中山 美穂 songs。 放送事故クラス!?歌手活動再開・中山美穂の「歌唱力」が物議! (2019年12月9日)

中山美穂が受けた子宮筋腫を壊死する新たな治療法とは!?歌がひどいと言われる驚きの理由とは!?

中山 美穂 songs

中山美穂が12月4日に約20年ぶりとなるニューアルバム「Neuf Neuf」をリリースした。 1985年にシングル「C」でアイドル歌手としてデビューしたのち、女優として大成する一方で、バラード「ただ泣きたくなるの」やWANDSとのコラボ曲「世界中の誰よりきっと」などアーティストとしても数多くのヒット曲を残してきた中山。 1990年代にはセルフプロデュースでアルバムを制作するなど意欲的に音楽活動を続けていたが、1999年発表のシングル「Adore」およびアルバム「manifesto」を最後にアーティストとしての活動は途絶えていた。 しかし、この20年の間にも彼女の中で「音楽を届けたい」という思いが消えていたわけではなかった。 音楽ナタリーではメジャーデビュー35周年を機にリリースされた「Neuf Neuf」の特集を展開。 中山のほか、収録曲のアレンジをすべて手がけた高田漣にも同席してもらい、本作で2人がタッグを組むこととなった経緯や中山の音楽活動に対する並々ならぬ覚悟についてじっくりと語ってもらった。 やはりデビュー35周年がきっかけに? 中山美穂 そうですね。 何から話したらいいか……ファンの方々に歌声を届けたいという気持ちはずっとあったんですけど、なかなか環境が整わなくて。 個人的には曲を作ったり自分のバンドを集めて定期的にリハーサルをしたり、地味に活動はしていたんです。 そんな中で私が音楽が好きということを知ってくれていた浜崎貴司さんから「今度ライブをやるからゲストで出ない?」と誘われて出演して(参照:)。 そのライブを観てくださったレコード会社の方から新作を出そうと声をかけてもらいました。 ただその頃はフリージャズばっかり聴いていたので、当時のポップスがまったくわからないんですよ。 レコーディングにあたって美穂さんからいろいろお話を聞いて勉強し直しました。 アルバムの打ち合わせで「例えば高田さんはいかがですか?」とレコード会社の方に提案いただき、高田さんの作品を聴いたら「もう絶対そう!」とピーンときちゃったんですね。 私が次に音楽をやるならこういうイメージ、というのをそのまま音で聴いちゃった感覚で。 新しさの中にどこか懐かしさがあるというか。 高田 僕としては意外でしたね。 自分の音楽性と思い描いていた中山美穂像が全然つながらなかったので、間違えてオファーが来たんじゃないかと(笑)。 でも美穂さんの過去の作品をいろいろ聴かせていただく中でようやく少しずつ合点がいきました。 最終的には制作過程での美穂さんとのコミュニケーションを通じてようやく腑に落ちたというか、自分がやるべきことが明確になった気がします。 のちに宇多田ヒカルさんやMISIAさんの活躍で全国的に広まったシーンを思い切り先取りしていたとも言えますけど、しかもそれがセルフプロデュースだったという。 国民的ヒットの裏側で好き放題やってるなという印象なんですよ。 中山 あはは(笑)。 自由に作らせていただいていました。 ひさびさのアルバム制作はいかがでしたか? 中山 作業にはごく自然に向き合えましたね。 ただレコーディングに関してはかなり戸惑ってしまい、1人で悪戦苦闘していました(笑)。 まず私の知っているスタジオ環境とまったく違っていたので。 高田 ここ20年で特に録音スタジオの環境が変わったと思うんですね。 美穂さんが最後にレコーディングした頃はまだテープというメディアが主流で、スタジオには大きな卓があっていろんなエンジニアがいて、いざ録音した歌を聴くときにはテープを巻き戻す時間があった。 それが今の環境になると、卓もないわ、すべてダイレクトで音源を聴けちゃうわっていう。 このギャップは美穂さんの中ですごく大きかったのかなと。 中山 肌触りや温もりが違うというか、初めての感覚でした。 レコーディングの終盤でやっと慣れてきましたね。 高田 僕は最初その美穂さんの戸惑いに気付かなくて。 浦島太郎みたいな気分だとおっしゃってたけどその通りだと思います。 作業については、できあがったアレンジを美穂さんに共有してその都度作り変えたり、美穂さんから歌詞の原型みたいなものをいただいてそこに曲をつけたり、いろんなプロセスがありました。 中山 そうそう(笑)。 その定型詩になっていないような言葉が面白くて、なんとなく自分でギターを弾いて作り始めました。 そのときに美穂さんから追伸で「歌詞を大幅に書き換えたい」という連絡があったんですけど、このままで絶対いいものができるという確信があったから「ちょっと待ってくれ」とお願いして。 翌日にできあがったデモテープを送ったら美穂さんに気に入ってもらえました。 そのあとに歌詞は調整しましたが、基本的にはイノセントな要素が肝になっています。 作詞をすること自体は好きなんですけど、昔に比べると言葉が出てこなくなったと感じます。 音楽では明確なメッセージを示したくないというか、言葉に意味を持たせたくなくて、歌詞が書けなくなってきたのかなと。 この歌詞に関しては時計草のイメージのみをとにかく表現しようとしました。 この人選には驚きました。 中山 柴田くんとはたまたまご縁があって。 「今度、曲書いてくれる?」とお願いしたら「いいですよ」と言ってくれていたんです。 それは社交辞令ではなく、すぐに書いてきてくれたんですよ。 すごくいい曲で涙が出ちゃいました。 リリースする予定もなく書いていただいたので、いつか日の目を浴びさせてあげたいなと思っていて、今年の浜ちゃん(浜崎貴司)のライブで弾き語りしたんですね。 それを聴いたレコード会社の方から「アルバムに入れましょう」とご提案いただきました。 高田 打ち合わせの段階で美穂さんが「ザクザクした音」とおっしゃったので、フォークロックみたいなものを求めているんだろうなと。 アコースティックギターがベーシックにあるロックをひさしくやっていなかったので、楽しんでアレンジしました。 この曲は比較的すぐに完成してしまったというか、美穂さんが近年ずっと歌っていたことが功を奏したのかなと思います。

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中山 美穂 songs

中山美穂 ナカヤマミホ は、東京都出身の女優・歌手です。 ファンからは「ミポリン」の愛称で親しまれています。 幼少期から芸能界にあこがれを持ち、1982年に原宿でスカウトされたことがきっかけでモデルとして芸能活動をスタートさせました。 1985年にはドラマ「毎度おさわがせします」で女優デビューを果たし、同年にはアイドル歌手としてもシングル「C」でデビューするなど、一気に注目度が爆発。 日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、ヒロインを演じた映画「ビーバップ・ハイスクール」も大ヒットしたことで不動の人気を確立しました。 女優としてはドラマ「ママはアイドル」「眠れる森」「君の瞳に恋してる! 」や映画「東京日和」「Love Letter」「サヨナライツカ」などのヒット作・話題作で知られ、歌手としてもミリオンヒットを記録した「ただ泣きたくなるの」や「世界中の誰よりきっと」などの代表曲を持つなど、女優としても歌手としても絶大な人気を誇って1980年代以降の芸能界でトップクラスの支持を集めています。 芸能・音楽の両面でコンスタントな活動を続けており、2020年1月には最新の出演映画「ラストレター」が公開。 3月には「中山美穂 BIRTHDAY CONCERT」と題したライブも開催予定です。 中山美穂(ナカヤマミホ)は、1980年代以降の芸能界を代表する女優・歌手の一人です。 1982年のデビュー以降、10代の頃からアイドルシンガーや女優として活躍し、不動の人気を集めてきました。 それまでのアイドルのステレオタイプとは違った力強く大胆な演技で注目を集め、同世代で人気を博してきた工藤静香、南野陽子、浅香唯と合わせて「女性アイドル四天王」と評されるなど絶大な支持を獲得。 その後も女優として月9作品をはじめ数多くのドラマ・映画で主演を務めて批評的にも高く評価され、一方で歌手としてもオリコン1位ヒットを連発して話題を呼んできました。 特にミリオンヒットを記録した「世界中の誰よりきっと」と「ただ泣きたくなるの」は、長きにわたってJ-POPの名曲として親しまれています。 ミュージシャンの辻仁成との結婚後も育児や家庭生活と芸能活動を両立しており、一定のペースで女優や歌手として活動を続けるなど、常に注目を集める存在です。

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中山 美穂 songs

中山美穂が12月4日に約20年ぶりとなるニューアルバム「Neuf Neuf」をリリースした。 1985年にシングル「C」でアイドル歌手としてデビューしたのち、女優として大成する一方で、バラード「ただ泣きたくなるの」やWANDSとのコラボ曲「世界中の誰よりきっと」などアーティストとしても数多くのヒット曲を残してきた中山。 1990年代にはセルフプロデュースでアルバムを制作するなど意欲的に音楽活動を続けていたが、1999年発表のシングル「Adore」およびアルバム「manifesto」を最後にアーティストとしての活動は途絶えていた。 しかし、この20年の間にも彼女の中で「音楽を届けたい」という思いが消えていたわけではなかった。 音楽ナタリーではメジャーデビュー35周年を機にリリースされた「Neuf Neuf」の特集を展開。 中山のほか、収録曲のアレンジをすべて手がけた高田漣にも同席してもらい、本作で2人がタッグを組むこととなった経緯や中山の音楽活動に対する並々ならぬ覚悟についてじっくりと語ってもらった。 やはりデビュー35周年がきっかけに? 中山美穂 そうですね。 何から話したらいいか……ファンの方々に歌声を届けたいという気持ちはずっとあったんですけど、なかなか環境が整わなくて。 個人的には曲を作ったり自分のバンドを集めて定期的にリハーサルをしたり、地味に活動はしていたんです。 そんな中で私が音楽が好きということを知ってくれていた浜崎貴司さんから「今度ライブをやるからゲストで出ない?」と誘われて出演して(参照:)。 そのライブを観てくださったレコード会社の方から新作を出そうと声をかけてもらいました。 ただその頃はフリージャズばっかり聴いていたので、当時のポップスがまったくわからないんですよ。 レコーディングにあたって美穂さんからいろいろお話を聞いて勉強し直しました。 アルバムの打ち合わせで「例えば高田さんはいかがですか?」とレコード会社の方に提案いただき、高田さんの作品を聴いたら「もう絶対そう!」とピーンときちゃったんですね。 私が次に音楽をやるならこういうイメージ、というのをそのまま音で聴いちゃった感覚で。 新しさの中にどこか懐かしさがあるというか。 高田 僕としては意外でしたね。 自分の音楽性と思い描いていた中山美穂像が全然つながらなかったので、間違えてオファーが来たんじゃないかと(笑)。 でも美穂さんの過去の作品をいろいろ聴かせていただく中でようやく少しずつ合点がいきました。 最終的には制作過程での美穂さんとのコミュニケーションを通じてようやく腑に落ちたというか、自分がやるべきことが明確になった気がします。 のちに宇多田ヒカルさんやMISIAさんの活躍で全国的に広まったシーンを思い切り先取りしていたとも言えますけど、しかもそれがセルフプロデュースだったという。 国民的ヒットの裏側で好き放題やってるなという印象なんですよ。 中山 あはは(笑)。 自由に作らせていただいていました。 ひさびさのアルバム制作はいかがでしたか? 中山 作業にはごく自然に向き合えましたね。 ただレコーディングに関してはかなり戸惑ってしまい、1人で悪戦苦闘していました(笑)。 まず私の知っているスタジオ環境とまったく違っていたので。 高田 ここ20年で特に録音スタジオの環境が変わったと思うんですね。 美穂さんが最後にレコーディングした頃はまだテープというメディアが主流で、スタジオには大きな卓があっていろんなエンジニアがいて、いざ録音した歌を聴くときにはテープを巻き戻す時間があった。 それが今の環境になると、卓もないわ、すべてダイレクトで音源を聴けちゃうわっていう。 このギャップは美穂さんの中ですごく大きかったのかなと。 中山 肌触りや温もりが違うというか、初めての感覚でした。 レコーディングの終盤でやっと慣れてきましたね。 高田 僕は最初その美穂さんの戸惑いに気付かなくて。 浦島太郎みたいな気分だとおっしゃってたけどその通りだと思います。 作業については、できあがったアレンジを美穂さんに共有してその都度作り変えたり、美穂さんから歌詞の原型みたいなものをいただいてそこに曲をつけたり、いろんなプロセスがありました。 中山 そうそう(笑)。 その定型詩になっていないような言葉が面白くて、なんとなく自分でギターを弾いて作り始めました。 そのときに美穂さんから追伸で「歌詞を大幅に書き換えたい」という連絡があったんですけど、このままで絶対いいものができるという確信があったから「ちょっと待ってくれ」とお願いして。 翌日にできあがったデモテープを送ったら美穂さんに気に入ってもらえました。 そのあとに歌詞は調整しましたが、基本的にはイノセントな要素が肝になっています。 作詞をすること自体は好きなんですけど、昔に比べると言葉が出てこなくなったと感じます。 音楽では明確なメッセージを示したくないというか、言葉に意味を持たせたくなくて、歌詞が書けなくなってきたのかなと。 この歌詞に関しては時計草のイメージのみをとにかく表現しようとしました。 この人選には驚きました。 中山 柴田くんとはたまたまご縁があって。 「今度、曲書いてくれる?」とお願いしたら「いいですよ」と言ってくれていたんです。 それは社交辞令ではなく、すぐに書いてきてくれたんですよ。 すごくいい曲で涙が出ちゃいました。 リリースする予定もなく書いていただいたので、いつか日の目を浴びさせてあげたいなと思っていて、今年の浜ちゃん(浜崎貴司)のライブで弾き語りしたんですね。 それを聴いたレコード会社の方から「アルバムに入れましょう」とご提案いただきました。 高田 打ち合わせの段階で美穂さんが「ザクザクした音」とおっしゃったので、フォークロックみたいなものを求めているんだろうなと。 アコースティックギターがベーシックにあるロックをひさしくやっていなかったので、楽しんでアレンジしました。 この曲は比較的すぐに完成してしまったというか、美穂さんが近年ずっと歌っていたことが功を奏したのかなと思います。

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