鳴か ぬ なら 殺し て しまえ ホトトギス。 信長、秀吉、家康が詠んだというほととぎすの句の出典を確認したい。「みみぶくろ」とテレビ番組で放送し...

ホトトギス3つの俳句『鳴かぬなら~』個性がおもしろい!戦国三武将の業績や性格の象徴!

鳴か ぬ なら 殺し て しまえ ホトトギス

ホトトギスはウグイスの巣に卵を産み、孵化したヒナを育ててもらうといった習性を持ちます。 その為、ホトトギスはウグイスが生息している場所に飛んでくるのです。 林や藪、草原などでその姿を確認することができます。 ホトトギスは昼夜に関係なく鳴く鳥として知られています。 ホトトギスは、日本の夏の到来を告げる最も代表的な渡り鳥として知られており、春のウグイスと並び、季節の鳥として周知されています。 また、 このホトトギスについては、万葉集にも記されている鳥です。 多くは5月頃に渡来し、ウグイスの巣に卵を産み、 秋になると南へと去っていく渡り鳥として知られています。 その為、見た目もホトトギスとカッコウはよく似ています。 とてもよく似ている為、それぞれの特徴を知らなければ見分けがつかないということもあります。 ホトトギスとカッコウの見分け方 胸に横線が入っているのがカッコウで、それよりも横線が少ないのがホトトギスです。 また、尻尾に斑点があるのはカッコウ、ほとんど見られないのがホトトギスです。 身体の大きさはカッコウよりもホトトギスの方が少し小さめです。 ホトトギスは冬はアフリカやインド、中国南部で暮らしていますが、5月頃になると日本や朝鮮半島に向けて渡来してくる渡鳥です。 数にして、 万葉集には153例、古今和歌集には42例、そして新古今和歌集で46例です。 実に、「枕草子」でも、ホトトギスの声を聴きたくて、徹夜して待つ人が詠われており、他にも、仙谷さん大武将の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康とそれぞれがホトトギスを俳句に読み、詠っています。 また、 ホトトギスは漢字で「時鳥」と表記されることがほとんどですが、他にも、「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などの異名を持っています。 郭公は、実は、カッコウのことです。 実物を比較しても、カッコウとホトトギスはとてもよく似ていますが、全く別の鳥です。 しかし、 日本古来より、和歌や俳句を詠む際は、カッコウのこともすべて「郭公=ホトトギス」として詠まれていたそうです。 そして、ホトトギスと聞けば、正岡子規です。 正岡子規は、「ホトトギス派文学」の創始者であり、まさにホトトギスを意味する「子規」を名乗る俳人として知られています。 また、ホトトギスは、激しく鳴き続ける鳥であるという伝説があり、それを自身が罹患した結核になぞらえて詠まれた俳句であると言われています。 日本に残る俳句でも、やはり「ホトトギス」を詠んだ俳句は非常に多いです。 また、鳥と言う鳥が季語に出て来るものすべてホトトギスの句になってしまうこともあります。

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鳴か ぬ なら 殺し て しまえ ホトトギス

『鳴かぬなら 放してしまえ ホトトギス』 とも言われているという。 この句はそれぞれの武将の性格を表すものだというが、どちらにせよ明智光秀にあったのは、『優しさ』という一面だったようだ。 私は基本的に、この明智光秀タイプだ。 決して織田信長というタイプではなく、むしろそういう人間を軽蔑視することろがある。 今までずっとそうだった。 逆に弱い人間に見えるのだ。 力に支配されているように見える。 時代次第ではカリスマ性を発揮するが、それが偶然だっただけのように見える。 少なくとも私だったら絶対にそれに屈することはない。 本気を出して、秀吉タイプに変わるイメージだ。 基本的に、 『鳴かぬなら 別に無視しろ ホトトギス』ということで、ちょっと冷たい人間のように見られてしまうかもしれない。 しかしそれは、『人目を気にしていない』からそうするのであって、以前、精神未熟な時、人からなんと言われるか、どう見られるかを気にしていた時代なら、違うことを言って、悦に入っていただろう。 だが、という人物がこういうことを言っている。 優しい人を演じる人は、その人と問題を解決し、ゲラゲラと笑っている時、 遠い地球の片隅で、人が理不尽に殺されていることをどう思っているだろうか。 まさか、『自分とは無関係だ。 だから今日も大笑いする。 』と言うわけではあるまい。 いや、別に言ってもいいが、私にはそういう人間があまり高潔な人には見えない。 人間、なるようにしかならない。 そしてそれは人間だけでなく、この世の一切の森羅万象がそなっているのだ。 それを無理やり、人為的に捻じ曲げようとする行為は、越権的である可能性がある。 私も、目の前で子供が明らかな迷子で泣いていたら、手を差し伸べる確率は100%だ。 だが、『ホトトギスが鳴いていない』からといって、それを無理やりどうにかするつもりはない。 越権的だからだ。

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鳴か ぬ なら 殺し て しまえ ホトトギス

織田信長の性格を表すのによく例えられるのが、「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」ですが、本当に織田信長の性格はこのような短絡的なものだったのでしょうか? 織田信長を知るとどうしてもそのような性格だったとはとても思えません。 photo credit: via 織田信長は「鳴かぬなら殺してしまえ」という性格なのか? 織田信長は強者とは戦わない慎重派 「織田信長は無鉄砲に戦を重ね、そのカリスマ性で家臣をまとめ強引に領地を拡大していった」そのようなイメージがありますが、実際は全くそのようなことはありません。 例えば、織田信長が天下布武を出すようになる前は、強大な力をもっていた武田信玄や上杉謙信に対しては贈り物を送っていた時期があります。 武田信玄に対しては、「兵馬の法、政治の道の先輩として教えを仰ぎたい」とまで伝えつつ贈り物を送っており、武田信玄と戦う気がないことを伝えています。 結局は武田家を滅亡に追いやる織田信長ですが、時期を見て「妥当ではない」時期には強者に対し礼儀を尽くすことで戦闘を回避することができた、とても慎重な戦国武将です。 決して「無謀な戦いを仕掛け勝ち続けてきた」訳ではありません。 参考記事: 斎藤道三が認めた織田信長 斎藤道三は織田信長の正室「濃姫」の父親なので、織田信長の義父です。 ただ、これは織田信長の父親織田信秀と斎藤道三が一時的な和平を結んだ際に行った政略結婚です。 斎藤道三と織田信長が初めて面会した後、斎藤道三が家臣に対し「いつか自分の息子たちが織田信長の軍門に下ることになるだろう」と語ったと伝えられています。 斎藤道三は「蝮の道三」と恐れられていた抜け目のない戦国大名ですが、その斎藤道三が認めるほどの男なので「鳴かぬなら殺してしまえ」などの短絡的思考の持ち主ではなかったでしょう。 おそらく、織田信長が着々と準備していた【金で雇ったいつもいつまででも戦える兵】をはじめとする超合理的な織田信長の思想に触れて感じ取ったものだと思われます。 参考記事: 足利義昭が上洛する際に行った根回し 織田信長の慎重な性格は足利義昭が上洛するため周到に根回しをしていたことにも現れています。 浅井長政には自分の妹「市」と嫁がせ、同盟関係を結んでいます。 強大な敵「上杉謙信」に対しては書状で足利義昭を奉じて上洛する決意を伝えています。 上杉謙信宛の書状の中で、足利義昭を奉じて上洛することを決めたことと、武田信玄もそれを妨害しないため徳川家康と和議を結んだことを下記、上杉謙信も天下のことを考え武田信玄と講和してほしいと伝えています。 唯一の戦闘となった「六角承禎」ともいきなり戦った訳ではなく、足利義昭上洛に向けて交渉を事前に行い平和的に解決しようとしていますが、それに対し六角承禎が応じなかったため戦が起きました。 このように周囲に文句を言わせないような根回しを予め行った上での足利義昭上洛サポートは、織田信長は慎重な性格であることを想像できます。 参考記事: 織田信長は「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」の性格か? 織田信長は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という性格ではなく、「合理的で無理をしない慎重派。 交渉するけれど決裂したら戦うよ」という性格だと思います。 なので、「鳴かぬなら交渉しようホトトギス」はどうでしょうか?.

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