ずのつく言葉。 胡

「お」と「ご」の使い分け:マナー教室

ずのつく言葉

【旧暦五月は雨の季節】 5月になり すっかり新緑の季節となりました。 5月といえば晴れる日が多く すがすがしいといった印象がありますが 昔からそうだったわけではありません。 日本の暦は 明治6年に 旧暦から新暦へ移行しました。 明治5年12月2日の翌日には 明治6年1月1日となり このとき およそ1ヶ月のずれができたわけで そのため 旧暦の5月は 現在の梅雨の時期にあたります。 つまり 旧暦が使われていたころの「5月」は 雨の季節だったのです。 「五月晴れ」という言葉は 現在は すっきりとした5月の晴れ模様に使われますが 旧暦が使われていたころは 梅雨の晴れ間を表す言葉でした。 「五月」のつく言葉を辞書で探してみると その数は ほかの月に比べて多めです。 五月人形(ごがつにんぎょう)、五月幟(ごがつのぼり)、五月鯉 ごがつごい のように 端午の節句にからんだ言葉のほかにも 旧暦5月の印象を残す 五月雨(さみだれ)、五月躑躅(さつきつつじ)、五月蠅い(うるさい)などがあります。 五月晴れが もともと 梅雨の晴れ間をさしていたように 五月雨は 旧暦5月に降る長雨 つまり 梅雨のことをさしています。 そして 現在の5月下旬から7月に咲く花に サツキがあります。 サツキは ツツジの仲間で 旧暦5月ころに咲くことから 五月躑躅(さつきつつじ)と呼ばれるようになりました。 また 「うるさい」という形容詞には 五月の蠅(ハエ)という漢字があてられることがあります。 今の5月には ハエの姿をみることは あまりありませんが 梅雨のころになると しだいにハエがうるさくなってきます。 あの清少納言もハエについて にくいもの、かわいげのないもの と述べていて ハエは 古代から うるさい、さわがしいものの代表としてとらえられていたようです。 とくに 活動を始め出す梅雨のころ 旧暦5月のハエのうるささは この上なく やがて 「うるさい」に「五月蠅い」という文字をあてるようになりました。 このように 五月雨、五月躑躅、五月蠅い に使われている「五月」は 梅雨のころの印象をふくんだことばとして今も残っているのです。 この言葉からも 昔の人々の「五月」のイメージが 今とは違っていたことが わかるでしょう。

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不がつく言葉

ずのつく言葉

詳細は「」を参照 から代にかけ東部にいた遊牧狩猟民族で、胡()の東方に住んでいたことからの呼称という。 (または)とツングースの雑種であり [ ]、秦代になると一時は匈奴を圧倒したが、により壊滅させられた。 やはその後裔といわれる。 朝鮮語における胡 [ ] で、 胡 호 には、「中国でを呼んだ言葉」 のほか、「 中國東北」 、「北部に住んでいた女真族」 などの意味がある。 また、では、清を胡と位置づけて 「淸 」のことを「胡國 」と呼称し、の見地から 人倫的および文化的に夷狄即胡虜視する対清観が一貫して流れていた。 この背景には、のに基づいてを崇め、清を胡として蔑しめる風潮 、中華文明の伝統は清朝によって夷狄化したとして蔑視し、その人びとを「胡虜」か「犬羊」とけなし、中華の正統を継ぐのは朝鮮だけだという唯我独尊的ながあった。 姓 [ ] 詳細は「」を参照 漢字文化圏には古来より「」という姓が存在し、の父、の儒者、の、ベトナムの国父(胡志明)などがいる。 その起源は、華人に同化した異民族出身の者がを付けたのが始まりとも言われるが、の氏族略が伝えるところによると、のの初代君主に由来し、陳の滅亡後に陳の遺民が名乗ったのが始まりと書かれている。 において、「胡」の姓は十三大姓の一つに数えられている。 「胡」のつく言葉 [ ]• - こきゅう• - にこ• - こうこ• - きゅうり• - くるみ• - こしょう• - ごま• - あぐら• 胡散臭い - うさんくさい• - こちょう(の別名)• - すずめばち• - ごふん 脚注 [ ] 注釈 [ ] 出典 [ ] []• 安田吉実、孫洛範 [編]『エッセンス韓日辞典 机上版』1989年1月20日発行、民衆書林、、2437頁。 「胡亂」=「胡人による兵亂」 同2239頁 、「胡人」=「満洲人、野蠻人、外国人」 同2243頁• 弘字出版編集部 [編]『最新漢韓辞典』、1984年初版発行、1989年1月20日改訂版発行、民衆書林、、626~627頁。 朝鮮語研究室 [編]『朝鮮語大辞典』、昭和61年2月20日、、2575頁。 、『近代朝鮮の社会と思想』未来社、1981年、46頁。 『人物・近代朝鮮思想史』、1984年、76頁。 『朝鮮実学者の見た近世日本』ぺりかん社、2001年、389頁。 関連項目 [ ]•

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猫典*猫のつく言葉

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言葉の意味が知りたかったらまず辞書を引きましょう。 慣用句は最初に来る単語で調べます。 このように「あやをつける」という云い方は辞書も認知しています。 しかしこれはまともな人間が使う言葉ではないと思う。 なにしろ「言いがかり」をつけることですから。 私は映画やテレビで与太者かその周囲の者が云うのしか聞いたことがありません。 小市民は使う場面・文脈を持たぬ言葉です。 ご質問の「あやがつく」という言い方は存在するかどうか怪しいと思います。 「けちがつく」にひきずられた誤用じゃないかしら。 さしあたって標準語の表現としては認められないと断定してよさそうです。 参考URL: A ベストアンサー 流布されている説でよく聞くのは、「昔は火傷の民間治療として味噌を塗っていた。 火傷は何らかの失敗であるので『失敗する』の婉曲表現として『味噌をつける』と言うようになった。 」というものです。 それを具体化したような説では「特に火を扱う職人が味噌を塗っているのを見て『あいつは味噌をつけている、火でしくじったな』と言っていたのが、『味噌をつけた』と言うようになった。 」というものもあります。 その他では、「昔、隣家の火事の延焼を恐れた長者が自宅の壁に味噌を塗りたくり、延焼は防げたものの食事用の味噌がなくなり、飯が不味いと使用人が逃げ出してしまって働き手がいなくなり、長者は貧乏になってしまった。 それから人々は、間違った判断での行為を『味噌をつける』と言うようになった。 」というのも聞いたことがあります。 しかし、どうやら「味噌をつける」から発想した現代の創作民話のようです。 A ベストアンサー めどはやまと言葉ではないでしょうか。 もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。 広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく 不親切です。 朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。 解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、 ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。 目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です) A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共... Q テリー伊藤氏の或る本を読んでいたら、次の一節が出てきました。 「テレビ業界にも、ディレクターとしてはダメだったけれどもプロデューサーとしては優秀だという人たちが少なからずいる」 これってどういう意味なんでしょうか? プロデューサーは「企画する人」、ディレクターは「指示を出す人」だというのはわかるんですが、プロデューサーは自分の頭の中に企画のイメージやアイデアがあるということで、ディレクターの代わりにディレクションをすることはないんでしょうか? また、「プロデューサーとしてはダメだったけれどもディレクターとしては優秀」というのならなんとなくわかるんですが(自分で企画を立てられるほど発想が豊かでない、アイデアマンではないけど、他人に指示を出すのはうまい)、その逆ってどうも今ひとつイメージできません。 テレビ業界に限らず、映画・アニメ・音楽などの業界での話として、どなたか説明してくださる方、よろしくお願いします。 A ベストアンサー こんばんは。 3の回答者さんが仰る通り、演出を行なう者の事です。 演出とは頭の中の考えを表現する事ですから、それこそ『発想が豊か』かつ『他人に指示を出すのがうまい』事が求められます。 一方、「プロデューサー」が行なう事は、制作全般の運営・管理です。 企画立案、資金調達(企画売り込み営業等)、スタッフや出演者のキャスティング、スケジュール管理、予算管理、作品のクオリティー管理などなど。 従って、プロデューサーはこれら制作管理の立場から、場合によってはディレクションに口を出すこともあり、ポジションとしては紛れも無くディレクターの上司に当たります。 即ち、ディレクターは演出力のみ発揮すれば良いですが、 プロデューサーは制作の全責任を負う職務な訳です。 従って、これまで投稿された回答がプロデューサーを軽んじてるように思えるのが少し気になるところです。 とりわけ、企画を通す、とか予算を引っ張って来る、なんて事はどんな業務より困難なのは明らかですよね。 しかしながら、以上は理想であり建前です。 現状は演出力のないディレクターや何もやらないプロデューサーを大勢見てきました。 ですから、『プロデューサーは「企画する人」』というのは、本来は間違いではありませんが、自分で企画を起さない人も多数いますから、むしろプロデューサーに絶対必要な資質というわけではないのでしょう。 現にテリー氏の会社には構成作家を何人も抱えていて、プロデューサーが企画を立てたい時は彼等を自由に使える仕組みになっています。 「営業」も然りで、テレビ局等との関係によっては勝手に仕事が舞い込む場合もあったりして、自らの営業力を発揮しないプロデューサーも少なくありません。 私が業界に入った当初、私の師匠から「ディレクターになれなくてもプロデューサーにはなれる」と教わりました。 その意図するところは、ADや制作進行、助監督など(現場によって呼び名や職務は様々ですが)下積み業務をこなしているうちに自ずと制作管理全般の知識は身に付き、加えて、多くの人々に出会い人脈も構築できる。 だから仮に演出能力がない場合に備えて人望を磨いとけ、というものでした。 ちなみに、テリー氏と私の師匠は元同僚なので同じ教育を受けて同じ考えを持っていても不思議ではありませんし。 加えて、 他の方々も指摘してらっしゃる通り、ディレクター達は往々にしてコスト意識が薄く、 それに対してプロデューサーは「金がかかり過ぎ!」などと怒ったりぼやいたりするのが常ですが、ディレクターのアイデアが実現できるように立ち回りつつも、同等の効果が得られしかも安く上がるような提案を積極的に行なうようなアグレッシブな予算管理を行なう事なども良いプロデューサーの資質だと思います。 また、それをしないと商業映画のプロデューサーなら即失格でしょう。 それから、 >ディレクターとしてはダメだったけれどもプロデューサーとしては優秀 ご承知かも知れませんが、 プロデューサーになるには必ずディレクターを経るというわけではなく、ディレクターを目指して業界入りしても修行半ばでプロデューサーに目標を変える人や、最初からプロデューサーを目指して業界入りする人も大勢います。 要するに、ディレクターはプロデューサーへの通過点ではなく、 プロデューサーはディレクターの成り損ないでもないという事をご理解下さい。 こんばんは。 3の回答者さんが仰る通り、演出を行なう者の事です。 演出とは頭の中の考えを表現する事ですから、それこそ『発想が豊か』かつ『他人に指示を出すのがうまい』事が求められます。 A ベストアンサー 既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。 長いですので覚悟してください。 全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。 犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。 これを捜査と言います。 被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。 それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。 ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。 入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。 この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。 「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。 具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。 この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。 しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。 これが「勾留」です。 勾留は最大10日間身柄を拘束できます。 なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。 ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。 ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。 そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。 これを「検察官送致、略して送検」と言います。 無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。 検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。 このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。 これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。 ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。 さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。 全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。 身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。 と言うか、身柄を拘束していないのでできません。 たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。 しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。 これを「書類送検」と呼んでいます。 書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。 正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。 つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。 と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。 というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。 まとめれば、 1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。 2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。 3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。 4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。 5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。 ということです。 そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。 身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。 しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。 既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。 なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。 例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。 ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。 そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。 もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。 ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。 ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。 しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。 その後どうなるかはその後の話です。 無論、逮捕だけでも前科は付きません。 逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。 ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。 既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。 長いですので覚悟してください。 全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。 犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機... A ベストアンサー 民事再生法。 簡単に言うと、借りた金を約束通り返せなくなったので いくらかはチャラにしてください。 という法律です。 従来の会社更生法と違うのは、経営者はそのまま事業を 継続できる、辞めなくてもいいというのが、一番の違いです。 もっとも、誰も貸した金を返さなくてもいいとはいいませんので、 いくらが条件があります。 一番大きな点は、借金返済のために資金繰りが悪化して潰れそうには なっているが、事業自体は順調で黒字が出ている。 借金さえなければいい会社なのに。 そういう感じです。 今、潰して資産を債権者で切り分けするよりは、 活かしておいて、働かせて借金返済をさせたほうが得だ。 そういう客観的な判断ができるようならば、債権者の同意のもとで 会社、事業の存続と借金の減免が行われます。 当然、債権者はよりたくさん金を返してほしいですから、 従業員の削減、給与のカット、経費削減案、売上アップのためのさらなる具体策など を求めてきます。 もっとも、違法で最低賃金を切るようなことはさせられませんし、 いきなり給料7割カットとか言ってしまうと、優秀な従業員から逃げられて しまうので、それらには自ずと限度はあります。 民事再生の成功の可否は、事業の健全性 合法で世情にあっていてきっちり儲けられること と 経営者のやる気と体力、従業員などの同意とやる気をいかに出せるかに かかってきます。 事業が健全でも、経営者の怠惰で失敗するところもあれば、 従業員がやる気をだしてそれなりに成功しているところもあるようです。 簡単な本はでていますので、本屋で一冊読んでみることをお勧めします。 民事再生法。 簡単に言うと、借りた金を約束通り返せなくなったので いくらかはチャラにしてください。 という法律です。 従来の会社更生法と違うのは、経営者はそのまま事業を 継続できる、辞めなくてもいいというのが、一番の違いです。 もっとも、誰も貸した金を返さなくてもいいとはいいませんので、 いくらが条件があります。 一番大きな点は、借金返済のために資金繰りが悪化して潰れそうには なっているが、事業自体は順調で黒字が出ている。 借金さえなければいい会社なのに。 そういう感じ...

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