六甲山 神社。 六甲山・摩耶山周辺の寺・神社 クチコミ人気ランキング【フォートラベル】

六甲山神社とは

六甲山 神社

六甲山系の磐座 ~六甲に走るレイライン~ Report 2013. 29 平津 豊 Hiratsu Yutaka 本論文・レポートのリンクおよびシェアは自由です。 画像や文章を抜き出して引用する場合は出典を明記してください。 聖地や遺跡が直線上に並ぶ現象をレイラインという。 これは、1921年にイギリス人のアルフレッド・ワトキンスにより提唱され、イギリスの古代遺跡だけでなく、ペルーやメキシコなど世界中の古代遺跡で見られる現象である。 しかし、学術的に、このレイラインを認めるのは少数派に過ぎない。 というのも古代人がどのようにして直線性を確保したのかが不明であることと、その直線性は偶然でも発生するのではないかということによる。 1つ目の理由は、古代人の知恵と技術を過小評価しずぎである。 太陽や北極星といった天体を利用すれば、それほど難しいことではない。 2つ目の懸念は、もっともなことである。 たくさんの点から選択すれば、直線は簡単に成立してしまう。 レイラインを扱うには、この危険性を充分に認識しなければならない。 一方で、写真家の小川光三氏が提唱した、伊勢斎宮から、桧原神社、箸墓を通って淡路島の伊勢の森まで続く、北緯34度32分の「太陽の道」。 千葉県玉前神社から、寒川神社、富士山頂、大江元伊勢を通って、出雲大社まで続く「御来光の道」。 淡路島の伊弉諾神宮を中心とし、諏訪大社、伊勢神宮内宮、熊野大社、高千穂神社、出雲大社などが夏至や冬至の日の出日の入りラインに並ぶ「ひのわかみやと陽のみちしるべ」。 など多くのレイラインが提唱されている。 このように直線で結びつけられた聖地・遺跡の間に、何らかの意味があり、そのラインに古代人の意図や、歴史の謎を解く鍵があるとしたら、このラインに着目するのは、自然なアプローチでもある。 今回、で紹介した3つの磐座が新しく現れたことによって、六甲山系を横断する2つのレイラインが見えてきたので報告する。 六甲山系のレイラインとしては、昭和50年代に大槻正温氏が北山の巨石群が太陽観測施設であると発表している。 また、江頭務氏は、天叢雲剣の磐座と八咫鏡の磐座と弁天岩が正三角形を形成していることを「漢人のイワクラ(イワクラ学会会報8号)」で発表されている。 この正三角形は、正確な60度を示しており、偶然とは考えにくく、何者かが意図をもって構築したものである可能性が高く、六甲山系の磐座を考察する上で重要な発見である。 これに対し、今回は、この三角形の底辺を延ばした線 Bライン と三角形の頂点から、この底辺Bラインに平行で引いた線 Aライン 上に、重要な磐座が位置していることを発見した。 93秒、東経135度18分21. 97秒)である。 この磐座は、昭和初期に神道家の 荒深道斉氏が世に紹介した磐座である。 【八咫鏡の磐座】Photograph 2013. 22 八咫鏡(ヤタノカガミ)の磐座から真西に1. 4キロメートル延ばすと、弁天岩(北緯34度45分15. 83秒、東経135度17分26. 34秒)を通る。 弁天岩は県道344号線の芦有道路を通っていると突然現れる巨石であり、三つの岩から形成されている。 この巨石の20メートル西には、白山大神、白神大神と彫られた石碑のある磐座(北緯34度45分15. 78秒、東経135度17分25. 55秒)がある。 このあたりでは、江戸時代まで雨乞いの儀式が行なわれていたといわれている。 弁天岩の北70メートルの川の中には鱶切り岩があり、海で捕まえた鱶をこの岩で切り刻み弁天岩に投げつけると、住処を汚された水神が洗い流すため大雨を降らせたと伝えられる。 【弁天岩】Photograph 2013. 21 【白山大神の磐座】Photograph 2013. 21 また、南に160メートル下ったところにナマズ石と呼ばれる岩がある。 546メートルの荒地山の山頂付近にあった岩が1995年1月17日の阪神淡路大震災で、転がり落ちて、この地に現れたものである。 歴史言語研究家であるK氏によって、ナマズ石の表面に弥生時代に描かれた古代文字が発見されたといわれており、その調査時のペイントの跡が残っているが、私は線刻があるとは思えない。 このナマズ石があった荒地山もBライン上にのっていた可能性が高い。 【ナマズ石】Photograph 2013. 22 さらにBラインを6. 8キロメートル西に伸ばすと三国岩(サンゴクイワ)(北緯34度45分06. 85秒、東経135度12分55. 67秒)を通る。 「この三国岩は六甲山の分水嶺であり、かつては武庫、莬原、有馬三郡の境界点でもありました。 」という説明板が立っている。 三つの国を見渡せたから三国岩であると言われている。 巨大な5つの岩を積み上げた磐座である。 荒深道斉氏はこの表面に天体図と思われる小穴や線が描かれていると記している。 また、荒深道斉氏は、この三国岩の北側の川西邸内に北座(奥座)があるが、原形を失ってしまっていると記している。 現在の川西邸内には、注連縄がかけられた西の磐座(北緯34度45分09. 94秒、東経135度12分53. 44秒)が残っているが、荒深道斉氏がいう北座ではないようである。 この北座は頂上の三角点の辺りにあったと思われる。 三国岩は岩門で、磐座の本体はこの北座であったようだが、失われてしまっている。 【三国岩】Photograph 2013. 22 【三国岩西の磐座】Photograph 2013. 22 これら八咫鏡の磐座、弁天岩、白山大神の磐座、三国岩、三国石西の磐座を含むBラインを北緯34度45分6秒~34度45分16秒の幅で規定すると、その緯度の幅はわずか10秒で、距離にすると約300メートルである。 驚くべき一致ではないだろうか。 なお、で紹介した六甲山頂の新磐座もこのBライン上にきっちりのっている。 67秒、東経135度17分51. 69秒)または200メートル北にある勾玉の磐座(北緯34度46分01. 42秒、東経135度17分54. 34秒)を通る東西のラインである。 この天叢雲剣の磐座も、昭和初期に神道家の 荒深道斉氏が世に紹介した磐座である。 上述した八咫鏡の磐座とともに、六甲山系の磐座の中で最もミステリアスな磐座である。 勾玉の磐座は私が発見した磐座で、天叢雲剣、八咫鏡の磐座とセットとなる八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)の磐座ではないかと考えている。 【天叢雲剣の磐座】Photograph 2013. 11 【勾玉の磐座】Photograph 2013. 30 天叢雲剣の磐座から4. 9キロメートル西にのばすと、六甲カントリーハウス内の天穂日(アメノホヒ)の磐座(北緯34度46分02. 46秒、東経135度14分39. 93秒)を通る。 天穂日の磐座は、六甲山上で一番有名な磐座ではないだろうか、この磐座は、天穂日を祭神とする芦屋神社の奥宮であるとも云われるものである。 天穂日の命は、天照大神と素戔嗚尊が誓約を行なったとき、天照大神の勾玉より生まれた五男神の第二子である。 ちなみに第一子は、皇祖である正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)である。 忍穂耳命は、葦原中国を治めるべく、降臨しようとしたが、葦原中国は騒々しいといって途中で引き返した。 そこで穂日命が出雲国に派遣されるが、大国主に惚れ込んでしまい三年たっても何の連絡もしなかったという神である。 この磐座は、荒深道斉氏も注目していた磐座であり、丘の上に堂々と鎮座している。 この磐座から西に小さな岩が点々と続いている。 このAラインをなぞっているようである。 【天穂日の磐座】Photograph 2013. 21 【天穂日の磐座から西に連なる岩】Photograph 2013. 21 天穂日の磐座から西に420メートル伸ばすと仰臥岩(ギョウガイワ)(北緯34度45分58. 79秒、東経135度14分22. 82秒)、雲ヶ岩(北緯34度45分58. 39秒、東経135度14分22. 55秒)、六甲比命神社(北緯34度45分58. 69秒、東経135度14分21. 58秒)、六甲比命大善神の磐座(北緯34度45分59. 25秒、東経135度14分21. 15秒)、心経岩(北緯34度45分58. 99秒、東経135度14分20. 23秒)と、磐座が集中している場所に到達する。 ここは、六甲比命講の方々が手厚く守っている六甲比命神社を中心に、古寺山にあった多聞寺の奥の院でもあり、山岳信仰に彩られている。 仰臥岩には、八大龍王、熊野権現、仏眼上人、花山法皇が祀られている。 【仰臥岩】Photograph 2013. 22 雲ヶ岩は、法道仙人が修行中に、紫の雲に乗った毘沙門天がこの岩の上に現れたことから「紫雲賀岩」と呼ばれていたものが、「雲ヶ岩」に省略されたという。 【雲ヶ岩】Photograph 2013. 22 心経岩は、高さ5メートル、幅6メートル以上の岩に「摩訶般若波羅密多心経」が彫られている。 法道仙人の時に彫られたものは消失したので、大正5年に再建されたものである。 【心経岩】Photograph 2013. 22 六甲比命大善神の磐座はとてつもなく巨大なものであり、その上に建てられた六甲比命神社には弁財天が祀られている。 この六甲比命については、諸説あり、昔、六甲山が西宮の廣田神社の社領であったことから、廣田神社の御祭神である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメノミコト つまり天照大神の御荒御魂であるという説や、大江幸久氏は、ホツマツタエを読み解いて、瀬織津姫(セオリツヒメ)であるとの興味深い説を展開されている。 【六甲比命神社】Photograph 2013. 22 【六甲比命大善大神の磐座】Photograph 2013. 22 Aラインの話に戻るが、勾玉の磐座から東に3. 2キロメートル延ばすと、で紹介した祈りの磐座(北緯34度45分59. 83秒、東経135度20分00. 43秒)に到達する。 【祈りの磐座】Photograph 2013. 30 これら、目神山の祈りの磐座、勾玉の磐座、天叢雲剣の磐座、天穂日の磐座、六甲比命神社、六甲比命大善神の磐座、仰臥岩、雲ヶ岩、心経岩を含むAラインを北緯34度45分54秒~34度46分04秒の幅で規定すると、その緯度の幅はわずか10秒で、距離にすると約300メートルである。 驚くべき一致である なお、目神山には、目神山八光会の磐座という非常にすばらしい磐座が存在するが、この場所は諸事情により明かせない。 しかし、このAライン上にきっちり乗っていることだけは記しておく。 ここで、六甲山系で最も手厚く祀られている越木岩神社の甑岩が、このAラインにもBラインにものっていないのが気になる。 ただし、江頭務氏が「神奈備山イワクラ群の進化論的考察(イワクラ学会会報9号)」で、甑岩が辺津磐座であり、中津磐座と奥津磐座が北山公園内の陽石と太陽石であるという説を発表されている。 この説によると、甑岩は、南北700メートルにもおよぶ巨大な祭祀場を形成していたこととなるが、この祭祀場の中心は奥津磐座の太陽石(北緯34度45分54. 07秒、東経135度19分20. 05秒)であるので、Aラインに含まれると考えても良いかもしれない。 六甲山系を横断する、この2つのレイラインは、東西方向であり、春分秋分の太陽の通り道である。 したがって、これらのライン上の磐座と太陽崇拝との関係を調査する必要がある。 さらに、六甲山系には、この2つのレイラインの他にもレイラインが仕組まれている可能性がある。 たとえば、天叢雲剣の磐座と弁天岩 白山大神の磐座 を結んだ線を延ばすと、保久良(ホクラ)神社に到達する。 この保久良神社は、昭和24年、楢崎皐月がカタカムナ神社の平十字という老人からカタカムナという象形文字でつづられた文献を見せられたという金鳥山にある神社で、本殿裏の玉垣内の磐座を中心にして、二重の円を描くように多くの磐座が存在している。 また、保久良神社の500メートル西の八幡谷には滝が祀られているが、その真北には石の宝殿と呼ばれる白山大神を祀る六甲山神社が鎮座する。 このように、六甲山系には、レイラインが張りめぐらされている可能性が高い。 現在のところ、なぜ、このようなラインが存在するのかは不明であるが、今後も調査を続けて明らかにしたい。 2013年7月29日 「六甲山系の磐座~六甲に走るレイライン~」 レポート 平津豊 イワクラ(磐座)学会 会報29号 2013年12月2日発行 掲載.

次の

神宝の行方を占う六甲山レイラインと巨石文化

六甲山 神社

名称 写真 詳細 地図 伊和志豆神社 御祭神;伊和志豆之大神(いわしずのおおかみ) 創立年代は詳でないが、清和天皇貞観元年(859)正月27日従五位 下より従五位上に進み、延喜の制には官幣小社に列せられる。 室町時代には国の神事を司った神祇官の長官を世襲した白川神祇伯の祇 を修した六社の内の一社として厚い崇敬を集めていた。 御祭神は一説によれば彦坐命(開化天皇の皇子なる日子坐王で廣田神社 を創建せられた神功皇后はその4世の孫にあたる)を祀るといわれている。 もとは廣田本社より東南約1. 5キロのところに在り、大正6年7月16日 に廣田神社の境内に移転したが、戦災後は本社に合祀していた。 平成2(1990)年の御大典にあたり社殿を再建し奉斎することとなっ た。 兵庫県武庫郡の延喜式内者は、廣田神社本社、摂社・名次神社、摂社・ 岡田神社、摂社・伊和志豆神社の四社でいずれも廣田神社の所轄である。 齋殿神社 御祭神;葉山媛命(はやまひめのみこと) 齋殿神社御祭神・葉山媛命は、神功皇后廣田神社御創建の際、皇后の命をうけて、天皇皇大神荒御魂を御心廣田の国に鎮際された最初の斎宮で旧暦4月8日の祭日には歴代の神祇伯白川氏は特に深い関心を有して参拝されたことが伯日記に散見されている。 古くより廣田神社の東北御手洗川岬に鎮座せられたが、亭保12年の還座にあたり当社も境内西山に還座し、明治44年末社松尾神社に合祀せられ更に廣田神社本殿復興に際し、一宇を設け祭祀を厳修することになった。 現在の祭日は5月8日である。 南宮 祭神;豊玉姫神 ・市杵島姫神 ・大山咋神 ・葉山姫神 当社は、西宮市大社町に鎮座する廣田神社の摂社で、「浜南宮」とも称されました。 平安時代には都の貴族が参詣し、『梁塵秘抄』には「浜の南宮は如意や宝珠の玉を持ち」と歌われています。 神功皇后が豊浦津で得られたという、廣田神社の宝物「剣珠」は、もと南宮に収められていました。 西宮市社家町10 兒社 祭神;兒社神 当社は、廣田神社摂社である南宮神社の末社で、南宮の若宮として祀られたといいます。 平安時代末期に成立した歌謡集『梁塵秘抄』には「南宮の御前に朝日さし、兒の御前に夕日さし、松原如来の御前には、つかさまさりの重波ぞたつ」と歌われています。 西宮市社家町9 名次神社 祭神;名次大神 創立年は詳らかではありませんが、平安時代初期の文献に見られます。 『延喜式』 では官幣の大社に列し、廣田社と共に祈雨神祭に預かっています。 中世には神祇 伯を世襲した白川家の崇敬を受けました。 明治11 年、廣田神社の摂社に定められました。 もと、名次山の景勝地に鎮座していましたが、明治41 年に現在地に移転しまし た。 西宮市名次町13 岡田神社 祭神;岡田大神 創立年は詳らかではありませんが、『延喜式』神名帳には「岡太神社」として官 幣小社に列されています。 また、筑前国岡田村の者が神功皇后に従ってこの地に至り、廣田神社造営のため 廣田村に居住、その子孫が先祖の霊を祀ったとも伝えられています。 西宮市岡田山66 地神社 : 大土御祖神 稲荷神社 : 宇賀御魂命 創立年は詳らかでありません。 旧社地においては、廣田神社本殿の周囲に鎮座していましたが、享保12年現社地に移転の際、本殿土塀内に移されました。 明治以後、五社同座に祀られるようになりました。 松尾神社 祭神;大山咋命 創立年は詳らかでありませんが、『諸神記』廣田の条に「四殿 南宮 松尾」とあり、この松尾社を後世、第四殿から独立して一社に祀ったものと考えられます。 その時期は『諸神記』成立後の戦国末期以降と考えられます。 元亀頃と推定される「廣田社中宮立之覚」(『西宮神社文書』)には「松尾社」の名がみえます。 また江戸時代には西宮の酒造家の信仰をあつめました。 若宮神社 祭神;若宮大神 創立年は詳らかではありませんが、戦国時代のものとされる「廣田殿社中宮立之覚」(『西宮神社文書』)にみられる「若宮殿」が当社のことと考えられています。 明治11年、廣田神社摂社に定められました。 西宮市高座町181 須佐之男神社 祭神;須佐之男命 創立年は詳らかではありませんが、貞享年中(1684~87)の石灯籠があったとされることから、江戸時代中期には創祀されていたようです。 昭和18年、大社村と西宮市の合併記念として地元・中区により境内が整備され、さらに湊川神社摂社・神奈備神社の旧本殿古材を譲り受けて本殿を改築しました。 西宮市中須佐町69 愛宕神社 祭神;迦具土神 創立年は不明ですが、今から3、4百年前に廣田村に大火があり、火伏せ、防火の神である愛宕神を祀らなかった祟りであるとして、京都の愛宕神社より勧請したと伝えられています。 西宮市愛宕山128 武甕槌神社 祭神;武甕槌命 創立年は定かではありませんが、江戸時代の記録には「毘沙門社」として記載されています。 武甕槌命は天孫降臨に先立ち、大国主神に国譲りを交渉した神であり、雷神、武神、軍神、刀剣、弓箭の守護神です。 西宮市広田町61 風神社 祭神;級長津彦命・級長津姫命 創立年、造営年は定かではありませんが、古くから石祠2宇にて祀られています。 昭和11年、廣田地区の崇敬者によって覆屋が建てられ、周囲の土塀が修繕されました。 日本書紀によると、級長津彦命は、伊弉諾尊が朝霧を吹き払った息からお生まれになった神であり、級長津姫命とともに、暴風雨を鎮める風の神として信仰されています。 西宮市五月ヶ丘101 塞神社 祭神;八衢比古神・八衢比売神・久那斗神 創立年は不明です。 明治19年、今まで桜樹を神木として祀ってきたのを石祠に改造し、昭和16年に木造社殿に改造しました。 八衢比古神、八衢比売神、久那斗神は塞三柱神と称えられ、村落や道の要所に祀られ、悪霊や外敵の侵入を防ぐ神です。 西宮市奥畑町136 六甲山神社 祭神;菊理媛命 創立年代は明らかでありませんが、平安末期の文書に、六甲山が廣田神社の社領である旨記載されていますので、当時すでに鎮座されていたと考えられます。 俗に「石の宝殿」と称し、慶長18年(1613)に西宮願人の奉加と鷲林寺南勝坊の奉仕によって建立されたことが、石祠扉に刻まれています。 廣田神社の奥宮ともいわれ、古来祈雨の神として庶民の崇敬を集めました。 西宮市越水字七ヶ村社家郷山六甲山.

次の

六甲山神社とは

六甲山 神社

兵庫県六甲山の山頂付近のパワースポットに行ってきました! 兵庫県の 六甲山に恋人と一緒に夜景を見に行きました。 始めは夜景を見て一緒に景色を楽しむだけだったのですが、六甲山に行く道中に彼女が六甲山にも パワースポットがあるという情報を教えてくれました。 夜景目当てで行く予定でしたが、プラスどうせいくならパワースポットも見に行こうという話になり一緒に行ってきました。 兵庫県六甲山の山頂付近のパワースポット!数多くのパワーストーンがありました! 六甲山は 日本三大夜景の一つの山でもあり、望遠鏡もあるということで非常に楽しみでした。 六甲山は町中がパワースポットということもあり、数多くの観光客がいました。 六甲山付近には 大きい石や滝などがあって、数多くのパワースポットがあるという風に聞きました。 始めにもう夜という事もあって六甲山の頂上で夜景を見て感動しました。 始めにお金を払って望遠鏡を覗いて景色を見たら、夜なのにもかかわらず夜景が綺麗すぎて単純にずっと見入ってしまいました。 また自分の住んでる街が六甲山の頂上から望遠鏡で見れるというのが何よりも魅力的でした。 その日はかなり寒かったですが大変良い思い出になりました。 彼女も仕事が久々の休みだった事もあって感動してずっとここにいたいと言ってくれて本当に来て良かったです。 その後にお店に入ってお土産を買って帰ろうと考えてお店の中をグルグルと徘徊していたら、色んな パワーストーンが販売されてて恋愛成就のパワーストーンや仕事関連のパワーストーンなど色々と数多くのパワーストーンがありました。 中にはオシャレなパワーストーンもあって彼女はカワイイと言っていたので買ってあげました。 兵庫県六甲山の山頂付近のパワースポット!六甲山の麓は自然エネルギーのパワースポット 帰りに 六甲山の麓の神社に寄って帰りましたが、神社の名前は忘れてしまいましたがパワースポットのような感じが何故かすぐにわかりました。 調べて見たら六甲山の麓は 自然エネルギーのパワースポットがほとんどでもうその場所にいるだけですごくパワーをもらっているんだなという風に感じました。 滝のパワースポットも行って見たかったのですが、道もわからず暗かったので断念しました。 また行く機会があれば行きたい場所です。 スポンサードリンク Categories• 411• 327• 256• 218• 102•

次の