浄土 真宗 教え。 浄土真宗の教えをお坊さんが話しても納得できないのはなぜか

浄土真宗の法事・法要はどんなもの?作法とマナー

浄土 真宗 教え

浄土とは そもそも浄土とは、どのような意味なのでしょうか。 それは、仏の住する清らかな世界のことで、仏国土(ぶっこくど)ともいわれます。 経典にはいろいろな仏の国土が説かれていますが、阿弥陀仏の救いが広く伝えられているので、普通「浄土」といえば、阿弥陀仏の国である「極楽」を指すのです。 また、仏教では、浄土に対し人間世界を穢土(えど)と呼びます。 聖道門・浄土門 親鸞聖人は仏教を、聖道門と浄土門(聖道仏教、浄土仏教とも)の二種に分類されました。 この呼び方は七高僧の一人、道綽の『安楽集』の説によります。 聖道仏教は自分の力で修行して、この世でさとりを開こうとする教えです。 天台宗や真言宗、華厳宗、法相宗、禅宗などがあります。 浄土仏教は阿弥陀如来の本願の救いを説き、「阿弥陀仏に救われた人は、死ねば極楽へ往って仏に生まれられる」と教えます。 (詳しくは後述) 浄土教とは 阿弥陀如来の本願を信じ、極楽に往って仏に生まれることを説く教えです。 『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』を根本聖典とし、これを「浄土三部経」と称します。 (詳しくは後述) 浄土真宗と親鸞聖人 浄土真宗と聞いて、真っ先に思い浮かぶ人物は、 親鸞聖人です。 戦後、出版された本の中で、最も多く語られた 「歴史上の人物ベストワン」といわれる親鸞聖人。 激動の時代を生き抜かれた親鸞聖人90年のご生涯は、まさに波乱万丈でした。 そのたくましきご一生を簡単に振り返ってみたいと思います。 浄土真宗と親鸞聖人(1)9歳 ご出家 親鸞聖人は約850年前、京都に生を受けました。 4歳で父を、8歳で母を失い、「次に死ぬのは自分だ。 死ねばどうなるのだろう」という深刻な無常観から9歳で出家。 比叡山天台宗の僧侶となったのです。 出家する際、「明日、得度の式をあげよう」といわれた時、詠まれた歌が 浄土真宗と親鸞聖人(6)晩年 著作に励まれる 親鸞聖人は、還暦を過ぎられ、なつかしき京都へ帰り、著作に専念されます。 親鸞聖人にはたくさんの著書があります。 主著『教行信証』は最後まで何度も加筆修正なされています。 その跡は今でも見ることができ、「後世の人たちにも、何とかお伝えしたい、知っていただきたい」という心が伝わり、私たちの胸を打ちます。 この、いかなる苦難にも屈しない親鸞聖人のたくましさの源泉はどこにあったのでしょう。 それは、阿弥陀如来の本願によって人絶対の幸福に救い摂られ「人間に生まれてよかった」という無限の喜びと感謝にあったのです。 親鸞聖人、波乱万丈の90年は、すべての人が本当の幸せになれる道を明らかにされるため、ただ一つでした。 そして、あなたも、親鸞聖人の教え、阿弥陀仏の本願を聞けば、必ず絶対の幸福になれるのです。 浄土真宗の特徴 僧侶が結婚することは、日本仏教の最大の特質で、浄土真宗の大きな特徴の1つです。 ブッダの定めた戒律では、出家(僧侶になること)は女性との交わりを禁じられ、犯せば教団から追放される重罪でした。 中国や韓国、東南アジアの仏教国では、今もそれが常識となっています。 日本でも親鸞聖人まで800年ほど前までは、僧侶の結婚は論外でした。 しかし800年前、親鸞聖人は公然と結婚されました。 その破天荒は、仏教を破壊する悪魔、仏教の怨敵(おんてき)と集中砲火を浴びるほどだったのです。 このようにして僧侶の結婚を認める仏教が、親鸞聖人の浄土真宗から始まりました。 その浄土真宗は室町時代、蓮如上人の活躍により日本最大の宗派となり、他の宗派も僧職の婚姻を認め、住職が子に寺を継がせるのが通例になりました。 一国の仏教をこのように変えた宗教家は、世界に例がありません。 浄土真宗と仏教の宗派 仏教を大きく分けると、「 聖道(しょうどう)仏教」と「 浄土仏教」の二つになります。 「 聖道仏教」は「 自力仏教」ともいわれ、自分の力で厳しい修行に励み、この世でさとりを開こうとする教えをいわれます。 天台宗、真言宗、法相宗、華厳宗、禅宗などです。 「 浄土仏教」は、阿弥陀如来の本願による救いを説き、この世で阿弥陀仏の本願によって絶対の幸福に救われた人は、死ねば極楽へ往って仏に生まれる身になれますよとブッダは教えています。 聖道仏教が自力の教えといわれるのに対し、浄土仏教は「 他力仏教」といわれます。 「 他力」という言葉は、世間一般では、他人の提灯で明かりを求めるとか、他人のふんどしで相撲をとるといわれますように自分以外の「他人の力」を「他力」と理解されています。 また、太陽や空気、天候など天地自然の恵みを他力だと思っている人もあります。 もしこのようなものを他力と致しますと、天候に恵まれているときは、他力に感謝できるかもしれませんが、日照りや干ばつが続いたり、東日本大震災などのように津波ですべてを流し、人命を奪う、人々を苦しめるものも他力となってしまいます。 恐るべき呪うべきものが他力ということになります。 これは阿弥陀仏に対する大変な濡れ衣を着せることになります。 このようなものが他力では決してありません。 親鸞聖人が『教行信証』に、 「他力と言うは、如来の本願力なり」 と仰っていますように、 阿弥陀如来の本願力のみを他力というのですよと仰っています。 他力本願ではダメだ、自力更生でなければならないと時々新聞に書かれています。 世間一般で他力とは他人の力を頼って、依存していることを他力と思い、新聞の記事を書いている人も、その記事を読んでいる人も違和感なく書いたり読んだりしていますが、他力とは仏教が語源ですので、正しい意味は仏教に教えられています。 親鸞聖人が『教行信証』にお書き下されていますように、他力とは阿弥陀仏の本願力のみを他力と言われるのでありまして、それ以外の力は他力とは言われません。 仏教で他力とは、「阿弥陀如来の本願の力」のみをいいます。 また自力という言葉について、自分の力を自力と世間一般では使われています。 地震などで倒壊した家屋の中から自力で脱出した、プロ野球のペナントレースなどで、自力優勝が消滅したなどと使っていますが、自力も仏教が語源であり、世間一般で使われている自力の意味とは全くことなります。 仏教で 自力とは、 阿弥陀如来の本願を疑っている心だけを自力といわれます。 自分の力という意味ではありません。 ブッダが仏教を教えられたのは、実に阿弥陀仏の本願一つを教えられるためでありました。 そのことはブッダご自身がお経の中に、ハッキリと教えておられます。 阿弥陀如来の本願とは阿弥陀仏という仏さまがなさっておられるお約束のことです。 今日の分かる言葉でいいますと 「 どんな人をも 必ず助ける 絶対の幸福に」 というお約束です。 本当に絶対の幸福になれるのだろうか、と、阿弥陀仏のお約束を疑っている心だけを自力と言われます。 「これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、名けて極楽という」 というお言葉も『阿弥陀経』にあり、ここから極楽浄土のことを西方浄土ともいわれます。 また、大宇宙の仏方が、皆、阿弥陀如来の本願を絶賛していることも明らかにされています。 浄土真宗のお経(3)観無量寿経 親鸞聖人は『正信偈』の中に、弥陀の本願に救われた人は「韋提(いだい)と等しく三忍(絶対の幸福)を獲る」と記されています。 韋提とは、お釈迦さまに導かれ、地球上で初めて弥陀の本願に救われた、韋提希(いだいけ)という女性のことです。 そのドラマは「王舎城の悲劇」として知られ、この「王舎城の悲劇」をハッピーエンドに展開させたのが、阿弥陀如来の本願であり、その阿弥陀仏の救いが『観無量寿経』に説かれているのです。 浄土真宗の根本聖典 『教行信証』 今の茨城県にある稲田の草庵で、親鸞聖人は主著『 教行信証』の執筆を始められました。 親鸞聖人は臨終まで、『教行信証』の推敲を重ねられていますが、一応の完成を見たのは52歳頃といわれています。 『教行信証』の正式名称は、『顕浄土真実教行証文類』です。 「文類」とは、「文章を整理して集めたもの」という意味で、書名のとおり『教行信証』の大部分は、経典や注釈書からの引用です。 「教巻」「行巻」「信巻」「証巻」「真仏土巻」「化身土巻」の全六巻からなっています。 中でも親鸞聖人は、信心について書かれた「信巻」に最も心血を注がれました。 『正信偈』 浄土真宗では、仏前の勤行(ごんぎょう・おつとめ)で『 正信偈(しょうしんげ)』を拝読します。 「正信偈」とは、「正信」とは「正しい信心」ということ。 「偈(げ)」とは「うた」という意味ですから、『正信偈』は「正しい信心のうた」ということです。 「信心」と聞きますと、神や仏を信仰することだけを「信心」と思いがちですが、そうではありません。 書いて字のとおり、「心」で何かを「信」じれば、それは皆、信心です。 考えてみれば、私たちは皆、何かを信じて生きています。 いえ、何かを信じなければ生きてはいけないのです。 例えば、明日も生きていられると、命を信じています。 いつまでも元気でいられると、健康を信じています。 夫は妻を、妻は夫を信じ、子供は親を、親は子供を信じて生きている。 金の信心もあれば、名誉や地位の信心もあります。 何かを信じていれば、それはその人の信心です。 何を命として信ずるかは一人一人違いますが、全ての人は何かの信心を持って生きています。 「生きる」ということは、「信ずる」ことなのです。 そして私たちは、信じていたものに裏切られた時に苦しみ悩みます。 病気で苦しむのは健康に裏切られたからですし、失恋に泣くのは恋人に裏切られたからです。 夫や妻を失い、子供に先立たれて悲嘆している人も、信じていた明かりが消えて、涙の谷に突き落とされているのです。 しかも深く信じていればいるほど、裏切られた悲しみや怒りは大きくなります。 では、私たちは、裏切らないものを信じているでしょうか。 たとえ70年、80年信じられるものがあっても、人間は最後、死なねばなりません。 いよいよ死んでいく時には、信じていた家族や財産、名誉にも裏切られ、この肉体さえも焼いていかねばならないのです。 「やがて必ず裏切るものを信じているから、苦しみ悩みが絶えないのだ。 本当の幸福になりたければ、絶対に裏切ることのない、正しい信心を持ちなさいよ」と親鸞聖人は教えられています。 その正しい信心(他力の信心)を明らかにされたのが、『正信偈』なのです。 浄土真宗の教えの一枚看板 親鸞聖人の教えを漢字四字で表したのが「 平生業成(へいぜいごうじょう)」。 ですから、浄土真宗の教えの一枚看板は「平生業成」です。 平生業成の「平生」とは、「死んだ後ではない、生きている現在」ということ。 「業」とは、事業の業の字を書いて、仏教では「ごう」と読みます。 人生の大事業のことを、「業」といわれているのです。 大事業といっても、オリンピック開催や、徳川家康の天下統一の事業などではありません。 人生の大事業であり、言い換えると「人生の目的」です。 何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、苦しくともなぜ生きなければならないのか、これが人生の目的であり、この最も大事な人生の大事業を「業」の一字で表しているのです。 最後の「成」とは、「完成する」「達成する」ということです。 「人生には〝これ一つ果たさなければならない〟という大事な目的がある。 それは現在、完成できる。 だから早く完成しなさいよ」と教えられた方が親鸞聖人ですから、親鸞聖人の教えを「平生業成」の教えというのです。 浄土真宗の中興の祖 蓮如上人 室町時代から今日まで、浄土真宗が日本最大の仏教教団たりえたのは、その多くが蓮如上人の功績によります。 蓮如上人とは、どのようなお方だったのでしょう。

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平生業成とは|親鸞聖人の教えのすべてを表す言葉

浄土 真宗 教え

浄土真宗が西と東に分かれている経緯についてお話しいたします。 浄土真宗が西と東に分かれている理由 なぜ、浄土真宗は西と東に分かれているのか、疑問に思う人は多いでしょう。 この理由を明らかにするには、石山戦争(1570-1580)にまでさかのぼらなければなりません。 石山戦争とは、明日に一城、夕に一国と領土を拡げ、五畿内の猛将を馬前の塵に蹴ったあの織田信長と、石山本願寺(今の大阪城のある所)との戦いです。 たかが浪人や農民、町民らの集まりと、たかをくくっていた信長も、「進めば極楽、退けば地獄」と大書したムシロ旗をかかげ、一死報恩の覚悟で戦った石山本願寺の僧侶や門徒たちと、実に、10年以上の持久戦を続けざるをえなかったのですから、誰しも驚かざるをえません。 抗戦か和睦か、意見が分かれたのが東西本願寺分裂の原因 江戸時代の歴史家・頼山陽も、「豈はからんや 右府(信長)千軍の力 抜き難し 南無六字の城」と驚嘆しているほどです。 信長が天下統一のチャンスを失ったのは、実にこの石山戦争のためであったといえるでしょう。 最後は、正親町天皇を仲裁にたてて和議を求めてきたのですが、その時、開城するか、抗戦するかで、本願寺内の議論が真っ二つに分かれました。 これが東・西本願寺分裂の遠因となったのです。 時の11代目宗主、顕如上人と三男の准如とは、和解の勧めに従おうとしましたが、長男の教如は、徹底抗戦を主張して譲らず、両派は厳しく対立することになります。 一朝の思いつきで、叡岳三千坊を焼き払い、美女小童に至るまで数千人を火中に投げ込んだり、和解したにもかかわらず、だまし打ちで大量殺戮を行った長島一揆など、長男・教如は、信長のやり方がどんなものかを熟知していたのです。 和戦か抗戦かの議論は、結局もの別れとなり、顕如上人は、自分に従わない教如を義絶して石山を退去し、親鸞聖人のご真影と共に和歌山の鷺森別院へと移ることにしました。 ところが教如の予測どおり信長は、その後、雑賀騒動を機として、浄土真宗殲滅を謀っていたのです。 天正10年6月、備中の秀吉の加勢に向かった明智光秀の大軍が、大江山にさしかかるや、馬首一転して「敵は本能寺にあり」と信長を討ちました。 この本能寺の変があったがために、本願寺は難を逃れることができたわけです。 三日天下の明智光秀は、浄土真宗にとっては恩人といわねばなりません。 徳川家康による分割 後日、本能寺の変を知った顕如上人は、教如の義絶は解きましたが、親子の溝は深まるばかりで、三男の准如へ本願寺12代の職を譲ることになりました。 これが今日の西本願寺となったのです。 その後、戦乱が治まると、利口な秀吉は、さわらぬ本願寺にたたりなしで一生終わりましたが、徳川家康は、巨大な本願寺勢力の分割を謀り、不満鬱積していた教如に目をつけ、寺地を寄進して東本願寺を別立させることに、まんまと成功したのです。 東・西本願寺の冷戦 かくして、これより浄土真宗の勢力は真っ二つに分断され、東・西本願寺は冷戦を続けるようになりました。 西本願寺が御影堂を南に置けば、東本願寺は北に建てる。 片方が『御文章』といえば、一方は『お文さま』という。 一方が「領解文」といえば、片方は「改悔文」とする。 西が報恩講を正月に勤めると、東は11月に変える。 その他、僧侶の位階、学階、仏前の荘厳、『正信偈』の読みぐせまで変えて、反目し合ったまま、今日に至っているのです。 本来、親鸞聖人の教えに西も東もありません。 私たちも、親鸞聖人の教えを聞かせていただきましょう。 【まとめ】浄土真宗に西と東があるのは なぜ?• 石山戦争がきっかけ• 和睦派、11代目宗主、顕如上人と三男の准如が西本願寺、抗戦派の長男の教如が東本願寺となる• 本来、親鸞聖人の教えに西も東もない お勧め記事.

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浄土 真宗 教え

< わかりやすい浄土真宗の教え > *阿弥陀仏にお参りし、浄土の国へ行って、仏になる教えです。 浄土とは仏の国です。 たくさんの仏様がいて、金色に輝いているところです。 きれいな音楽が流れていて、きれいな花が咲いているところです。 いい匂いがしていて、擬宝珠(ぎぼし)という魔法の玉があるところです。 その魔法の玉で、お腹がすいたら、おいしい食べ物が出てくるのです。 また、会いたい人(亡くなった父や母)にあえるのです。 このような世界が浄土です。 阿弥陀仏にお参りすることによって浄土にいきます。 注意1、この浄土は自然科学的にはありません。 心の中にあります。 注意2、西方浄土という言葉がありますが、その言葉が使われたのは、今から3000年ぐらい前です。 そんな前ですから、それでよかったのですが、現代ではその言葉はつかいません。 *三福十善行の心をもって、阿弥陀仏にお参りする教えです。 三福とは、親を尊敬する。 お年寄りを大切にする。 世の中の規則を守る、です。 十善行とは、 1、 不殺生(生き物を殺さない) 2、 盗みをしない 3、 よこしまな男女関係をもたない。 4、 嘘をいわない。 5、 人の中を裂くようなことをいわない。 6、 悪口をいわない。 7、 お世辞をいわない。 8、 むさぼらない 9、 怒らない 10、 仏教の真理を忘れない。 (縁起と無常) 縁起とは、おかげさまの気持ちで感謝することです。 無常とは人は100%死ぬことを体得することです。 この13の心をもってお参りする教えです。 次にお参の仕方をのべます。 *お参りの仕方 2つの心をもって阿弥陀仏に念仏を唱えます。 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言います。 南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏を信じますという意味です。 1、 感謝の心 阿弥陀仏に今日1日、健康で過ごすことができました。 ありがとうございます、と感謝の気持ちでお参りします。 2、 煩悩具足の凡夫の心 むつかしいですね。 簡単にいえば、私たちは100%の人間ではありません。 どこか、欠点があります。 そのことです。 今日、友人の心を傷つけるようなことを言いました、と許しを乞うお参りです。 (十善行の6) 私たちは、ついつい、愚痴をいいます。 (あーら暑い暑い)(忙しいのにどうのこうの)といいます。 これに対して、今日、愚痴を言ってしまいました、とお参りします。 これは感謝がありません。 (十善行の10) 浄土真宗の教えは、このように阿弥陀仏にお参りし、浄土の国にいって、仏になる教えです。 当時のご先祖は死んだ後浄土に行くか、地獄に行くか、一大事であった。 そこに蓮如さんが「南無阿弥陀仏と言えば浄土に行ける」と布教したので、すべての人が浄土真宗に入信した。 その教えが戦国時代から現在までずーっと続いていま、私たちの心にあるのです。 そして、あまり知られていませんが、蓮如さんは念仏とともに、三福十善行を解りやすく、解りやすく、たとえ話を使って、説教したのです。 ですから、その心が戦国時代からずーっと伝わって、私たちの心に、小さな生き物を大切に、人の心を傷つけてはいけないのこころがあるのです。 ですから、空念仏ではなくて、心のこもったお参りなのです。 ですから、浄土にいって、仏になり、子孫を温かく見守るのです。 これを読んだ人のほとんどは「人の心を傷つけない」がありますから、命を全うした後、浄土に行くのです。 なぜなら、あなたは死後のことが全然きにならないはずです。 死後いいところに行くことが決まっているから、気にならないのです。 浄土に行くことが決まってない人は死後のことが心配で心配で、恐怖でたまらないはずです。 ***浄土真宗は生きていていいことはないのですか? あります。 浄土に行くということは、生きていて死にたいする畏れを感ずることなく、明るく生きていけます。 そこから感謝のお参りが出ます。 ほとんどの人は人の心を傷つけないがありますから、すでに、明るく生きているのです。 もともと仏教徒なのです。 また、自分の変なところ、欠点からくるつらい気持ちを仏が救い取ってくださいますから、すきっとした気持ちになり、前向きに生きていけます。 そして、80、90歳になってほとんど悟りを得ることができるのでしょう。 娑婆のことは若い者にまかせたといって、平穏に暮らし、子孫を見守って。 完全な悟りはやはり極楽浄土に行ってでしょう。 ( 住職日誌の浄土真宗と悟り、を参照) ***宗教ってなに?わかりやすく簡単に それは、人類の知恵です。 人類が平穏に生活するために、平和な社会にするために我欲を捨てて他と共存するすべが、宗教です。 そして、魂の救済です。 仏教は小さな生き物を大切に(不殺生)、人の心を傷つけない(十善行)を説き、他と共存を勧め、阿弥陀仏にお参りし、仏の国浄土に行きます。 キリスト教はみなさんよくご存じの、隣人を愛せよを説き、他と共存し、イエスを信仰し、天国にいきます。 イスラム教はあまりよく知られておりませんが、喜捨(貧者に物を与えよ)を説き、アラーを信仰し、天国に行くのです。 共に、信仰(神仏に感謝)と懺悔(許しを乞う)があります。 ***仏教ってなに?わかりやすく簡単に 仏教とは仏になる教えです。 仏とは悟った人のことをいいます。 また、悟りとは苦しみや悩みのない境地をいいます。 苦しみとは生老病死の恐れをいいます。 生苦は愛する人との別れ、愛されてないつらさをいいます。 老苦、病苦はわかりますね。 死苦は死後どこに行くかわからない畏れをいいます。 あなたにもあるはずです。 悩みとは、海に行こうか、山に行こうか、とか。 この人と結婚しようか、やめようか、とか。 大学に行こうか、専門学校に行こうか。 このような迷いをいいます。 このように、苦しみや悩みのない悟った人、すなわち仏になる教えです。 では、仏になるにはどうしたらよいか、ですが、ここでは北伝仏教について申し述べます。 北伝仏教では、3つの重要な教えがあります。 それは、無常と因縁生起説と空観論です。 無常はこの世には常なるものは一つもない。 石ころだって1万年で砂になる。 同じように人間も100歳で必ず死ぬ。 死を迎える準備をしないといけない、死を体得しないといけないと教えるのです。 因縁生起説は普通、花は種を植えたから咲いたといいます。 しかし、よく見ると、空気、太陽、土、栄養なども必要です。 仏教では、種を因といい、空気などを縁といいます。 そして、もろもろの現象はこの因と縁によって成り立っているというのです。 私は家族、親戚、会社の人、友人のおかげで幸せに生きているのです。 私一人では幸せに生きていけないのです。 これが因縁生起説です。 これは悟りを得るには人の心を傷つけてはいけない(三福十善行)を守らないといけないと教えるのです。 この因縁生起説を発展させたのが空観論です。 たとえば、家を出て会社にいったとします。 普通は車を運転して会社に行ったといいます。 しかし、仏教では、それとともに、会社に行くのを妨げる物がなかったから行けたと解釈します。 これか空観論です。 これは、自分で行ったは空しいということになります。 そこから、苦しみが生まれるから、お陰様でと感謝しないといけないと教えるのです。 このように、死を受け入れる(無常)、見えないものを見る(因縁)お陰様の気持ちで感謝する(空)これを体得するなら悟りを得ることができると教えます。 そして、仏となるのです。 参考 浄土宗、浄土真宗は=信仰の仏教(阿弥陀仏を信仰して悟る) 他の宗派=自覚の仏教(学問と修行で悟る) ***仏壇はいるのですか? はい、いります。 私たちはついつい忙しい忙しいといって、お参りを忘れるのです。 住職のわたしでも忘れることがあります。 仏に生かされていることに感謝する気持ちを一日たりとも忘れない意味で必要です。 目に見えて気ずかさせていただきます。 それから、若い人にちんちんの音を聞いてもらえることもできます。 おじいちゃんがお参りしていると気が付いてもらえます。 ちなみに、御仏壇のない人は、寝るベットの中で、天井を見て、目に見えない仏に、今日一日ありがとうございましたと感謝のお参りをお願いします。 わかりやすい浄土真宗の教え はコメントを受け付けていません。

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