゆうじ) 1957-05-29 (63歳) パーカッション コーラス (ろくど はるよし) 1955-10-01 (64歳) 出身 ベース コーラス 来歴 [ ] アマチュア時代 [ ] 1972年、では、2年時のクラスに転入生だったを迎える。 中学進級時から自己流でを弾き始めていた玉置は、武沢の大きな掌にを稽古していると恐れを覚えるほどであったが、それがを習っているからだと知り、練習曲を上手く弾く武沢に惹かれ、バンド結成を誘う。 一方、1972年、同じ旭川で、中学3年の同級生としたがギター、がドラムでバンドを結成していた。 また、同じく旭川では、1971年から1972年頃、年長者とバンドを組み活動していた。 1973年4月、玉置浩二(ボーカル)、武沢豊(ギター)、武沢俊也(武沢の兄、ギター・キーボード)の3人でバンド『 インベーダー』を結成する。 フォークグループとしてスタートし、演奏曲目はの「」を得意とした。 後にロックグループへの志向から『 安全地帯』へ名称変更する。 旭川市内に路線を持つ、のにあるの標識が、「Victory」の頭文字「V」に似ていたことで、初期のバンドメンバー・進藤による命名である。 他案に『危険地帯』も候補に上ったが、「=危険(な音楽)」というイメージを連想させることが平凡なため、採用しなかった。 11月、玉置の兄、玉置一芳がドラムで、宮下隆宏がベースで参加した。 に憧れていた玉置一芳の影響でロックに傾倒し、(ポプコン)第6回に初出場。 第11回を除く第13回まで連続出場した。 一方、将来の他のメンバーたちは、1973年には、六土開正が自身がリーダーとなる『 六土開正バンド』を新たに結成。 ここに、矢萩渉、田中裕二が参加した。 1976年、ポプコン第12回では「昔にみたもの」で北海道代表となり、つま恋本選会に出場した。 この年の暮れ、12月25日、内にて番組の生放送に出演し5曲演奏した。 『安全地帯』としてのラジオ初出演であった。 1977年6月、玉置一芳が脱退し、ドラムに大平市治が加入する。 12月、、などのを演奏していた『六土開正バンド』と合併する。 これにより、(ベース、キーボード)、(ギター)、(ドラム)が安全地帯に参加することとなった。 音楽性はから、、を中心としたアメリカンロックへと幅が広がった。 オリジナル曲の制作も増え、作詞は初期に玉置、後に武沢俊也が担当。 作曲は玉置が行った。 1978年2月、旭川市郊外の永山地区にある廃農家を借り、居住空間を確保した音楽専用スタジオに改装する。 『 ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション』(略称MFP、「音楽を耕す農夫集団」の意)と命名する。 屋根と壁に囲われた空間に床を張り、防音材を四方の壁に詰めて水道を引き込んだ簡素な改装であったが、費用500万円は借金したためにメンバーはアルバイトに精を出すこととなった。 一方、四周300mに一軒の隣家のないMFPでは、連日連夜、1日7〜8時間にわたって演奏練習、楽曲制作・録音に励むこととなった。 なお、この音楽専用スタジオは後に脱退する宮下隆宏オーナーのフランス料理レストランに変貌し、MFPは安全地帯が設立した事務所名となる。 7月、第1回 に出場し、グランプリを獲得する。 11月、田中裕二、宮下隆宏が脱退する。 そのため、六土開正はベース担当へ復帰。 のような雰囲気を醸し出すバンドメンバーの、パンチのある、ストレートな、想像以上の、演奏を見て金子は安全地帯の将来性に確信を持った。 長期にわたる合宿により実力をつけ、数々のコンテストで入賞を果たし、北海道で実力No. 1のアマチュアバンドとなった。 1979年5月、当時のキティレコード(現)からレコーディングのチャンスが巡ってきた。 しかし、バンドサウンドは未完成との判断で保留となった。 8月、の旭川、札幌公演では前座として出演した。 11月26日、武沢豊が飲酒運転の車に衝突され、肋骨全部の骨折という重傷で入院する。 1980年4月、今度は六土開正が病気のため入院することとなった。 10月になりキティレコードから再びレコーディングの依頼があり、まだ回復していなかった六土が病院の特別許可を得てライブ参加。 ライヴ当夜、キティレコードと仮契約が結ばれた。 11月には六土が退院、12月に武沢豊が仮退院とバンド復帰に向けて活動を始めた。 28日のライヴ終了後、元のギタリストでの編曲やバンドサポートで活躍していたを交えてミーティングを行う。 星は心身ともに優れず意気消沈しているこの時期の安全地帯の精神的支柱となっていた。 1981年1月になりやっとキティレコードから正式なレコーディング依頼を受けた。 しかし、3月に武沢俊也が脱退する。 7月になるとが星勝の紹介でMFPを訪問し共演する。 陽水からはロック以外にもやなどの幅広い音楽に目を向けるように促される。 その後、井上の招聘により安全地帯が上京する。 東京での初ライヴを渋谷『』で開催。 伊豆ポリドールスタジオ(後のキティスタジオ)にて、「」のレコーディングを開始し、その合間に東京、大阪、神戸のライヴハウスに出演する。 8月、『'81井上陽水ツアー』にバックバンドに起用され、同行が決定する。 MFPに戻り、ツアーのための練習に励む。 22日、第4回ステージフライトにゲスト出演する。 井上のツアーの最終リハーサルとレコーディングのため再び上京し、東京での合宿生活が始まる。 9月24日、井上陽水ツアーがからスタートし、12月10日の東京・の最終回まで全国23カ所の公演に参加する。 ツアー衣装は、当初無給のため、渋谷のジーンズメイトで購入したものを履き、鉢巻きというスタイル。 ツアーの経験から、自信のあった練習量、実力のある多くの同等バンドの存在に気付き挫折感を味わうが、さらに練習に励む。 11月、「オン・マイ・ウェイ」が・のCMソングに起用され、北海道、東北地方にて放映される。 メジャーデビュー [ ] 1月24日、系音楽番組『』に井上陽水のバックバンドとして初出演する。 井上陽水の春・夏のコンサートのサポート・ミュージシャンとして参加し、秋から翌年1月までの全国ツアーのバックバンドを務めた。 2月25日、1stシングル「」でデビュー。 4月、キティレコードと正式契約。 メンバーは東京に転居して合宿生活を開始するが、大平市治が脱退する。 田中裕二が再加入することで、デビュー以後の安全地帯の5人のメンバーが確立した。 5月、東京・渋谷『エッグマン』でライヴ。 7月、井上陽水のバックバンドとして、東京・、のコンサートをサポートする。 8月上旬、札幌市郊外で開催されていた『北海道博覧会』特設会場に、FM北海道の招きで出演する。 下旬、1stアルバム『』のレコーディングを伊豆ポリドールスタジオで開始し、メンバーの合宿生活を終える。 玉置は、東京・目黒の四畳半一間のを借家。 一人暮らしに馴染めず、売り上げの芳しくないレコード、コンサートが続くことも相まって、自暴自棄に陥りそうになる。 苦しいなりにも自信は失っておらず、テレビコマーシャルか番組主題歌に起用される機会を窺っていた。 10月25日、2ndシングル「オン・マイ・ウェイ」を発表。 11月、井上陽水のツアーに翌年1月まで同行した。 1月25日、1stアルバム『』を発表する。 その後、から発売された「」のに起用された4thシングル「」が大ヒット。 一躍全国にその名が知れ渡る。 2ndアルバム『』、7thシングル「」、3rdアルバム『』をリリースし、翌年1月には8thシングル「」をリリースし、立て続けにヒットさせる。 9thシングル「」が大ヒット。 の『』、『』年間第1位に輝き、同年の出場を果たした。 また、では史上初で唯一となる2年連続で最優秀歌唱賞を受賞した。 8月、においては初となるコンサートを井上陽水と共に行う。 9月、陽水とのコラボレーションした12thシングル「」を発売。 12月、アナログ盤にして3枚組となる5thアルバム『』を発売。 また、「ワインレッドの心」「恋の予感」「」などがでカバーされ、それぞれヒットした。 安全地帯の活動の合間を縫ってソロでの活動も進められ、夏に玉置自身初のソロでのシングルとアルバムをリリースする。 秋、でのコンサートを最後に活動休止を宣言。 その原因として、メンバー個々の活動が活発化し、6thアルバム『』以降の音楽性の追求方向のメンバー間の相違によるとされる。 宣言後の5人は約2年間、個々の活動を行う。 12月、自身初のベストアルバム『』をリリースする。 7月、約2年ぶりとなる7thアルバム『』をリリースする。 収録曲の「この道は何処へ」はテーマ曲。 12月、8thアルバム『』をリリースする。 12月、アコースティックスタイルでのコンサートツアーの終了時点で、実質的に長期活動休止に入る(ただし解散ではない)。 2度の長期活動休止 [ ] 2月10日、23rdシングル「」がリリースされる。 活動休止を境に玉置は、ソロと俳優業を中心とした活動に移行し、はプロデュース業に専念、他のメンバーも個々の活動に入る。 この時、安全地帯の所属会社がキティレコードからに移るが、安全地帯名義の活動は約10年間休止したままだった。 武沢が脱退を発表。 メンバー4人は玉置浩二のソロプロジェクトで当分の間活動することになる。 玉置一芳(ドラム)、宮下隆宏(ベース)が一時的に復帰。 しかし、実質的には玉置ソロ活動のサポート・ミュージシャンが帯同して、4名の活動となった。 7月19日、旭川市の野外ライブ『'98in』で約5年ぶりにメンバー5人全員が揃う。 この頃より安全地帯としての音楽製作を本格的に再開する。 7月10日、9年ぶりに24thシングル「」がリリースされる。 発売前日、5人揃って記者会見が行われた。 8月7日に9thアルバム『』が発売され、9月からツアーが始まったが、武沢は怪我のため参加できなかった。 10月22日、10thアルバム『』がリリースされる。 ツアーでは5人全員が揃い、80年代の活動の場であったライブハウス「」でもライブを行う。 12月、ツアー全日程を終了。 ツアー終了後約6年間、グループは再び長期休止状態となる(この時も解散扱いとはしていない)。 「完全復活」〜現在 [ ] 1月8日、前年秋からメンバーによる楽曲製作の合宿を極秘裏に行っていたことが、フジテレビ系情報番組『』で放映され、27thシングル「」のリリースと3月のイベント出演が公表された。 所属レコード会社はユニバーサル ストラテジック マーケティング ジャパンに移籍(実質的には復帰)した。 同日に「蒼いバラ」、2月3日にカップリング曲の「ワインレッドの心 (2010ヴァージョン)」の配信がスタート。 6月には、先の「」や、「」等のヒット曲を新たにレコーディングし直したグループ初のセルフカバーアルバム『』が発売された。 7月からは7年ぶりとなる全国コンサートツアーを開催し、9月下旬から10月上旬にかけて・・の海外公演も決定した。 なお、9月12日に行われたでの公演は、玉置浩二が体調不良の状態でステージを敢行したものの、観客とのトラブルが生じたため、コンサートは中止扱いとされた。 全国ツアー最終の10月5日・6日は、18年ぶり24回目となるで公演を行った。 7月1日、番組『ソルトモ! 』にて、ソニーへの再移籍ならびにデビュー30周年を節目とした初のレーベル『SALTMODERATE』の発足を発表。 8月22日にはセルフカバー曲を中心としたアルバム『』を発売した。 9月にはとでのライブを敢行。 その模様が収録されたライブDVDは12月に発売された。 12月17日から12月25日にかけて、グループとして初めてのクリスマスディナーショーを開催。 14thアルバム『』を発売。 レーベル発足後初となる全国ツアー開催。 へ参加。 その後・・でのアジアツアーを挙行。 5月31日、デビュー35周年を記念して初のオールタイム・ベストアルバム『ALL TIME BEST』をリリース。 6月25日放送の『玉置浩二ショー』ではメンバー全員が出演した。 さらに、11月22日にオリジナルアルバム全14タイトルを紙ジャケット仕様と高音質CDで再発売することが決まった。 『ALL TIME BEST』の発売と同時に発表されていた11月23日・24日の2日連続での日本武道館公演では、超満員となる計2万5000人を動員。 12月9日の香港公演をもってツアー日程を終了する予定。 収録アルバム 1st 一度だけ 2nd FIRST LOVE TWICE 3rd エイジ 4th We're alive 1位 5th …ふたり… 20位 6th 59位 7th Happiness 3位 8th 一秒一夜 2位 9th ノーコメント 1位 10th 彼女は何かを知っている 2位 11th チャイナドレスでおいで 2位 I Love Youからはじめよう -安全地帯BEST- 12th 6位 13th 恋はDANCEではじめよう 7位 14th 想い出につつまれて 4位 15th ひとりぼっちの虹 2位 16th きっかけのWink 7位 17th 時計 13位 18th Too Late Too Late 14位 19th ナンセンスだらけ 6位 I Love Youからはじめよう -安全地帯BEST- 20th Seaside Go Go 31位 21st 俺はどこか狂っているのかもしれない 16位 22nd 地平線を見て育ちました。 23位 安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜 23rd あの頃へ 〜'92日本武道館〜命〜「涙の祈り」 14位 24th 野蛮人でいい 20位 25th 57位 26th 40位 27th 9位 28th 17位 29th 59位 オリジナルアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 22位 2nd 2位 3rd 3位 4th 1位 5th 6th 7th 2位 8th 7位 9th 13位 10th 20位 11th 3位 12th 10位 13th 18位 14th 38位 ベストアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 4位 2nd 10位 3rd 4th 5th 6th 156位 7th 9位 ライブアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 2nd 3rd 4th 5th 99位 6th 94位 企画アルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 1st 2nd 3rd 4th 5th 6th CD BOX [ ] 枚 発売日 タイトル Ref. 1st ユニバーサルミュージック 2nd 安全地帯BOX 1982-1993 サウンドトラック [ ] 枚 発売日 タイトル 1st セルフカバーアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 14位 2nd 27位 映像作品 [ ] 発売日 タイトル 販売形態 品番 備考 Ref. 6533-10 6233-10 SM058-0021 KTYM197 WE'RE ALIVE-安全地帯ライブ '84サマーツアー 1984年8月13日 より。 PV収録。 VHS LD KTVV-1025 KTLV-1025 安全地帯 10th ANNIVERSARY CONCERT TOUR ACOUSTIC SPECIAL NIGHT 最終日 1992年12月26日 より 2000年12月20日 DVD UMBK-1006 安全地帯ビデオ・ベスト VHS LD KTVV-1033 KTLV-1033 安全地帯のヒット曲のミュージッククリップ映像や当時の秘蔵映像を収めた映像集。 DVD版では『安全地帯ベスト』と改題された。 1982年 オン・マイ・ウェイ 「アイスコンパウンド」CMソング(・地方のみ) 1983年 ワインレッドの心 「赤玉パンチ」CMソング We're alive ブリヂストン「アイスコンパウンドII」CMソング(北海道・東北地方のみ) 1984年 恋の予感 「ハワイツアー キャンペーン '84」CMソング 熱視線 「高感応」CMソング 1985年 悲しみにさよなら 「秋味」CMソング 碧い瞳のエリス 「」キングコング篇CMソング フジテレビ系『』挿入歌(第19話) 1986年 プルシアンブルーの肖像 東宝系「」主題歌 大王製紙「エリス」もうはなさない篇CMソング 夢のつづき CMソング(関西地方のみ) デリカシー 『』主題歌 ガラスのささやき 系ドラマ『』主題歌 1987年 Friend 大王製紙「エリス」ミステリアスフィットネス篇CMソング 好きさ フジテレビ系アニメ『めぞん一刻』3代目オープニングテーマ 想い出につつまれて 大阪ガスガスファンヒーターCMソング(関西地方のみ) 1988年 じれったい 「That's」CMソング Juliet 『』エンディングテーマ 月に濡れたふたり 「」CMソング I Love Youからはじめよう 太陽誘電「That's」CMソング TBS系ドラマ『』挿入歌 Too Late Too Late 太陽誘電「That's」CMソング [ ] 微笑みに乾杯 JT「SOMETIME MIASS」CMソング 1990年 この道は何処へ テーマソング きみは眠る CMソング 情熱 テレビ朝日系ドラマ『』エンディングテーマ 1991年 いつも君のそばに 「」CMソング 朝の陽ざしに君がいて CMソング 1992年 あの頃へ 「花鳥風月」CMソング 地平線を見て育ちました。 安全地帯ベスト曲集 Guitar songbook(2002年)• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• ろれつ回らぬ玉置浩二さん、客と口論・公演中止 読売新聞 2010年9月13日• ナターシャ 2010年1月8日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年1月8日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年4月6日. 2020年4月5日閲覧。 2010年4月6日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年7月17日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2011年7月21日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年6月1日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年5月13日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2011年9月12日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月12日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月13日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2011年9月22日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月24日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2013年2月26日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2017年2月24日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2017年2月28日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年12月2日. 2020年4月5日閲覧。 TOWER RECORDS ONLINE. 2010年4月20日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2010年6月10日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2012年6月27日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2012年6月29日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2010年12月9日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2012年12月12日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2013年9月25日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2014年4月2日. 2020年4月5日閲覧。 MANTAN 2014年4月4日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2019年9月3日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2019年11月6日. 2020年4月5日閲覧。 1986年7月30日に初放送。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2003年2月12日. 2019年12月28日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年4月7日. 2020年4月5日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 Nikkansports. com. 2011年9月18日. 2020年4月5日閲覧。 MANTAN 2011年9月18日. 2020年4月5日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 外部リンク [ ]• - 田中裕二公式ウェブサイト• この項目は、(・・・・など)に関連した です。

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メンバーと担当楽器 [ ] 名前 生年月日 出身地 担当 (たまき こうじ) 1958-09-13 (61歳) 出身 (やはぎ わたる) 1957-06-27 (62歳) ギター コーラス (たけざわ ゆたか) 1958-05-16 (62歳) ギター コーラス (たなか ゆうじ) 1957-05-29 (63歳) パーカッション コーラス (ろくど はるよし) 1955-10-01 (64歳) 出身 ベース コーラス 来歴 [ ] アマチュア時代 [ ] 1972年、では、2年時のクラスに転入生だったを迎える。 中学進級時から自己流でを弾き始めていた玉置は、武沢の大きな掌にを稽古していると恐れを覚えるほどであったが、それがを習っているからだと知り、練習曲を上手く弾く武沢に惹かれ、バンド結成を誘う。 一方、1972年、同じ旭川で、中学3年の同級生としたがギター、がドラムでバンドを結成していた。 また、同じく旭川では、1971年から1972年頃、年長者とバンドを組み活動していた。 1973年4月、玉置浩二(ボーカル)、武沢豊(ギター)、武沢俊也(武沢の兄、ギター・キーボード)の3人でバンド『 インベーダー』を結成する。 フォークグループとしてスタートし、演奏曲目はの「」を得意とした。 後にロックグループへの志向から『 安全地帯』へ名称変更する。 旭川市内に路線を持つ、のにあるの標識が、「Victory」の頭文字「V」に似ていたことで、初期のバンドメンバー・進藤による命名である。 他案に『危険地帯』も候補に上ったが、「=危険(な音楽)」というイメージを連想させることが平凡なため、採用しなかった。 11月、玉置の兄、玉置一芳がドラムで、宮下隆宏がベースで参加した。 に憧れていた玉置一芳の影響でロックに傾倒し、(ポプコン)第6回に初出場。 第11回を除く第13回まで連続出場した。 一方、将来の他のメンバーたちは、1973年には、六土開正が自身がリーダーとなる『 六土開正バンド』を新たに結成。 ここに、矢萩渉、田中裕二が参加した。 1976年、ポプコン第12回では「昔にみたもの」で北海道代表となり、つま恋本選会に出場した。 この年の暮れ、12月25日、内にて番組の生放送に出演し5曲演奏した。 『安全地帯』としてのラジオ初出演であった。 1977年6月、玉置一芳が脱退し、ドラムに大平市治が加入する。 12月、、などのを演奏していた『六土開正バンド』と合併する。 これにより、(ベース、キーボード)、(ギター)、(ドラム)が安全地帯に参加することとなった。 音楽性はから、、を中心としたアメリカンロックへと幅が広がった。 オリジナル曲の制作も増え、作詞は初期に玉置、後に武沢俊也が担当。 作曲は玉置が行った。 1978年2月、旭川市郊外の永山地区にある廃農家を借り、居住空間を確保した音楽専用スタジオに改装する。 『 ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション』(略称MFP、「音楽を耕す農夫集団」の意)と命名する。 屋根と壁に囲われた空間に床を張り、防音材を四方の壁に詰めて水道を引き込んだ簡素な改装であったが、費用500万円は借金したためにメンバーはアルバイトに精を出すこととなった。 一方、四周300mに一軒の隣家のないMFPでは、連日連夜、1日7〜8時間にわたって演奏練習、楽曲制作・録音に励むこととなった。 なお、この音楽専用スタジオは後に脱退する宮下隆宏オーナーのフランス料理レストランに変貌し、MFPは安全地帯が設立した事務所名となる。 7月、第1回 に出場し、グランプリを獲得する。 11月、田中裕二、宮下隆宏が脱退する。 そのため、六土開正はベース担当へ復帰。 のような雰囲気を醸し出すバンドメンバーの、パンチのある、ストレートな、想像以上の、演奏を見て金子は安全地帯の将来性に確信を持った。 長期にわたる合宿により実力をつけ、数々のコンテストで入賞を果たし、北海道で実力No. 1のアマチュアバンドとなった。 1979年5月、当時のキティレコード(現)からレコーディングのチャンスが巡ってきた。 しかし、バンドサウンドは未完成との判断で保留となった。 8月、の旭川、札幌公演では前座として出演した。 11月26日、武沢豊が飲酒運転の車に衝突され、肋骨全部の骨折という重傷で入院する。 1980年4月、今度は六土開正が病気のため入院することとなった。 10月になりキティレコードから再びレコーディングの依頼があり、まだ回復していなかった六土が病院の特別許可を得てライブ参加。 ライヴ当夜、キティレコードと仮契約が結ばれた。 11月には六土が退院、12月に武沢豊が仮退院とバンド復帰に向けて活動を始めた。 28日のライヴ終了後、元のギタリストでの編曲やバンドサポートで活躍していたを交えてミーティングを行う。 星は心身ともに優れず意気消沈しているこの時期の安全地帯の精神的支柱となっていた。 1981年1月になりやっとキティレコードから正式なレコーディング依頼を受けた。 しかし、3月に武沢俊也が脱退する。 7月になるとが星勝の紹介でMFPを訪問し共演する。 陽水からはロック以外にもやなどの幅広い音楽に目を向けるように促される。 その後、井上の招聘により安全地帯が上京する。 東京での初ライヴを渋谷『』で開催。 伊豆ポリドールスタジオ(後のキティスタジオ)にて、「」のレコーディングを開始し、その合間に東京、大阪、神戸のライヴハウスに出演する。 8月、『'81井上陽水ツアー』にバックバンドに起用され、同行が決定する。 MFPに戻り、ツアーのための練習に励む。 22日、第4回ステージフライトにゲスト出演する。 井上のツアーの最終リハーサルとレコーディングのため再び上京し、東京での合宿生活が始まる。 9月24日、井上陽水ツアーがからスタートし、12月10日の東京・の最終回まで全国23カ所の公演に参加する。 ツアー衣装は、当初無給のため、渋谷のジーンズメイトで購入したものを履き、鉢巻きというスタイル。 ツアーの経験から、自信のあった練習量、実力のある多くの同等バンドの存在に気付き挫折感を味わうが、さらに練習に励む。 11月、「オン・マイ・ウェイ」が・のCMソングに起用され、北海道、東北地方にて放映される。 メジャーデビュー [ ] 1月24日、系音楽番組『』に井上陽水のバックバンドとして初出演する。 井上陽水の春・夏のコンサートのサポート・ミュージシャンとして参加し、秋から翌年1月までの全国ツアーのバックバンドを務めた。 2月25日、1stシングル「」でデビュー。 4月、キティレコードと正式契約。 メンバーは東京に転居して合宿生活を開始するが、大平市治が脱退する。 田中裕二が再加入することで、デビュー以後の安全地帯の5人のメンバーが確立した。 5月、東京・渋谷『エッグマン』でライヴ。 7月、井上陽水のバックバンドとして、東京・、のコンサートをサポートする。 8月上旬、札幌市郊外で開催されていた『北海道博覧会』特設会場に、FM北海道の招きで出演する。 下旬、1stアルバム『』のレコーディングを伊豆ポリドールスタジオで開始し、メンバーの合宿生活を終える。 玉置は、東京・目黒の四畳半一間のを借家。 一人暮らしに馴染めず、売り上げの芳しくないレコード、コンサートが続くことも相まって、自暴自棄に陥りそうになる。 苦しいなりにも自信は失っておらず、テレビコマーシャルか番組主題歌に起用される機会を窺っていた。 10月25日、2ndシングル「オン・マイ・ウェイ」を発表。 11月、井上陽水のツアーに翌年1月まで同行した。 1月25日、1stアルバム『』を発表する。 その後、から発売された「」のに起用された4thシングル「」が大ヒット。 一躍全国にその名が知れ渡る。 2ndアルバム『』、7thシングル「」、3rdアルバム『』をリリースし、翌年1月には8thシングル「」をリリースし、立て続けにヒットさせる。 9thシングル「」が大ヒット。 の『』、『』年間第1位に輝き、同年の出場を果たした。 また、では史上初で唯一となる2年連続で最優秀歌唱賞を受賞した。 8月、においては初となるコンサートを井上陽水と共に行う。 9月、陽水とのコラボレーションした12thシングル「」を発売。 12月、アナログ盤にして3枚組となる5thアルバム『』を発売。 また、「ワインレッドの心」「恋の予感」「」などがでカバーされ、それぞれヒットした。 安全地帯の活動の合間を縫ってソロでの活動も進められ、夏に玉置自身初のソロでのシングルとアルバムをリリースする。 秋、でのコンサートを最後に活動休止を宣言。 その原因として、メンバー個々の活動が活発化し、6thアルバム『』以降の音楽性の追求方向のメンバー間の相違によるとされる。 宣言後の5人は約2年間、個々の活動を行う。 12月、自身初のベストアルバム『』をリリースする。 7月、約2年ぶりとなる7thアルバム『』をリリースする。 収録曲の「この道は何処へ」はテーマ曲。 12月、8thアルバム『』をリリースする。 12月、アコースティックスタイルでのコンサートツアーの終了時点で、実質的に長期活動休止に入る(ただし解散ではない)。 2度の長期活動休止 [ ] 2月10日、23rdシングル「」がリリースされる。 活動休止を境に玉置は、ソロと俳優業を中心とした活動に移行し、はプロデュース業に専念、他のメンバーも個々の活動に入る。 この時、安全地帯の所属会社がキティレコードからに移るが、安全地帯名義の活動は約10年間休止したままだった。 武沢が脱退を発表。 メンバー4人は玉置浩二のソロプロジェクトで当分の間活動することになる。 玉置一芳(ドラム)、宮下隆宏(ベース)が一時的に復帰。 しかし、実質的には玉置ソロ活動のサポート・ミュージシャンが帯同して、4名の活動となった。 7月19日、旭川市の野外ライブ『'98in』で約5年ぶりにメンバー5人全員が揃う。 この頃より安全地帯としての音楽製作を本格的に再開する。 7月10日、9年ぶりに24thシングル「」がリリースされる。 発売前日、5人揃って記者会見が行われた。 8月7日に9thアルバム『』が発売され、9月からツアーが始まったが、武沢は怪我のため参加できなかった。 10月22日、10thアルバム『』がリリースされる。 ツアーでは5人全員が揃い、80年代の活動の場であったライブハウス「」でもライブを行う。 12月、ツアー全日程を終了。 ツアー終了後約6年間、グループは再び長期休止状態となる(この時も解散扱いとはしていない)。 「完全復活」〜現在 [ ] 1月8日、前年秋からメンバーによる楽曲製作の合宿を極秘裏に行っていたことが、フジテレビ系情報番組『』で放映され、27thシングル「」のリリースと3月のイベント出演が公表された。 所属レコード会社はユニバーサル ストラテジック マーケティング ジャパンに移籍(実質的には復帰)した。 同日に「蒼いバラ」、2月3日にカップリング曲の「ワインレッドの心 (2010ヴァージョン)」の配信がスタート。 6月には、先の「」や、「」等のヒット曲を新たにレコーディングし直したグループ初のセルフカバーアルバム『』が発売された。 7月からは7年ぶりとなる全国コンサートツアーを開催し、9月下旬から10月上旬にかけて・・の海外公演も決定した。 なお、9月12日に行われたでの公演は、玉置浩二が体調不良の状態でステージを敢行したものの、観客とのトラブルが生じたため、コンサートは中止扱いとされた。 全国ツアー最終の10月5日・6日は、18年ぶり24回目となるで公演を行った。 7月1日、番組『ソルトモ! 』にて、ソニーへの再移籍ならびにデビュー30周年を節目とした初のレーベル『SALTMODERATE』の発足を発表。 8月22日にはセルフカバー曲を中心としたアルバム『』を発売した。 9月にはとでのライブを敢行。 その模様が収録されたライブDVDは12月に発売された。 12月17日から12月25日にかけて、グループとして初めてのクリスマスディナーショーを開催。 14thアルバム『』を発売。 レーベル発足後初となる全国ツアー開催。 へ参加。 その後・・でのアジアツアーを挙行。 5月31日、デビュー35周年を記念して初のオールタイム・ベストアルバム『ALL TIME BEST』をリリース。 6月25日放送の『玉置浩二ショー』ではメンバー全員が出演した。 さらに、11月22日にオリジナルアルバム全14タイトルを紙ジャケット仕様と高音質CDで再発売することが決まった。 『ALL TIME BEST』の発売と同時に発表されていた11月23日・24日の2日連続での日本武道館公演では、超満員となる計2万5000人を動員。 12月9日の香港公演をもってツアー日程を終了する予定。 収録アルバム 1st 一度だけ 2nd FIRST LOVE TWICE 3rd エイジ 4th We're alive 1位 5th …ふたり… 20位 6th 59位 7th Happiness 3位 8th 一秒一夜 2位 9th ノーコメント 1位 10th 彼女は何かを知っている 2位 11th チャイナドレスでおいで 2位 I Love Youからはじめよう -安全地帯BEST- 12th 6位 13th 恋はDANCEではじめよう 7位 14th 想い出につつまれて 4位 15th ひとりぼっちの虹 2位 16th きっかけのWink 7位 17th 時計 13位 18th Too Late Too Late 14位 19th ナンセンスだらけ 6位 I Love Youからはじめよう -安全地帯BEST- 20th Seaside Go Go 31位 21st 俺はどこか狂っているのかもしれない 16位 22nd 地平線を見て育ちました。 23位 安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜 23rd あの頃へ 〜'92日本武道館〜命〜「涙の祈り」 14位 24th 野蛮人でいい 20位 25th 57位 26th 40位 27th 9位 28th 17位 29th 59位 オリジナルアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 22位 2nd 2位 3rd 3位 4th 1位 5th 6th 7th 2位 8th 7位 9th 13位 10th 20位 11th 3位 12th 10位 13th 18位 14th 38位 ベストアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 4位 2nd 10位 3rd 4th 5th 6th 156位 7th 9位 ライブアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 2nd 3rd 4th 5th 99位 6th 94位 企画アルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 1st 2nd 3rd 4th 5th 6th CD BOX [ ] 枚 発売日 タイトル Ref. 1st ユニバーサルミュージック 2nd 安全地帯BOX 1982-1993 サウンドトラック [ ] 枚 発売日 タイトル 1st セルフカバーアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 14位 2nd 27位 映像作品 [ ] 発売日 タイトル 販売形態 品番 備考 Ref. 6533-10 6233-10 SM058-0021 KTYM197 WE'RE ALIVE-安全地帯ライブ '84サマーツアー 1984年8月13日 より。 PV収録。 VHS LD KTVV-1025 KTLV-1025 安全地帯 10th ANNIVERSARY CONCERT TOUR ACOUSTIC SPECIAL NIGHT 最終日 1992年12月26日 より 2000年12月20日 DVD UMBK-1006 安全地帯ビデオ・ベスト VHS LD KTVV-1033 KTLV-1033 安全地帯のヒット曲のミュージッククリップ映像や当時の秘蔵映像を収めた映像集。 DVD版では『安全地帯ベスト』と改題された。 1982年 オン・マイ・ウェイ 「アイスコンパウンド」CMソング(・地方のみ) 1983年 ワインレッドの心 「赤玉パンチ」CMソング We're alive ブリヂストン「アイスコンパウンドII」CMソング(北海道・東北地方のみ) 1984年 恋の予感 「ハワイツアー キャンペーン '84」CMソング 熱視線 「高感応」CMソング 1985年 悲しみにさよなら 「秋味」CMソング 碧い瞳のエリス 「」キングコング篇CMソング フジテレビ系『』挿入歌(第19話) 1986年 プルシアンブルーの肖像 東宝系「」主題歌 大王製紙「エリス」もうはなさない篇CMソング 夢のつづき CMソング(関西地方のみ) デリカシー 『』主題歌 ガラスのささやき 系ドラマ『』主題歌 1987年 Friend 大王製紙「エリス」ミステリアスフィットネス篇CMソング 好きさ フジテレビ系アニメ『めぞん一刻』3代目オープニングテーマ 想い出につつまれて 大阪ガスガスファンヒーターCMソング(関西地方のみ) 1988年 じれったい 「That's」CMソング Juliet 『』エンディングテーマ 月に濡れたふたり 「」CMソング I Love Youからはじめよう 太陽誘電「That's」CMソング TBS系ドラマ『』挿入歌 Too Late Too Late 太陽誘電「That's」CMソング [ ] 微笑みに乾杯 JT「SOMETIME MIASS」CMソング 1990年 この道は何処へ テーマソング きみは眠る CMソング 情熱 テレビ朝日系ドラマ『』エンディングテーマ 1991年 いつも君のそばに 「」CMソング 朝の陽ざしに君がいて CMソング 1992年 あの頃へ 「花鳥風月」CMソング 地平線を見て育ちました。 安全地帯ベスト曲集 Guitar songbook(2002年)• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• ろれつ回らぬ玉置浩二さん、客と口論・公演中止 読売新聞 2010年9月13日• ナターシャ 2010年1月8日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年1月8日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年4月6日. 2020年4月5日閲覧。 2010年4月6日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年7月17日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2011年7月21日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年6月1日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年5月13日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2011年9月12日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月12日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月13日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2011年9月22日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月24日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2013年2月26日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2017年2月24日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2017年2月28日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年12月2日. 2020年4月5日閲覧。 TOWER RECORDS ONLINE. 2010年4月20日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2010年6月10日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2012年6月27日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2012年6月29日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2010年12月9日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2012年12月12日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2013年9月25日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2014年4月2日. 2020年4月5日閲覧。 MANTAN 2014年4月4日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2019年9月3日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2019年11月6日. 2020年4月5日閲覧。 1986年7月30日に初放送。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2003年2月12日. 2019年12月28日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年4月7日. 2020年4月5日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 Nikkansports. com. 2011年9月18日. 2020年4月5日閲覧。 MANTAN 2011年9月18日. 2020年4月5日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 外部リンク [ ]• - 田中裕二公式ウェブサイト• この項目は、(・・・・など)に関連した です。

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安全地帯 (ロックバンド)

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メンバーと担当楽器 [ ] 名前 生年月日 出身地 担当 (たまき こうじ) 1958-09-13 (61歳) 出身 (やはぎ わたる) 1957-06-27 (62歳) ギター コーラス (たけざわ ゆたか) 1958-05-16 (62歳) ギター コーラス (たなか ゆうじ) 1957-05-29 (63歳) パーカッション コーラス (ろくど はるよし) 1955-10-01 (64歳) 出身 ベース コーラス 来歴 [ ] アマチュア時代 [ ] 1972年、では、2年時のクラスに転入生だったを迎える。 中学進級時から自己流でを弾き始めていた玉置は、武沢の大きな掌にを稽古していると恐れを覚えるほどであったが、それがを習っているからだと知り、練習曲を上手く弾く武沢に惹かれ、バンド結成を誘う。 一方、1972年、同じ旭川で、中学3年の同級生としたがギター、がドラムでバンドを結成していた。 また、同じく旭川では、1971年から1972年頃、年長者とバンドを組み活動していた。 1973年4月、玉置浩二(ボーカル)、武沢豊(ギター)、武沢俊也(武沢の兄、ギター・キーボード)の3人でバンド『 インベーダー』を結成する。 フォークグループとしてスタートし、演奏曲目はの「」を得意とした。 後にロックグループへの志向から『 安全地帯』へ名称変更する。 旭川市内に路線を持つ、のにあるの標識が、「Victory」の頭文字「V」に似ていたことで、初期のバンドメンバー・進藤による命名である。 他案に『危険地帯』も候補に上ったが、「=危険(な音楽)」というイメージを連想させることが平凡なため、採用しなかった。 11月、玉置の兄、玉置一芳がドラムで、宮下隆宏がベースで参加した。 に憧れていた玉置一芳の影響でロックに傾倒し、(ポプコン)第6回に初出場。 第11回を除く第13回まで連続出場した。 一方、将来の他のメンバーたちは、1973年には、六土開正が自身がリーダーとなる『 六土開正バンド』を新たに結成。 ここに、矢萩渉、田中裕二が参加した。 1976年、ポプコン第12回では「昔にみたもの」で北海道代表となり、つま恋本選会に出場した。 この年の暮れ、12月25日、内にて番組の生放送に出演し5曲演奏した。 『安全地帯』としてのラジオ初出演であった。 1977年6月、玉置一芳が脱退し、ドラムに大平市治が加入する。 12月、、などのを演奏していた『六土開正バンド』と合併する。 これにより、(ベース、キーボード)、(ギター)、(ドラム)が安全地帯に参加することとなった。 音楽性はから、、を中心としたアメリカンロックへと幅が広がった。 オリジナル曲の制作も増え、作詞は初期に玉置、後に武沢俊也が担当。 作曲は玉置が行った。 1978年2月、旭川市郊外の永山地区にある廃農家を借り、居住空間を確保した音楽専用スタジオに改装する。 『 ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション』(略称MFP、「音楽を耕す農夫集団」の意)と命名する。 屋根と壁に囲われた空間に床を張り、防音材を四方の壁に詰めて水道を引き込んだ簡素な改装であったが、費用500万円は借金したためにメンバーはアルバイトに精を出すこととなった。 一方、四周300mに一軒の隣家のないMFPでは、連日連夜、1日7〜8時間にわたって演奏練習、楽曲制作・録音に励むこととなった。 なお、この音楽専用スタジオは後に脱退する宮下隆宏オーナーのフランス料理レストランに変貌し、MFPは安全地帯が設立した事務所名となる。 7月、第1回 に出場し、グランプリを獲得する。 11月、田中裕二、宮下隆宏が脱退する。 そのため、六土開正はベース担当へ復帰。 のような雰囲気を醸し出すバンドメンバーの、パンチのある、ストレートな、想像以上の、演奏を見て金子は安全地帯の将来性に確信を持った。 長期にわたる合宿により実力をつけ、数々のコンテストで入賞を果たし、北海道で実力No. 1のアマチュアバンドとなった。 1979年5月、当時のキティレコード(現)からレコーディングのチャンスが巡ってきた。 しかし、バンドサウンドは未完成との判断で保留となった。 8月、の旭川、札幌公演では前座として出演した。 11月26日、武沢豊が飲酒運転の車に衝突され、肋骨全部の骨折という重傷で入院する。 1980年4月、今度は六土開正が病気のため入院することとなった。 10月になりキティレコードから再びレコーディングの依頼があり、まだ回復していなかった六土が病院の特別許可を得てライブ参加。 ライヴ当夜、キティレコードと仮契約が結ばれた。 11月には六土が退院、12月に武沢豊が仮退院とバンド復帰に向けて活動を始めた。 28日のライヴ終了後、元のギタリストでの編曲やバンドサポートで活躍していたを交えてミーティングを行う。 星は心身ともに優れず意気消沈しているこの時期の安全地帯の精神的支柱となっていた。 1981年1月になりやっとキティレコードから正式なレコーディング依頼を受けた。 しかし、3月に武沢俊也が脱退する。 7月になるとが星勝の紹介でMFPを訪問し共演する。 陽水からはロック以外にもやなどの幅広い音楽に目を向けるように促される。 その後、井上の招聘により安全地帯が上京する。 東京での初ライヴを渋谷『』で開催。 伊豆ポリドールスタジオ(後のキティスタジオ)にて、「」のレコーディングを開始し、その合間に東京、大阪、神戸のライヴハウスに出演する。 8月、『'81井上陽水ツアー』にバックバンドに起用され、同行が決定する。 MFPに戻り、ツアーのための練習に励む。 22日、第4回ステージフライトにゲスト出演する。 井上のツアーの最終リハーサルとレコーディングのため再び上京し、東京での合宿生活が始まる。 9月24日、井上陽水ツアーがからスタートし、12月10日の東京・の最終回まで全国23カ所の公演に参加する。 ツアー衣装は、当初無給のため、渋谷のジーンズメイトで購入したものを履き、鉢巻きというスタイル。 ツアーの経験から、自信のあった練習量、実力のある多くの同等バンドの存在に気付き挫折感を味わうが、さらに練習に励む。 11月、「オン・マイ・ウェイ」が・のCMソングに起用され、北海道、東北地方にて放映される。 メジャーデビュー [ ] 1月24日、系音楽番組『』に井上陽水のバックバンドとして初出演する。 井上陽水の春・夏のコンサートのサポート・ミュージシャンとして参加し、秋から翌年1月までの全国ツアーのバックバンドを務めた。 2月25日、1stシングル「」でデビュー。 4月、キティレコードと正式契約。 メンバーは東京に転居して合宿生活を開始するが、大平市治が脱退する。 田中裕二が再加入することで、デビュー以後の安全地帯の5人のメンバーが確立した。 5月、東京・渋谷『エッグマン』でライヴ。 7月、井上陽水のバックバンドとして、東京・、のコンサートをサポートする。 8月上旬、札幌市郊外で開催されていた『北海道博覧会』特設会場に、FM北海道の招きで出演する。 下旬、1stアルバム『』のレコーディングを伊豆ポリドールスタジオで開始し、メンバーの合宿生活を終える。 玉置は、東京・目黒の四畳半一間のを借家。 一人暮らしに馴染めず、売り上げの芳しくないレコード、コンサートが続くことも相まって、自暴自棄に陥りそうになる。 苦しいなりにも自信は失っておらず、テレビコマーシャルか番組主題歌に起用される機会を窺っていた。 10月25日、2ndシングル「オン・マイ・ウェイ」を発表。 11月、井上陽水のツアーに翌年1月まで同行した。 1月25日、1stアルバム『』を発表する。 その後、から発売された「」のに起用された4thシングル「」が大ヒット。 一躍全国にその名が知れ渡る。 2ndアルバム『』、7thシングル「」、3rdアルバム『』をリリースし、翌年1月には8thシングル「」をリリースし、立て続けにヒットさせる。 9thシングル「」が大ヒット。 の『』、『』年間第1位に輝き、同年の出場を果たした。 また、では史上初で唯一となる2年連続で最優秀歌唱賞を受賞した。 8月、においては初となるコンサートを井上陽水と共に行う。 9月、陽水とのコラボレーションした12thシングル「」を発売。 12月、アナログ盤にして3枚組となる5thアルバム『』を発売。 また、「ワインレッドの心」「恋の予感」「」などがでカバーされ、それぞれヒットした。 安全地帯の活動の合間を縫ってソロでの活動も進められ、夏に玉置自身初のソロでのシングルとアルバムをリリースする。 秋、でのコンサートを最後に活動休止を宣言。 その原因として、メンバー個々の活動が活発化し、6thアルバム『』以降の音楽性の追求方向のメンバー間の相違によるとされる。 宣言後の5人は約2年間、個々の活動を行う。 12月、自身初のベストアルバム『』をリリースする。 7月、約2年ぶりとなる7thアルバム『』をリリースする。 収録曲の「この道は何処へ」はテーマ曲。 12月、8thアルバム『』をリリースする。 12月、アコースティックスタイルでのコンサートツアーの終了時点で、実質的に長期活動休止に入る(ただし解散ではない)。 2度の長期活動休止 [ ] 2月10日、23rdシングル「」がリリースされる。 活動休止を境に玉置は、ソロと俳優業を中心とした活動に移行し、はプロデュース業に専念、他のメンバーも個々の活動に入る。 この時、安全地帯の所属会社がキティレコードからに移るが、安全地帯名義の活動は約10年間休止したままだった。 武沢が脱退を発表。 メンバー4人は玉置浩二のソロプロジェクトで当分の間活動することになる。 玉置一芳(ドラム)、宮下隆宏(ベース)が一時的に復帰。 しかし、実質的には玉置ソロ活動のサポート・ミュージシャンが帯同して、4名の活動となった。 7月19日、旭川市の野外ライブ『'98in』で約5年ぶりにメンバー5人全員が揃う。 この頃より安全地帯としての音楽製作を本格的に再開する。 7月10日、9年ぶりに24thシングル「」がリリースされる。 発売前日、5人揃って記者会見が行われた。 8月7日に9thアルバム『』が発売され、9月からツアーが始まったが、武沢は怪我のため参加できなかった。 10月22日、10thアルバム『』がリリースされる。 ツアーでは5人全員が揃い、80年代の活動の場であったライブハウス「」でもライブを行う。 12月、ツアー全日程を終了。 ツアー終了後約6年間、グループは再び長期休止状態となる(この時も解散扱いとはしていない)。 「完全復活」〜現在 [ ] 1月8日、前年秋からメンバーによる楽曲製作の合宿を極秘裏に行っていたことが、フジテレビ系情報番組『』で放映され、27thシングル「」のリリースと3月のイベント出演が公表された。 所属レコード会社はユニバーサル ストラテジック マーケティング ジャパンに移籍(実質的には復帰)した。 同日に「蒼いバラ」、2月3日にカップリング曲の「ワインレッドの心 (2010ヴァージョン)」の配信がスタート。 6月には、先の「」や、「」等のヒット曲を新たにレコーディングし直したグループ初のセルフカバーアルバム『』が発売された。 7月からは7年ぶりとなる全国コンサートツアーを開催し、9月下旬から10月上旬にかけて・・の海外公演も決定した。 なお、9月12日に行われたでの公演は、玉置浩二が体調不良の状態でステージを敢行したものの、観客とのトラブルが生じたため、コンサートは中止扱いとされた。 全国ツアー最終の10月5日・6日は、18年ぶり24回目となるで公演を行った。 7月1日、番組『ソルトモ! 』にて、ソニーへの再移籍ならびにデビュー30周年を節目とした初のレーベル『SALTMODERATE』の発足を発表。 8月22日にはセルフカバー曲を中心としたアルバム『』を発売した。 9月にはとでのライブを敢行。 その模様が収録されたライブDVDは12月に発売された。 12月17日から12月25日にかけて、グループとして初めてのクリスマスディナーショーを開催。 14thアルバム『』を発売。 レーベル発足後初となる全国ツアー開催。 へ参加。 その後・・でのアジアツアーを挙行。 5月31日、デビュー35周年を記念して初のオールタイム・ベストアルバム『ALL TIME BEST』をリリース。 6月25日放送の『玉置浩二ショー』ではメンバー全員が出演した。 さらに、11月22日にオリジナルアルバム全14タイトルを紙ジャケット仕様と高音質CDで再発売することが決まった。 『ALL TIME BEST』の発売と同時に発表されていた11月23日・24日の2日連続での日本武道館公演では、超満員となる計2万5000人を動員。 12月9日の香港公演をもってツアー日程を終了する予定。 収録アルバム 1st 一度だけ 2nd FIRST LOVE TWICE 3rd エイジ 4th We're alive 1位 5th …ふたり… 20位 6th 59位 7th Happiness 3位 8th 一秒一夜 2位 9th ノーコメント 1位 10th 彼女は何かを知っている 2位 11th チャイナドレスでおいで 2位 I Love Youからはじめよう -安全地帯BEST- 12th 6位 13th 恋はDANCEではじめよう 7位 14th 想い出につつまれて 4位 15th ひとりぼっちの虹 2位 16th きっかけのWink 7位 17th 時計 13位 18th Too Late Too Late 14位 19th ナンセンスだらけ 6位 I Love Youからはじめよう -安全地帯BEST- 20th Seaside Go Go 31位 21st 俺はどこか狂っているのかもしれない 16位 22nd 地平線を見て育ちました。 23位 安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜 23rd あの頃へ 〜'92日本武道館〜命〜「涙の祈り」 14位 24th 野蛮人でいい 20位 25th 57位 26th 40位 27th 9位 28th 17位 29th 59位 オリジナルアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 22位 2nd 2位 3rd 3位 4th 1位 5th 6th 7th 2位 8th 7位 9th 13位 10th 20位 11th 3位 12th 10位 13th 18位 14th 38位 ベストアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 4位 2nd 10位 3rd 4th 5th 6th 156位 7th 9位 ライブアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 2nd 3rd 4th 5th 99位 6th 94位 企画アルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 1st 2nd 3rd 4th 5th 6th CD BOX [ ] 枚 発売日 タイトル Ref. 1st ユニバーサルミュージック 2nd 安全地帯BOX 1982-1993 サウンドトラック [ ] 枚 発売日 タイトル 1st セルフカバーアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 順位 Ref. 1st 14位 2nd 27位 映像作品 [ ] 発売日 タイトル 販売形態 品番 備考 Ref. 6533-10 6233-10 SM058-0021 KTYM197 WE'RE ALIVE-安全地帯ライブ '84サマーツアー 1984年8月13日 より。 PV収録。 VHS LD KTVV-1025 KTLV-1025 安全地帯 10th ANNIVERSARY CONCERT TOUR ACOUSTIC SPECIAL NIGHT 最終日 1992年12月26日 より 2000年12月20日 DVD UMBK-1006 安全地帯ビデオ・ベスト VHS LD KTVV-1033 KTLV-1033 安全地帯のヒット曲のミュージッククリップ映像や当時の秘蔵映像を収めた映像集。 DVD版では『安全地帯ベスト』と改題された。 1982年 オン・マイ・ウェイ 「アイスコンパウンド」CMソング(・地方のみ) 1983年 ワインレッドの心 「赤玉パンチ」CMソング We're alive ブリヂストン「アイスコンパウンドII」CMソング(北海道・東北地方のみ) 1984年 恋の予感 「ハワイツアー キャンペーン '84」CMソング 熱視線 「高感応」CMソング 1985年 悲しみにさよなら 「秋味」CMソング 碧い瞳のエリス 「」キングコング篇CMソング フジテレビ系『』挿入歌(第19話) 1986年 プルシアンブルーの肖像 東宝系「」主題歌 大王製紙「エリス」もうはなさない篇CMソング 夢のつづき CMソング(関西地方のみ) デリカシー 『』主題歌 ガラスのささやき 系ドラマ『』主題歌 1987年 Friend 大王製紙「エリス」ミステリアスフィットネス篇CMソング 好きさ フジテレビ系アニメ『めぞん一刻』3代目オープニングテーマ 想い出につつまれて 大阪ガスガスファンヒーターCMソング(関西地方のみ) 1988年 じれったい 「That's」CMソング Juliet 『』エンディングテーマ 月に濡れたふたり 「」CMソング I Love Youからはじめよう 太陽誘電「That's」CMソング TBS系ドラマ『』挿入歌 Too Late Too Late 太陽誘電「That's」CMソング [ ] 微笑みに乾杯 JT「SOMETIME MIASS」CMソング 1990年 この道は何処へ テーマソング きみは眠る CMソング 情熱 テレビ朝日系ドラマ『』エンディングテーマ 1991年 いつも君のそばに 「」CMソング 朝の陽ざしに君がいて CMソング 1992年 あの頃へ 「花鳥風月」CMソング 地平線を見て育ちました。 安全地帯ベスト曲集 Guitar songbook(2002年)• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• ろれつ回らぬ玉置浩二さん、客と口論・公演中止 読売新聞 2010年9月13日• ナターシャ 2010年1月8日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年1月8日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年4月6日. 2020年4月5日閲覧。 2010年4月6日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年7月17日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2011年7月21日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年6月1日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年5月13日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2011年9月12日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月12日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月13日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2011年9月22日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2011年9月24日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2013年2月26日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2017年2月24日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2017年2月28日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2010年12月2日. 2020年4月5日閲覧。 TOWER RECORDS ONLINE. 2010年4月20日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2010年6月10日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2012年6月27日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2012年6月29日. 2020年4月5日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2010年12月9日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2012年12月12日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2013年9月25日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2014年4月2日. 2020年4月5日閲覧。 MANTAN 2014年4月4日. 2020年4月5日閲覧。 ナターシャ 2019年9月3日. 2020年4月5日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2019年11月6日. 2020年4月5日閲覧。 1986年7月30日に初放送。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 CDジャーナル. 音楽出版 2003年2月12日. 2019年12月28日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク 2010年4月7日. 2020年4月5日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 Nikkansports. com. 2011年9月18日. 2020年4月5日閲覧。 MANTAN 2011年9月18日. 2020年4月5日閲覧。 キューズ・クリエイティブ. 2020年4月11日閲覧。 外部リンク [ ]• - 田中裕二公式ウェブサイト• この項目は、(・・・・など)に関連した です。

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