壱式陸攻。 九六式陸上攻撃機

主力「陸攻」の調達 一式陸攻入手任務(九六式陸攻レシピ等)【第二期】 | ぜかましねっと艦これ!

壱式陸攻

任務情報• 燃料弾薬250, 一式陸攻 前提任務は、• 「陸攻」隊の増勢• ウィークリーは東京急行系の遠征を1度クリアするだけなので、 苦にはならないでしょう。 九六式陸攻を開発しよう この任務は一式陸攻の調達ですが、そのためには 九六式陸攻を開発しないといけません。 普通の開発と条件が違い、空母系旗艦・普段より多くの資源を使用することで 九六式陸攻は開発できます。 具体的な成功例としてよくあるのが• 陸攻と大型電探を両方狙えるレシピは現状不可能なようです。 新規、初心者さんには非常に重いレシピですが、 陸攻を最低限数揃えておくと、イベント海域の攻略が楽になる場面が出てきます。 色々理由はありますが、基地航空隊には戦闘行動半径という制約があり• 陸攻系装備は艦攻系装備より戦闘行動半径が大きく、 陸攻系装備でないと特定のマスに基地航空隊を出撃させられない場面がある ことが大きな理由。 基地航空隊の火力は戦闘開始前に敵艦隊を減らすことに繋がるため影響が大きいです。 陸攻を出撃させることが可能かどうかで 攻略難易度が変わってくる海域も多くあります。 もしまだ中部海域まで進んでおらず、【主力「陸攻」の調達をしよう】の 任務がクリアできない場合でも、 九六式陸攻を作っておけばイベント海域で何らかの役に立つはず。 将来的には上位機体を含め8-9機程度は準備しておきたいです…が、 陸攻はレシピがとても重たいので、時間をかけて数を揃えていきましょう。 天山2つを準備するだけなので、任務出現次第クリアしたいですね。 定期任務・EOリンク• 【侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦】• 第一海域• 第二海域• 第三海域• 第四海域• 第五海域• 第六海域• 第七海域• 掘り1 E11 E12 E21• 掘り2 E42• 【最近の更新】• II 実装• 【各海域紹介リンク(二期)】 EO海域と鎮守府海域・5-2から先は個別記事のほうが充実しています。 【マンスリー任務リンク()】 【クォータリー任務リンク()】 【戦果任務】.

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「E7ゲージ1本目撃破」MaOのブログ | InsanityHorse

壱式陸攻

一式陸攻を見学に山梨県へ行ってきました。 ここ、河口湖自動車博物館は世界で唯一、現存する一式陸上攻撃機(本物)が 見学できる場所です。 現在、胴体と尾翼の修復まで終わり 残りは主翼のみとなりました。 格納庫の隅に展示してあります。 一式陸攻は「中攻」とも呼ばれ、と並んで 先の大戦の主戦力となりました。 それにしても、 75年も前にこんな大きな飛行機を2400機以上も製造した 日本は凄い。 それらを必死に支えた国民の底力に敬意と 感謝を表する次第であります。 河口湖自動車博物館飛行館へ 河口湖自動車博物館の別館「飛行館」は8月のみ営業開館し 見学できる。 それ以外の期間はレストア作業に専念しているようだ。 8月もおわりに差し掛かった頃、出かけたが、午前中の開館直後にも かかわらず、多くの人が訪れていた。 いきなりだが、入口に掲げてある撮影禁止の注意書き。 ケータイ(携帯)でのみ撮影が許可されている。 三脚、自撮り棒は もちろん、一眼レフ・コンパクトデジカメに関わらず、一切のカメラは持ち込み 禁止。 i-padも禁止。 なぜデジカメは禁止で携帯だけOKなのか? こういう理由らしい。 館長さんだって本来こんな注意書きしたくないだろうに、 携帯だけでも撮影できるなら有難い!自分は充分であります。 私は 実物の質感をこの目で見に来たので写真はオマケであります。 まずは機首の風防から見てみよう。 この写真ではわかりにくいが、風防の透明度が高いので 風防越しに内部が細部までよく見える。 とても興味深い。 内部に入れる見学企画があれば、喜んで参加したいのだが これだけでも満足。 風防に使われている。 アクリルは当時、最先端の樹脂素材だった。 爆撃手の席は よく見える。 写真は写り込みがあるが、実際は触れられる距離にあり 細部まで非常に緻密に復元されている。 爆撃の照準を行う際、眼下がよく見えるように、 床はアクリルの透明張りだ。 特にこの展示機「一式陸攻二二型」の風防は一一型より 窓が多くなっており 良く視界が確保されている。 一式陸攻の水平爆撃 一式陸攻は雷撃と爆撃が可能だが、 爆撃(水平爆撃)の場合、敵陣上空へ到達すると 翼も触れんばかりの爆撃編隊を組み、先頭の一番機より 爆撃する。 これを合図に、後続の機が続く。 よって 一番機に最も優れた爆撃手が搭乗する。 単機では命中しない爆撃も、このような複数編隊による 網を形成することにより、いずれかの命中が期待された。 戦争初期には爆撃専門・専科の搭乗員育成プカリキュラム(特修科練習生)を 卒業した熟練の爆撃手が存在したため、命中率は非常に高かった。 戦争後期にはそうした熟練の搭乗員が多く戦死した。 地上爆撃の場合は高度をあがれるだけ上がって 7000メートル程度。 地上目標は動かないから優秀な爆撃種が 一番機に乗っていればそれでよかった。 問題は艦船の爆撃である。 敵艦に爆弾を投下する際は徹甲弾を用いて 3000-4000メートルで行われた。 これは対空砲火を避ける以外に 敵艦船の装甲を貫くために最も適した高度とされた。 これより低い1000-2000メートルでは艦船のアーマーを 突き抜けず、爆弾が跳ね返って表面で爆発してしまいダメージを 与えられない。 戦闘行動中の艦船に爆弾を命中させるのは至難である。 戦艦や空母など巨大な船は舵を切ってから曲がり始めるまで 3分もかかるため、命中しやすかったが、巡洋艦や駆逐艦は すぐに進路を変更できるため、進路を予測しなくてはならない。 こればかりは運であった。 優秀な爆撃手ともなると敵艦の ウエーキ(航跡)のでぐあいで面舵になるか取舵になるか 見極めたという。 一式陸攻の雷撃 一式陸攻の最も最初の活躍といえば イギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスの レパルスの撃沈が有名である。 雷撃は水面スレスレの20メートルから1トンの魚雷を投下し 大凡30度の角度で入水。 この方法が魚雷が真っ直ぐに進む。 敵戦闘機も超低空では照準できず、後ろから近付いても 20ミリ機銃があるのでボカンとやられるだけで手が出せない。 理想的な高度とされた。 ところが実戦ではプロペラが海面を叩くほどの 超低空で飛行した。 これは敵艦の高角砲が仰角プラス9度まで しか下がらないという先入観から、超低空で接近すれば 敵の弾は当たらないという考えであった。 それで敵艦に突っ込んで行って 魚雷を投下すればあとは逃げるだけなのだが、訓練では 回避行動を取ったが、実戦では腹を見せると撃たれることがわかった。 そこで、雷撃を済ませたら全速力で一直線に敵艦の上空を突っ切る 戦法に切り替えたのである。 結果的にこのほうが被弾率は少ない。 しかし回避行動もせず敵艦の真上を突っ切るのだから、その度胸たるや 並大抵でないし、被弾せずに済むか、こればかりは運でしか かわせない。 プリンス・オブ・ウェールスでは 腰まで水に浸かりながら懸命に高角砲を撃つ敵兵の顔が見える。 さすがは伝統のロイヤルネイビー。 敵ながらあっぱれと思ったそうである。 その後、ニューギニアに進出し、連日のように 連合軍基地への爆撃、艦船への雷撃を繰り返すようになると 一式陸攻の消耗は激しくなった。 高い位置にあり、操縦席の様子や計器盤までは見えないが、 全体の配置などはよくわかる。 全て復元が終了した暁には ステップなどを備えて、操縦席が見えるように工夫してほしいと願う。 一式陸攻は原則7人乗り(搭乗員概要) 主操縦士と副操縦士の二人が横並びに座る。 主操縦士が右の席、副操縦士が左の席。 戦中の 日本の飛行機だからそういう並び。 一式陸攻は原則、7人乗りである。 ・主操縦士 ・副操縦士 ・搭発員(搭乗整備員、現在の航空機関士。 機銃兼任) ・射爆員(爆撃・雷撃手。 操縦員兼任の場合あり。 機銃兼任) ・主偵察員(航法士、機銃を兼任) ・副偵察員(機銃を兼任) ・電信員(機銃を兼任) 電信、偵察は兼任するケースが多い。 大戦初期においては 7人全員が、操縦、電信、偵察など全てを一通りこなすことが出来た。 これに編隊の指揮官や同乗者が加わると 8名~10名になる場合、また、戦争末期で 副操縦士が不在で5名で飛行するケースもあった。 一式の搭乗員が機内でどんなことをしていたのか? よろしければ以下もご覧ください。 (一式陸攻の後継で新型の銀河は、これらの仕事の効率化を図り 兼任できるようになって、搭乗員数も3名となっている) 主操縦士が機長を務めると思われがちだが、必ずしもそうではない。 後席に座る偵察員のほうが経験を積んでいたり、階級の関係などもあり そちらが機長となっている場合もある。 これは、二人乗りの艦上爆撃機や三人乗りの艦上攻撃機なども同じで 真珠湾攻撃で九七艦攻に乗っていたある機長(偵察員)によれば 「操縦員は操縦に専念してればいい。 後席の偵察員が見張りや 航法、色んな仕事をして指示を出す方が何倍も大変だった」と 語っている。 これを、ぜひとも上から覗けるようになってほしい。 内装色は三菱系内装色だが、実は一式陸攻の内装色は 諸説あって、ジュラルミン地剥き出し、または防錆塗装の青色だったとも 色々な説がある。 機体の開口・乗降部は操縦席上と日の丸に設けられたハッチのみである。 入口のハッチがある。 誰がなんと言おうと、美しい。 鮮やかな日の丸に感激する。 格納庫の中で最も兎角 目を引くのだ。 白い縁取りがまたそれを際立たせている。 一式陸攻は大きいので、感激はなおのことだ。 この日の丸の鮮やかさが、一度は戦争に負けた日本が復興し 主権を取り戻し、あらゆる形で再生をとげてきた、私は サンライズに思える。 一式陸攻の生存率 一応、搭乗員全員が落下傘を背負っているものの 一式陸攻の任務は 敵陣へ攻め入ることが殆どの為、 脱出せず、そのまま自爆、7名全員が未帰還となる ケースがほとんどであった。 一式陸攻は、敵艦、敵陣に絶対命中を狙う為 一旦爆撃、雷撃進路に乗ると、動かない。 敵機に補足された場合、機銃で応戦するか、 護衛のゼロ戦に守ってもらうくらいしか生き延びる道はないのである。 とにかく、回避行動はとれない。 戦後、我々がゼロ戦などの、戦闘機の生存者に講演などを 聞く機会はあるが、この中攻で生き残った者は非常に少なく 滅多にお目にかかる機会はない。 幸運中の幸運が重なり 生存した者を除いて、一式陸攻の搭乗員は多くが 終戦までに戦死している。 前方は図面に基づいて 復元された。 電動の20ミリ銃塔。 敵機と遭遇した場合、機銃の扱いは通信士が兼任する。 敵戦闘機に捕捉された場合、 通信士は「敵機見ユ」「敵機ト交戦中」を打電すると、すぐさま機銃座に 飛んで行って機銃に取りつき、戦闘を開始するのである。 実際にこれと同様の位置およびグラデーション塗装が施されて いたのかは謎から、様々な文献や資料から想像するしかない。 復元機はの機体である。 第761海軍航空隊は大宮島(グアム)・サイパン・テニアン・ ペリリュー・ヤップなどを拠点に活躍した部隊で 一式陸攻を主戦力に据えたほか、銀河や彗星などを保持した。 最終的にはマリアナ沖海戦(あ号作戦)で ペリリュー島から連日、マリアナへ出撃、そのほとんどは未帰還となり消耗。 航空機を失った地上員(整備員等)は応急陸戦隊となって ペリリュー島玉砕戦に参加。 中川州男大佐とともに 玉砕した。 土田喜代一氏は第761海軍航空隊の 地上見張り員だった。 復元が完了してしまえばこの部分は見られない。 貴重である。 ゼロ戦同様 主翼は超々ジュラルミンを桁(けた/主翼の軸となるもっとも重要な部分)に アルミ合金が貼ってある。 一式陸攻といえば、航続距離を増やすため、インテグラルタンクを採用した。 このため防御力に乏しく、ワンショットライターと呼ばれたと 言われているが、ちょっと待ってほしい。 ここで「防弾をおろそかにし、命を粗末にするから 日本は戦争に負けたんだ」などと言うのはおかしい。 それは我々が戦後に後出しだから言えることで決して 現代の物差しで語ってはならない。 当時とは価値観が全然違うのだ。 防御というものは、サムライ的考えで卑怯と考えられていた。 当時、攻撃こそ最大の防御だと考えられていたし。 アメリカと戦争してみて はじめてそれが不利なこととわかったのだ。 館是なのか、天声人語(朝日新聞の社説)が館内の目立つところに 掲示されていた。 何はともあれ、戦時中の兵器をこうして忠実に 復元してくれる後世の為に最も重要であるし、ありがたい。 桜花は母機である一式陸攻二四型丁に吊り下げられ、戦域まで飛行し 切り離された後は、単機、ロケット推進で敵艦に突っ込む特殊攻撃機だ。 私はかつて、この桜花生存者の話も聞いたことがある。 私はブラックユウモアでもBAKABOMBでもないと思うが。 桜花は桜花だ。 一式陸攻を見学したところでゼロ戦の見学に移る。 ここは日本で唯一を展示しているところでもある。 関連記事 骨格も展示されている。 骨格が見られるのも全国でここだけ。 ゼロ戦のデザイン段階から理解できる。 後ろはのゼロ戦。 みんな地味だからと素通りしていたが、これこそ展示の真骨頂。 資料としての価値は最高に高いのだが。 写真ではわかりにくいから ぜひ足を運んでみてください。 隼の後ろには戦意高揚のため 印刷されたポスターが展示されている。 こういったものも非常に貴重。 まさか南郷少佐にお目にかかれるとは思わなかった。 これは独名DB-601こと海軍名アツタ、陸軍名ハ40 「彗星」「飛燕」「晴嵐」「南山」に搭載された国産唯一の液冷エンジン。 細部までオーバーホールされたように綺麗で、これ一つだけでも 充分に見る価値がある。 後ろにあるのがこのエンジンに搭載された 過給器(スーパーチャージャー)だ。 関連記事 このほかには中島の最高傑作「誉」エンジンが新品のような形で 保存されれている。 誉エンジンは素晴らしい。 誉エンジンを 搭載した機体はいずれも優秀だ。 「紫電改」に「彩雲」、「流星」「銀河」などである。 機体は細部までよく観察できるようになっている。 あまりにも近いので機体をゴンゴン叩いているオッサンがいたが 頼むからやめてください。 そういうことをするから制約が 増えてしまうんですってば。 オレオ式の脚。 うーむ・・・。 75年前とは思えないほど良い仕事してる。 まさに芸術作品だ。 海軍機に多く見られる特徴だ。 本来、アルミ合金やジュラルミンは腐食しにくいのだが それでも腐ることは腐る。 白っぽくなったり、赤っぽくなっているのが それだ。 可動部は腐食を防止するために腐食防止塗料が塗られた。 後年「青竹色」と言われるようになったが、それは戦後の呼び方で 当時はそんな呼び方は存在しなかった。 写真ではコントラストが少し強く出てしまっていているが、実際はもっと 薄い色だ。 工業従事者なら誰でも知っている「青タック」をやや薄めて ジュラルミン地に吹き付けたようなイメージだ。 すなわち ブルーメタリックとは全くことなる、透明度が高い、ジュラルミン地が 空けた青色と説明すればわかるだろうか。 航空自衛隊の黎明期を支えたF-86。 歴史の勉強ならびに工業芸術鑑賞を終え、見学終了し、外へ出てきた。 どれも素晴らしかった。 また来ようと思う。 カメラには決して収まらない素晴らしい世界がある。 一式陸攻はこの後、主翼を取り付け完成するが 展示スペースが確保できず探しているそうだ。 来年にはぜひとも展示スペースを新設して堂々の一式陸攻を見たい。 記事の内容が参考になりましたらクリックをお願いします! 読者の方々のクリックによって当サイトは維持されています よく拝見しております。 一式陸攻についてラバウル基地に勤務していた美馬氏(航行士)にお聞きした話があります。 印象に残ったのは、「爆撃のときは全員搭乗するが、雷撃のときは飛行に必要な最低限のクルーで飛びます。 機銃担当は載せません」 わたし、「ラバウルからガタルカナルへは千キロもあり、また損耗率も高かったなかで、よくご無事でしたね」 美馬氏「昭和16年、12月8日午後、偵察のため台湾の高雄からマニラ湾のほうへ飛びました。 高雄に戻ってくるともうすっかり暗闇で、飛行場が見つかりません。 そこでサーチライトの照射を依頼して、なんとか着陸。 機外へ出ると上官にぶん殴られました、ははは。 」 この12月上旬、パラオを訪問します。 それまで丁寧に貴方の記事を読み漁るつもりです。 昨年は旅順、今年の春には私の叔父が戦死したサイパンを訪問しました。 ご英霊に感謝感謝です。 投稿: 平瀬英司.

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彗星一一型《壱》阿部善次 大尉機

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の母機としての一式陸攻 を増やすことなく広胴化(胴体径を拡大すること)に成功し、では胴体下の機体外部に搭載していたやを胴体内に収納することを可能にした。 エンジンは九六式陸攻のより大馬力のを装備し、速力の向上を図った。 主翼内をとし、4,000km以上に達する大航続力を得た。 開発当初から尾部に20mm旋回を装備するなど、九六式に比べて防御を充実させた。 しかし、搭乗員を直接防護する防弾鋼板は重量軽減策から省略された。 的洗練により、大型双発機とは思えない、軽快なを得た。 重量の関係から、尾部以外は7. 7ミリ機銃となった。 防弾 当時、搭載火器によると高速力で敵迎撃機から身を守ることが可能という「」が存在していたが、九六式陸攻がのにおいてかなりの損害を出したことから、十二試陸攻の要求性能には防弾装備も挙げられている。 しかし当時最新の研究から、「近い将来、欧米の航空機銃は20mm級が主流になると考えられるが、これに対応した防弾装備と搭載力・航続力を併せ持たせることはエンジン出力から見て不可能なことから、防弾は最小限にして軽量化を図り、速力や高高度性能等の向上によって被弾確率を低下させた方が合理的」と考えられたため、要求時点から防弾の優先順位は低く、実機の開発においても他の性能を落とさないため、犠牲にされたという経緯がある。 当然、海軍も十二試陸攻の要求性能で大丈夫と考えていた訳ではないようで、十二試陸攻が発注された翌年の1938年に陸攻護衛専用遠距離戦闘機の「十三試双発陸上戦闘機」(後の夜間戦闘機「」)、及び四発陸攻の「十三試大型陸上攻撃機」(後の「」)が同時に発注されていることからもそれが伺える。 海軍の性能要求に対し、当初三菱は三発もしくは四発機とすることを海軍に逆提案したものの、拒否されている。 これは三菱に要求されたのは双発陸攻で、四発陸攻は翌年に十三試陸攻として発注する予定があるためで、既に九六式陸攻とという実績を挙げている三菱と川西に双発の十二試陸攻と四発の十三試大艇(後の)の開発を、四発機の経験に乏しいものの、長年に渡ってのを行っているにを原型とした十三試大攻の開発を発注して、双発陸攻と四発飛行艇を確実に実用化し、更に欧米からの技術導入により四発爆撃機の実用化を図ろうとするのは、既に渡洋爆撃等で大きな被害を受けていた海軍としては自然な判断である。 米軍のにおける主力爆撃機のひとつであるは、双発機相当の性能要求に対して四発機で応えたため、高性能ではあるものの高価な機体になり、より安価な(DC-2原型の双発爆撃機)が1930年代の米陸軍航空隊の主力爆撃機の座を占め、B-17は採用はされたものの少数生産に留まった。 B-17が主力爆撃機の座を占めるのは、アメリカの参戦以降である。 一式陸攻は厳しい航続距離の要求性能をクリアするため、タンクに内構造を水密化したを採用したため、全面的な防弾装備(燃料タンクを防漏用ので覆い、被弾により破孔が開いても漏れたガソリンによって溶けたゴムで破孔を塞ぐ装備)を施せなかった、とされているが、最初の量産機である一一型(G4M1)には、前後桁と燃料タンク側面に防弾ゴムが貼られていた。 しかし、これだけでは不完全であったため、太平洋戦争が勃発すると甚大な被害が発生したことから、(昭和18年)頃からは、速力と航続力の低下を覚悟の上で主翼下面外板に30mm厚のゴム板が貼られた他、並行して噴出式の消火装置も装備されている。 更に1943年(昭和18年)春から自動消火装置の装備が始まる。 この装置はを電気的にし、自動的に二酸化炭素を噴出して消火するもので、効果の限定的な応急消火装置は急速にこの自動消火装置に置き換わっていき、自動防漏は困難だったが消火装備は充実していった。 これらの防弾装備は一定の効果を見せた(現地部隊から被弾しても帰還した例が報告されている)ものの、悪化する戦況下では不十分であった。 このため性能向上型の二二型(G4M2)ではインテグラルタンクに防弾ゴムを装備することが計画されたが、ゴムが熱によって燃料と反応し、溶解するなど、取り扱いは困難を極めたため、防弾ゴムの搭載は断念され、一一型と同じ防弾装備にならざるを得ず、「」母機型である二四丁型(G4M2E)になり、一番燃料タンク・燃料コック・操縦席背面に防弾鋼板が追加された。 更なる戦況の悪化に伴って開発された三四型(G4M3)では、桁を一本にした新型翼に変更、インテグラルタンクを廃止して自動防漏タンクを装備したが、構造変更による容量減に加え、当時の日本の重化学工業の水準で必要な防弾性能を得るためには相当に厚いゴムを張らねばならず、結果として航続距離が3割も低下するという結果を招いた。 もっとも、完成が間際であったことと、既に、より高速で設計当初から防弾装備を備えた陸上爆撃機「(P1Y1)」の配備が進んでいたため、60機の生産に終わっている(防弾ゴムに必要とされる良質なの供給も絶たれつつあった。 耐油性のない天然ゴムに貼り付けることでガソリンによってゴムが溶けることを防ぐのが注目されていたが、終戦までに量産体制が整わなかった)。 名称 [ ] 2601年(西暦1941年)4月に制式採用されたため、「 一式陸上攻撃機」と命名された。 では、を行える機体を、およびのみを行える機体を攻撃機(および)と呼んだ。 これは日本海軍独特の機種の分類であった。 連合国側コードネームは「Betty」であった。 太平洋戦争でのアメリカ軍は、日本軍の航空機に対してコードネームを付けて、種類を区別していた。 戦闘機などは男性名、爆撃機や輸送機などは女性名を付けているが、実在の人物との関連はないというのが公式の発表である。 しかし、一式陸攻の「Betty(ベティー)」と言う名は、命名に携わっていた情報部のとある軍曹のガールフレンドの名前である。 彼女はでをしていた。 機体の左右にある大きなエンジンが、軍曹に彼女の身体的特徴を思い起こさせて、名付けられた。 機首から機尾までほぼ同じ太さのずんぐりした外見と機尾の対空砲座から、 型(英語ではフライングシガー。 因みに九六式陸攻は 魚雷・トーピード型)と呼ばれ、日本国民に親しまれた。 一式陸攻の渾名として「ワンショットライター」(一発着火)または「フライング・」(空飛ぶジッポー)が有名である。 これは翼内の燃料タンク容積が大きく、加えて防弾タンクの採用が進まなかった関係で、被弾に弱く、一掃射で炎上したという意味で使われた。 このニックネームについて、日本の著作では、(昭和27年)初版の・『零戦 日本海軍航空小史』ですでに言及されている。 その他、にを中心とする米機動部隊が際に迎撃に出てきた一式陸攻17機中13機を撃墜したレキシントンの隊のパイロットが使い始めたと言う説もある。 一式陸攻の撃墜された瞬間は米戦闘機側のによっていくつか記録されているが、その映像内でも炎上する機体は少ない。 最近では上記の「ワンショットライター」が示すような、脆弱なイメージ一辺倒で語られがちだった一式陸攻の防御力を見直すような事実も発掘されている。 、()に参加した米「」は空母「」に向かう一式陸攻7機編隊を発見。 2700mで5インチ砲とを用いて攻撃し、30秒後に2機を撃墜。 同時に4機が一式陸攻編隊を迎撃したがなかなか撃墜できず、「インディペンデンス」は被雷して大破した。 残る一式陸攻4機は撃墜されたが、最後の一式陸攻はF6Fの攻撃でも墜落せず、とうとうF6Fは諦めて一式陸攻の逃走を許した。 アラン・ロビー艦長は戦闘報告書の中で一式陸攻の頑丈さを評価している。 空戦全体を見れば7機中6機が撃墜されているのは事実である。 しかしながら一式陸攻よりも防弾装備が充実している次世代、他国の機体もまた出撃のたびに高い損耗に悩むのが常であった。 戦闘の度に大損害を出しているという現実について、その責任のどこまでが機体に属するのか再検討を加えている文献も出版されている。 搭乗員 [ ] 通常7人~8人乗り。 主操縦士、副操縦士、搭発員、射爆員、主偵察員、副偵察員、電信員。 それぞれが機銃や電信などを兼任することができた。 歴史 [ ] 開発 [ ] 大日本帝国海軍は、・で対米劣勢を余儀なくされた戦艦・巡洋艦・航空母艦勢力を補うため、陸上基地から発進して洋上にいる敵艦を攻撃する長距離攻撃機(雷撃・爆撃機)の開発に力を注いだ。 こうした目的に沿って試製されたのが、海軍広工廠の、三菱内燃機製造株式会社名古屋工場((昭和10年)三菱内燃機株式会社名古屋航空機製作所と改称)の本庄季郎技師を主務者として設計されただった。 細い胴体に双垂直尾翼を配したスマートな機体である九六式陸攻は当時としては高い性能を発揮したが、いわゆる「渡洋爆撃」で大きな被害を出したことから、九六式陸攻の防備能力を向上させた後継機として(12年)9月に「 十二試陸上攻撃機」が発注され、再び本庄季郎技師を主務者とした設計陣で開発に取り組んだ。 第一回一式陸攻打ち合わせ会で、技師(三菱)から「防備が不十分。 小型で航続距離求めれば燃料タンクに被弾しやすいため、四発機にして搭載量、空力性能、兵儀装要求を満たし増えた二発馬力で防弾鋼板と燃料タンクの防弾、消火装置を備える」と提案があったものの、(航空技術廠長)から「用兵については軍が決める。 三菱は黙って軍の仕様通り作ればいい」と議論なく棄却された。 1939年10月、一号機が完成。 初飛行は(昭和14年)、パイロットは志摩勝三。 (昭和16年)4月1日、「 一式陸上攻撃機」として制式採用された。 制式後 [ ] に駐機する緑十字機となった機体(1945年8月19日) 最初に一式陸攻が配備されたのは高雄空であり、7月25日に24機が漢口に進出し、7月29日に6機で行なった宜昌西岸地区爆撃が一式陸攻の初陣 となった。 8月11日には零戦との初の協同作戦となる成都攻撃に参加し、零戦の誘導を行なった。 爆弾搭載能力は、前身のと変わらなかったが、速力、上昇力に非常に優れ、零戦を随伴して飛行でき、七千メートル以上の高度が取れ、対空砲、敵機圏外から爆撃が可能であった。 開時、九六式陸攻と協同してからの航空を攻撃し、を含む爆撃機兵力を壊滅させている。 また、やはり九六式陸攻と協同して、マレー沖での「」と「」を撃沈する()など、太平洋戦争初期に活躍した。 その後、海軍陸攻隊の主力として主に方面の対連合軍作戦に従事したが、基本構造の問題に起因する防弾性能の低さから、被害が増大するようになった。 被害は特に時に顕著(に見られるように米軍機でも同様の傾向が見られる)だったが、それなりの数の護衛戦闘機を揃え、この規模の爆撃機としては良好な高高度性能と、防御火力を活かした高高度爆撃を行えば、損耗率を比較的低く抑えることも可能だった。 しかし、戦力バランスが大きく崩れ、護衛戦闘機はおろか陸攻も十分な出撃数を揃えることが出来なくなった大戦中盤以降は、戦術を夜間爆撃、夜間雷撃に変更せざるを得なくなった。 それでも、雷撃により、でを撃沈、他重巡2隻、駆逐艦1隻に損傷を与え、他にもの際に空母を大破、でも重巡を大破させるなどの戦果を挙げている。 また、この時期にでが戦死した際の乗機としてもよく知られる(を参照)。 大戦終盤は「」の母機としても使用された。 桜花はその形状から機外に装備せざるを得ず、そのために起こる空力の悪化、桜花自身の重量、さらには本機の脆弱性とあいまって、桜花を切り離す以前に敵機に捕捉・撃墜されることのほうが多かったようである [ ]。 また終戦時には白色塗装の上、を描いた「」として、軍使の乗機に使用された。 後継機として、陸上爆撃機「」、十三試陸上攻撃機「」、十六試陸上攻撃機「」(計画中止)、十八試陸上攻撃機「」、対潜哨戒機・輸送機「」(計画中止)が開発された。 各型 [ ] 十二試陸上攻撃機(G4M1) 一式陸攻の試作機。 2機製造。 一一型(G4M1) インドネシアでUSAAFに鹵獲された 二二型 エンジンを火星二一型に換装、胴体と主翼も再設計した全面改修型。 上部旋回機銃も360度旋回が可能な動力式に変更されている。 (昭和18年)7月より生産開始。 胴体側方旋回機銃を20mmに変更し、H-6型捜索レーダーを追加した二二甲型、二二甲型の上部旋回20mm旋回機銃を短銃身の九九式一号銃から長銃身の九九式二号銃に変更した二二乙型といった改修型がある。 二四型(G4M2a) 火星二一型の振動が激しかったため、減速比を変更した火星二五型に換装した型。 二二甲型及び二二乙型に準じた改修を施した二四甲型及び二四乙型、二四乙型の機首前方機銃を7. 7mmから13mmに変更した空中レーダー搭載の二四丙型といった改修型がある。 イギリスが機体にイギリスのマークを付けて本国に研究用に持ち帰った。 を製(住友金属によるライセンス生産)の油圧式可変プロペラ3翅から、住友金属が独自に改良した4翅に変更。 二四丁型(G4M2e) 桜花を搭載した第721航空隊の二四丁型 爆弾倉を一一型を搭載できるよう改修し、燃料タンクや操縦席の防弾装備を強化した桜花懸吊母機型。 一部の機体は胴体後部下面に離陸促進用補助も装備できるようになっていた。 二五型(G4M2b) 高高度性能を向上させた火星二七型に換装した高高度型。 試作のみ。 二六型(G4M2c) 燃料噴射装置を追加した火星二五乙型に換装した型。 試作のみ。 二七型(G4M2d) 排気タービン過給器付きの火星二五乙型に換装した高高度型。 試作のみ。 三四型(G4M3) インテグラルタンクを廃止して防弾タンクを装備し、尾部銃座形状変更、水平尾翼への上反角追加等の改修を施した型。 三六型(G4M3c) 三四型のエンジンを燃料噴射装置を追加した火星二五乙型に換装した型。 三六丁型(G4M3e) 三六型を桜花搭載母機に改修したもの。 三七型(G4M3d) 三四型のエンジンを排気タービン過給器付きの火星二五乙型に換装した型。 十二試陸上攻撃機改(G6M1) 陸攻型の量産に先んじて生産されたいわゆる「 翼端援護機」。 陸攻型の防御火器に加えて胴体下面ゴンドラの前後に20mm旋回機銃を追加、主翼前後桁とタンク側面に防弾ゴムを装備している。 陸攻編隊の外縁に位置し、強力な防御火器で編隊を守る目的で開発されたが、改修による重量増加等のため速力や運動性が低下し、陸攻隊と行動を共に出来ないと判定され、またが援護戦闘機として活躍するようになったことから、練習機や輸送機に転用された。 一式大型陸上練習機一一型(G6M1-L) 十二試陸上攻撃機改を練習機に転用したもの。 一式陸上輸送機(G6M1-L2) 十二試陸上攻撃機改を輸送機に転用したもの。 防御火器を減らし20名分の座席が設けられている。 諸元 [ ] トラック諸島に沈む、一式陸上攻撃機 制式名称 仮称一式陸上攻撃機一三型 一式陸上攻撃機二二型 一式陸上攻撃機三四型 機体略号 G4M1 G4M2 G4M3 全幅 24. 88m 全長 19. 97m 19. 63m 19. 50m 全高(水平) 4. 506m 6. 000m 主翼面積 78. 125m 2 自重 6,741kg 8,050kg 8,391kg 過荷重重量 12,895kg 15,451kg 14,772kg 発動機 火星一五型(離昇1,460馬力) 火星二一型(離昇1,850馬力) 火星二五型(離昇1,850馬力) 最高速度 453. 7mm旋回機銃4挺(前方・上方・側方) 20mm旋回機銃1挺(尾部) 7. 7mm旋回機銃3挺(前方・側方) 20mm旋回機銃2挺(上方・尾部) 7. -321 (龍を用いる所属機と目されている)。 仮称一三型 公開 静態展示 三菱製 1800号機、尾翼番号 U2-???。 仮称一三型 主翼・座席等 山本五十六記念館 胴体 ソロモン諸島アクア近郊 左記参照 公開 静態展示 三菱製 2656号機、尾翼番号T1-323。 山本五十六が死亡した際に搭乗していた機体。 二二型 日本 公開・胴体のみ 静態展示 三菱製 12017号機、尾翼番号 62-22の機体だが、現在は尾翼番号 龍41と塗装されている。 「龍」の字は第761海軍航空隊所属機を表す。 主翼を除いて復元されているが、胴体のみ公開されている。 三四型 アメリカ 公開・機首のみ 静態展示 一式大型陸上輸送機 日本 役所 イベントで公開・部品のみ 静態展示 尾翼とインテグラルタンクの一部が展示されている。 登場作品 [ ] 映画・テレビドラマ [ ] 『』 長谷川が護衛する機体として登場。 護衛中に長谷川がに撃たれ、大けがを負う。 『』 基地航空隊の機体として登場。 で実物を使った撮影が行われたほか、実機の攻撃訓練映像と特撮で敵への夜間が描かれる。 漫画 [ ] 『』 シリーズの一編「」にて、の母機として登場。 シリーズの一編「スタンレーの魔女」に登場。 一式陸攻によるを描く。 『』 シリーズの一編「複合戦線」に登場。 末期に単独で飛行中の一式陸攻と、同じく単独で飛行中のが遭遇し、同士で空中戦を行い、双方とも被弾不時着する。 『』 「ハート・オブ・ダークネス」にて、終盤、を起こした久留津らが立てこもるをする。 『』 作中たびたび登場。 序盤では、へ向けて連絡飛行中の艦載機「海鳥」をエスコートするため、トラック島配備機と思われる機体がと共に飛来した。 ゲーム [ ] 『』 プレイヤーの操縦機体として、一式陸上攻撃機 仮称一三型(G4M1)が登場する。 『』 陸上基地から呼び出せる航空支援部隊「基地航空隊」の戦力として、一一型・二二型甲・三四型が登場。 が率いた「野中隊」仕様の機体も登場する。 『』 Betty G4M1 の表記で登場する。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• 未装備時は仮称一三型463. 太平洋戦争研究会『日本海軍がよくわかる辞典』PHP文庫179頁• 日本の極秘軍用機(製作・放映、原題:SECRET JAPANESE AIRCRAFT OF WORLD WAR II)• 堀越二郎・奥宮正武『零戦 日本海軍航空小史』(、1997年) 第4部 名機にも強敵続出 3 実戦を通じて見た米陸海軍機 p384• 鈴木五郎『グラマン戦闘機 零戦を駆逐せよ』(光人社NF文庫、2005年)• 『ヒコーキの心』• 平義克己『我敵艦ニ突入ス 駆逐艦キッドとある特攻、57年目の真実』(扶桑社、2002)63頁• 平義克己『我敵艦ニ突入ス』64頁• 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ42 帝国海軍一式陸攻 双発機の概念を凌駕した中型陸上攻撃機の真実』(学習研究社、2003年)• 一式陸攻戦史、60ページ• 戦史叢書第79巻 中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降、275ページによれば7月27日の成都方面攻撃が初陣• 一式陸攻戦史、61-63ページ• 一式陸攻戦史、64-66ページ 参考文献 [ ]• 雑誌「丸」編集部 編『 保存版 軍用機メカ・シリーズ13 銀河/一式陸攻』(光人社、1994年)• 『 世界の傑作機 No. 59 1式陸上攻撃機』(文林堂、1996年)• 『 歴史群像 太平洋戦史シリーズ42 帝国海軍一式陸攻 双発機の概念を凌駕した中型陸上攻撃機の真実』(、2003年)• 巌谷二三男『海軍陸上攻撃機』上、下(文庫新戦史シリーズ、1996年) 上 、下 巌谷二三男『中攻』(、1976年)の復刻文庫版、海軍陸攻史の古典• 伊澤保穂『陸攻と銀河』(朝日ソノラマ文庫新戦史シリーズ、1995年)• 多賀谷修牟 著・小林昇 訳『 オスプレイ軍用機シリーズ26 太平洋戦争の三菱一式陸上攻撃機 部隊と戦歴』(大日本絵画、2002年)• 巌谷二三男 著・壹岐春記 監修『雷撃隊、出撃せよ! 海軍中攻隊の栄光と悲劇』(、2003年) 上記巌谷氏『中攻』の再編集ダイジェスト版• 高橋勝作・他『海軍陸上攻撃機隊 海軍中攻隊死闘の記録』(、1985年新版)• 須藤朔 ほか『 証言・昭和の戦争 リバイバル戦記コレクション8 英国東洋艦隊マレー沖に全滅す』(光人社、1990年)• 中攻会 編『ヨーイ、テーッ! 海軍中攻隊、かく戦えり』(、2005年)• 佐藤暢彦『一式陸攻戦史 海軍陸上攻撃機の誕生から終焉まで』潮書房光人新社、2019年、• 防衛庁防衛研修所 戦史室『』朝雲新聞社 外部リンク [ ]• 三菱製壱式陸上攻撃機の残骸 - モージャー氏撮影写真資料より• その1::• その2:: ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。

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