吉川 晃司 布袋 寅泰。 complexの解散理由は吉川晃司と布袋寅泰の不仲?日本一心に至るまで!

布袋寅泰+吉川晃司=COMPLEX デビュー30周年!サブスク解禁!ベスト盤リイシュー!10.12 & 11.28 WOWOW放送!

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吉川晃司の若い頃から現在まで!変わらぬ色気と大人の魅力をご覧下さい 吉川晃司(きっかわ こうじ)は、1965年8月18日生まれのロックミュージシャン&シンガーソングライター。 俳優としても活躍している。 出身は、広島県安芸郡府中町。 吉川晃司は広島の男子進学校である修道中学校時代から水球の選手として活躍。 修道高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表にもなった。 吉川晃司は2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれたほどの逸材。 84年に開かれるロサンゼルス五輪の代表候補選手だった。 同じ水泳部だった酒井麿に誘われ、ロックバンドに加入し、水球とバンド活動も平行して行っていた。 しかし佐野元春のコンサートを見て、カルチャーショックを受ける。 「水球は所詮マイナースポーツ。 もっとでっかい世界でやってみたい」と、歌手の道を選択した吉川晃司。 経歴と類まれなる身体能力の高さから、きっと水球選手としても活躍していただろう。 吉川晃司のバンドは、地元で女の子の親衛隊が付くほど人気だった。 沢田研二、アン・ルイスなどが当時所属していた渡辺プロに手紙を書き、自らを売り込んだ。 吉川晃司はデビュー前、ダンスのレッスン代わりに新宿、渋谷、六本木のディスコで毎日踊り、当時最先端の音楽、ファッション、踊りを身につけた。 1984年、シングル「モニカ」で見事に歌手デビューを果たした吉川晃司。 吉川晃司のデビュー作にして主演映画の「すかんぴんウォーク」の主題歌「モニカ」はレコード売り上げ34万枚を記録。 大物新人として順調なスタートを切った。 18歳の吉川晃司はピンク色のスーツをトレードマークに、アイドルらしからぬロック調のデビュー曲で、次々とヒット曲を生んだ。 立て続けにヒットシングルをリリースした、吉川晃司。 1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占した。 翌1985年暮れにはNHK紅白歌合戦に出場した吉川晃司。 色々とやらかし、長い間NHKには出入り禁止となった。 吉川晃司は、当時の恋人だった女優の石原真理子との恋愛実体験を歌詞にした「MARILYNE」と言う曲を作った。 プロモーションビデオには石原も出演している。 当時はバラエティ番組に出るのが嫌で、人前に出て笑うことは一切できなかったという吉川晃司。 現在では素敵な笑顔を見せてくれる。 異色コンビが一世を風靡した。 1年ほど活動した吉川晃司と布袋だが、価値観の違いから徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展して活動停止に至った。 二度と組むことのなかったCOMPLEXだが、東日本大震災復興支援ライブで2日間限定の再結成。 21年振りに吉川晃司と布袋が同じステージに立ち、熱い握手を交わした。 キメキメのステージアクションで話題を呼んだ吉川晃司。 『ザ・ベストテン』でのパフォーマンスで最も知られているのは出身校・修道高校のプールでのバク転飛込み。 カラースプレーで髪に色を付けたり、立たせたり新しい髪型を考案した。 いわゆる男のおしゃれ、男性ファッションを認知させたのが吉川晃司。 足を高く上げてドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」は吉川のライブの代名詞となっているステージ・アクションの一つ。 シンバルキックで過去3回骨折しているというから、過激! 2009年の大河ドラマ『天地人』の織田信長役で新境地を開いた吉川晃司。 女性視聴者からNHKに吉川に関する問い合わせが殺到したという。 ドラマ『下町ロケット』では、主人公・佃航平の良きライバルとなる帝国重工部長・財前道生役を演じた。 その存在感は抜群のものだった。 ワーナーミュージックへ移籍した吉川晃司。 移籍後初のアルバムには「サバイバル・コール」という災害時に使える最新技術の笛を特典でつけた。 『KIKKAWA KOJI LIVE 2013 SAMURAI ROCK BEGINNING』のツアー。 『三國志13』開発チームが総力を挙げて特別に描き下ろした、オリジナル武将「吉川晃司」。 統率・武力・知力が非常に高く、猛将タイプ。 デビュー30周年YEARを経て50歳を迎えた吉川晃司、通算19枚目となるオリジナル・アルバム「Wild Lips」 鍛え抜かれた背中が美しいCDジャケット。 DVDジャケットの吉川晃司。 「GQ Men of the year 2016」ロック・アイコン賞を受賞した吉川晃司。 ワイルドなカッコよさ。

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1985年の吉川晃司と尾崎豊と鈴木賢司と布袋寅泰

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BE MY BABY、BE MY BABY、BE MY BABY、BE MY BABY…… 東京ドームに鳴り響く、代表曲『BE MY BABY』のイントロ。 2011年7月10日、「日本一心」と銘打たれた東日本大震災のチャリティコンサートで、伝説のユニット『』が20余年ぶりに復活を果たしました。 ステージ両端に現れた、と。 歩み寄り、中央でガッチリ握手を交わすと、大きな歓声が沸きあがります。 20余年前、結成から解散までの経緯を知るファンにとって、きっと感慨深い瞬間だったに違いありません。 同じマンションに住んでいた吉川晃司と布袋寅泰 COMPLEX結成が発表されたのは、1988年12月10日のこと。 もともとは同じマンションに住んでいて、夕飯のおかずを持ち寄ったり、2人きりでハワイ旅行へ出掛けたりするという、気持ち悪いほど仲が良かった吉川と布袋。 プライベートでの友人だった2人がビジネスパートナーになった経緯については、「タイミングが良かったから」という一言に尽きるでしょう。 BOOWY解散後の布袋と事務所独立後の吉川によって結成 1988年といえば、2人にとってターニングポイントとなった年です。 海外志向の強かった布袋はBOOWY解散後、シングル曲『DANCING IN THE MOON LIGHT』をイギリスで発表しましたが、これが全く売れずに大失敗。 大きな敗北感の中で、もう一度、再起をかけようと野心を燻らせていた時でした。 一方の吉川は、所属していた事務所のアイドル的な売り出し方に嫌気がさし、22歳にして独立。 ロックアーティストとしての飛躍に思いを馳せながらも、しばらくは事実上の休業期間に入っていました。 商業的成功を収めるためには、ヴォーカリストとしては未熟な布袋。 アイドルからロックミュージシャンへ脱皮するためには、ソングライターとしてのスキルが足りない吉川。 双方、不足部分を補い合える関係ということもあり、最終的には飲み屋での「一緒にやろうか!」という一声で、COMPLEX誕生に至ったのです。 キレッキレなパフォーマンス! 『BE MY BABY』のミュージックビデオ 結成発表から4ヶ月後。 満を持してリリースされたファーストシングルが、前述の『BE MY BABY』です。 特に話題を呼んだのが、MV ミュージックビデオ のカッコよさ。 低視点の固定カメラで撮り続けるだけというシンプルな仕様ながら、高身長で足の長い2人がキレッキレな踊りを披露しつつ、情熱的に「BE MY BABY!」と歌い上げるそのパフォーマンスは圧巻の一言。 スーパーユニットCOMPLEXの伝説が幕を開けた瞬間でした。 「商業的な成功以外、何も得るものがなかった」と語った布袋 しかしその伝説は、デビュー曲からわずか1年半ほどで終焉してしまいます。 離別の原因は、世にいう「音楽性の違い」というものです。 海外でも通用する音作りがしたかった布袋は、デジタル技術を多く導入したサウンド製作にこだわっていました。 一方の吉川は、生バンドの魅力を前面に押し出したアナログな楽曲を標榜していました。 布袋も「商業的な成功以外、何も得るものがなかった」というニュアンスのコメントを口にしています。 価値観の違いゆえ、レコーディングを重ねる度に不仲となっていき、最終的には1990年11月8日、東京ドーム公演をもって無期限の活動休止となったのでした。 そんな2人が21年の時を経て、少しずつ歩み寄った結果実現したのが、冒頭の「日本一心」コンサートだったというわけです。 せっかく和解したのだから、たった一度きりではなく、また共演してほしいと願っているファンはきっと多いことでしょう。

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布袋寅泰

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前田日明、高田延彦とも殴り合っている この話は、テレビ番組で吉川晃司から聞いた話として、 綾小路翔(あやのこうじしょう)が語った内容である。 前田日明と高田延彦とは一時期、 一世を風靡したプロレスラーである。 この二人と実際に殴り合ったのだが、 前田にも、高田にも 吉川は負けたそうです。 ただ、 「前田は強かったけど、高田は大した事ないな」 と語ったと言われている。 負けるなんて、吉川大した事ないじゃん! いやいや! 前田日明は身長191センチ、体重115キロ、 高田延彦は183センチ、100キロである。 いずれも吉川よりもかなり体重が重い! ましてや相手はプロレスラーであるのだから、 格闘を生業(なりわい)としている男達なのである。 出典:goo. この前田日明と高田延彦は元々は同じ団体に所属していたが、 その後別々の団体を立ち上げ袂を分かっているため、 同じ時期に前田と高田とやっているのであれば、 前田も高田も現役バリバリの頃という事になる。 吉川晃司は「水の中ならジャイアント馬場にも勝てる」と常々発言していた。 それを前田日明から「死んだ人に対して、そんな事言うもんじゃないよ」 と言われて、「水の中なら前田日明にも勝てる」と言う様になったそうだ。 この前田日明とは、仲が悪くて戦ったという訳ではなさそうだ、 友人関係にあり、前田日明の結婚式にも吉川晃司は出席している。 前田日明の武勇伝やトラブルなどについてはこちらで詳しく書いています。 以前から有名な武勇伝 以前から吉川晃司の武勇伝と言えば、 このエピソードが一番有名なのではないだろうか? それは、友人と自宅で酒を飲んでいる時に起こった事件、 ボクシング経験者の友人とケンカになり、 パンチ3発を入れて、相手の 鼻の骨と肋骨を叩き折った。 パンチは一発目は相手の鼻を折り、 2発目は相手の肋骨を破壊している。 ケンカの原因は親友の尾崎豊の形見のギターを、 友人が蹴った事だと言われている。 先日の中村達也の件で思い出したのがこれ。 尾崎豊の形見を邪険に扱われた為、ボクシング経験者を3発で病院送りにした吉川晃司。 — PussySurfers ButtholeGalore それ以外には、ジョギング中に3人のチンピラに囲まれ、 ナイフを突きつけられたが、逆襲して相手を懲らしめている。 この時吉川は、「軽くストリートセッションしただけ」と語ったとの事。 この時の3人はおやじ狩りの少年だったという事だが、 ガキとは言えナイフで武装した相手を手玉に取るとは、 胆力も大したものである。 吉川晃司の身体能力 吉川晃司は学生時代水球に打ち込んでいた。 しかも並みの選手ではなく、 2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれている。 格闘技の試合ではなく、ストリートファイトの場合、 モノを言うのは、まず体力である。 水球は水の中の格闘技と言われる激しいスポーツである。 水の中で泳ぎながらボールを奪い合うのだから、 並みの体力では務まらない。 吉川晃司は、酔っ払ってビルの4階から飛び降りた事もあるし、 家の鍵を無くした時は7階にあった自分の部屋までよじ登って自分の部屋に入った。 何でわざわざそんな事するの(笑)とツッコミを入れたくはなるが、 並外れた身体能力の吉川晃司であるから可能なのだ。 シンバルキックはKOも狙える蹴り技 吉川晃司のライブで度々見せるシンバルキックをご存知だろうか? シンバルキックは役2メートルの位置にあるシンバルに、 蹴りをジャンプしながら入れるというモノである。 出典:goo. がっしりとした上半身から繰り出されるパンチ攻撃からの、 飛び蹴りで大概の相手はKOされるのではないでしょうか? 吉川晃司が敬遠した相手 この話も結構有名ですが、 吉川が「ダメダメ、あんなの、路上のプロだもん」と、 そのケンカの強さを語るのが、氷室京介だ。 氷室京介は元々暴走族出身で、 相当ケンカをやってきた人物で歌手にならなかったら、 ヤクザになってたんじゃないかと、過去自分でも語っていた。 一見小柄で細身の氷室京介と体力に勝る吉川晃司であれば、 吉川晃司圧勝と素人は思ってしまうのだが、わからないモノですね。 氷室京介については、こちらに詳しく書いています。 吉川晃司の身長と体重 吉川晃司の身長は182センチ、体重は70キロ前後と言われています。 70キロはボクシングで言えば、ミドル級という事になります。 ミドル級=69. 853キロ〜72. 575キロ ボクサーのミドル級チャンピオン村田諒太選手と、 ほとんど同じ体格という事になりますね。 因みに村田選手も身長は182センチで、吉川晃司と同じです。 村田諒太を見たら、吉川晃司と同じ体格なんだなと覚えておきましょう。 布袋寅泰との身長差 出典:goo. 布袋寅泰の身長は187㎝で吉川晃司よりも5㎝大きい。 若い頃この2人は仲が良く、いつも一緒に遊んでいました。 しかし、2人がCOMPLEXを組んでから音楽の事で衝突する様になり、 喧嘩別れしてしまいます。 布袋寅泰も若い頃はよくキレてトラブルを起こしていたそうで、 以前一緒に仕事をしていた町田康をボコボコにして、 車から引きずり出し、夜中3時に置き去りにした事件も有名ですが、 吉川晃司は布袋寅泰が暴れても自分は殴った事はないと言っていて、 布袋の攻撃を巧みに躱していた様です。 筋トレで筋肉を鍛えているのか、また体脂肪率は? 2016年に発売したアルバム「WILD LIPS」で、 引き締まった後ろ姿を見せた吉川晃司。 元々水球の選手だったので、 水球で鍛えた筋肉と締まった体が特徴だったが、 出典:goo. 滑り台というのは、人目を気にしない吉川は、 子供達が遊んでいる公園の遊具を使ってトレーニングしている。 自らの体重を負荷にして、 ぶら下がったり、懸垂したりと体を鍛える。 仮面ライダーにも変身できる 吉川晃司は仮面ライダーにも変身する事ができる。 吉川が演じたのは仮面ライダースカル。 仮面ライダーWに登場するライダーの1人です。 仮面ライダーWは2人の主人公が変身して、 1人の仮面ライダーに変身するというライダー。 2人の主人公を演じたのは、桐山漣と菅田将暉です。 2人は、鳴海探偵事務所に所属しているが、 吉川が演じた役は、鳴海荘吉と言って、鳴海探偵事務所の初代所長です。 仮面ライダーと言えば、敵と戦う戦闘シーンがあるが、 もちろん吉川晃司は戦闘シーンも自分でこなす。 吹き替えシーンはありません。 正解は仮面ライダースカル。 吉川晃司さん演じる鳴海荘吉がすごくかっこいいんだよ。 その時既に、2人の間には子供がいたそうです。 結婚する前から子供が生まれていた、未婚の父だったそうです。 吉川は以前から、結婚には否定的で、結婚して丸くなってしまうのは、 アーティストにとってマイナスと考えていた。 しかし、東日本大震災のボランティア活動を通じて、 考え方が変わった様です。 吉川晃司のボランティア活動 歌手の吉川晃司さんは1965年生れ広島県出身、被曝二世であることを公言している。 2011年3月11日の東日本大震災直後の3月19日から5月2日まで計2週間、宮城県石巻市でいちボランティアとして瓦礫撤去などの作業にあたった。 しかし、ボランティア活動する吉川晃司の姿を、 テレビなどで私は見た事がない。 実は、吉川は芸能人としてではなく、普通の人間として一般の人にまじり、 瓦礫の撤去などの作業を行う。 そこには、テレビのカメラも無ければ、取材する記者もいない。 以上吉川晃司最強説でした。 (スポンサーリンク) 関連記事 カテゴリー•

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