ナウティス。 ナウクラティス

ティスカリ (Tiscali)

ナウティス

今は何もかもが「すべて、今すぐ」の世の中のような気がする アルバムからの先行曲となる「エヴリシング・ナウ」がリリースされたのが今年の6月。 「すべて、今すぐ」というタイトルは、全てのものがインスタントに手に入ることが圧倒的な是とされている現代社会のあり方を象徴するフレーズだ。 バンドのフロントマンであるウィン・バトラーは、アルバム全体も含めた本作のテーマについて以下のように語る。 今は何もかもが「すべて、今すぐ」の世の中のような気がするんだ。 すべての出来事にあらゆる面で包囲されてしまうというか。 その中にはフェイクのものもあればリアルなものもあるし、こっちに何かを売りつけようとしているものもあれば、核心を突くものもある。 そして何もかもが、刻々と何千もの異なるものに屈折して見えるような感じなんだ。 その欠点も栄光も全部ひっくるめて、今を生きるという経験を掴もうとする内容だね。 (ウィン・バトラー) 実際にその歌詞に耳を傾ければ、この「すべて、今すぐ」というフレーズが、必ずしも時代の良い面ばかりを強調するために選ばれた言葉ではないことが分かる。 むしろ、現代への警鐘としてのメッセージの方が強い。 だが、この「エヴリシング・ナウ」という曲がおもしろいは、そうしたテーマやメッセージのディープさにも関わらず、楽曲のサウンドやメロディは、むしろ祝祭的に響くからだ。 そのポップな曲調はアバ(ABBA)をも引き合いに出したくなる。 間奏に置かれたフルートのメロディは、カメルーンの伝説的ミュージシャン、フランシス・ベベイの「The Coffee-Cola Song」からの引用。 しかも、フランシスの息子であるフィリップス・ベベイが父親のフレーズを吹き直したものだ。 彼(フランシス・ベベイ)の息子のパトリックがパリに住んでいることが分かったから、彼に吹いてもらった。 父親の曲を息子がパリのスタジオで僕たちと一緒に生で演奏したんだ。 すてきな形で歴史が一巡したね。 それぞれの作品毎にコンセプトやメッセージを明確に掲げ、それに伴ってバンドのサウンドを更新し続けてきた。 デビュー初期からデヴィッド・ボウイやU2からのリスペクトを受け、3rdアルバムの『サバーブス』(2010年)では全米・全英1位とグラミー賞の【最優秀アルバム賞】を獲得。 2014年には【FUJI ROCK FESTIVAL】のトリもつとめた。 アーティストとしての評価も商業的な成功も両立する、現代屈指のロック・バンドの一つだ。 新作『エヴリシング・ナウ』は、そんな彼らのディスコグラフィーの中でも、最もソフィスティケートされたポップなアルバムになった。 クリアで存在感のあるサウンドは、ドレイクやウィーケンドなどの現代のポップス・クリエイター達が世に送り出しているサウンドとも、どこかでシンクロするよう。 そんな新たなバンドのサウンドの誕生には、彼らがニューオーリンズにしつらえたという新スタジオでの作業の影響もあるようだ。 ソロでも活躍するバンドのマルチ・インストゥルメンタリストで中心人物、リチャード・パリーは以下のように語る。 今回は多くの曲がシンセサイザーで形作られたってことも、アルバムの方向性に影響を与えている。 スタジオのスペースが限られていたから、シンセサイザーを重点的に使ったんだ。 本当に小さな小さなスタジオで、そこにみんなでひしめき合っていたから(笑)、シンセサイザーを使うしかなかったのさ。 (略)そんなわけで、多くの曲がエレクトロニックなビートを起点に形作られたんだ。 もちろん、相変わらずたくさんの音を生楽器で鳴らしてはいるけど、みんなが最初にまずキーボードを手にしたってことさ。 それって、今までは無かったことだよ。 よって過去の作品と比較すると、圧倒的に、シンセサイザーで構築したテクスチュアやドラムマシーンのサウンドを多用しているんだ。 (リチャード・パリー) Photo by Guy Aroch アルバムは、1曲目の「エヴリシング_ナウ コンティニュード)」から2曲目の「エヴリシング・ナウ」へ、そしてその後の収録曲へと、何らかの効果音が接着剤のように曲と曲とをシームレスに繋いでいく。 例えば「エヴリシング・ナウ」のラストと3曲目の「サインズ・オブ・ライフ」の冒頭では、日本の救急車の音が使われている。 もしかしたら『エヴリシング・ナウ』的なイメージの源泉には、現代の日本の姿が少なからずあるのかも知れない。 『インフィニット_コンテント』は、ニューオーリンズのカジノで録音したサンプルを使っていて、それを聴いた時、「日本のパチンコ屋っぽい!」ってみんなで話したんだよね。 実際そのイメージをある程度意識して曲を作ったよ。 あと、『クリーチャー・コンフォート』で聴こえる風鈴の音も、日本っぽいなあと感じたっけ。 これもまた、ニューオーリンズで録音したんだけど。 (リチャード・パリー) 曲と曲とがシームレスに繋がった結果、アルバムを聴いている間リスナーは『エヴリシング・ナウ』のポップな音の旅にどんどん引き込まれていく。 アルバム前半は特にグルーヴィ。 その中で「サインズ・オブ・ライフ」の主人公である「クールなキッズ」たちは「生きている証」を探して当て所もなく彷徨う。 あるいは、「クリーチャー・コンフォート」の主人公は「私を有名にしてください/もしそれが叶わないなら/とにかく苦しくないようにしてください」と自殺願望さえ仄めかすのだ。 この上なく美しいものとヘンテコなものが同時に共存する、摩訶不思議でSF的な世界観こそが『エヴリシング・ナウ』のベースになっているのだ。 本作にプロデューサーとして参加したのは、ダフトパンクのトーマ・バンガルテル、パルプのスティーヴ・マッキー、ポーティスヘッドのジェフ・バーロウ、そしてアーケイド・ファイアの過去作にも深く関わってきたマーカス・ドラヴスという面々。 アルバムとの関わり方は、プロデューサー毎に異なるようだが、リチャードいわく「みんなバンドの一員になってくれたようなもの」で、バンドと共に作曲の創作に深く携わったようだ。 例えば、トーマは「エヴリシング・ナウ」「プット・ユア・マネー・オン・ミー」あたりの曲に、プログラミングも含めて関わっているそう。 本当にたくさんのスタイルを試したんだ。 (略)最初はガレージロック風にプレイして、それから初期のデヴィッド・ボウイみたいなグラムロック風、南アフリカのタウンシップ・ポップのスタイル、90年代のダンス・ミュージックとゴスペルをミックスしたヴァイブ……。 (略)トーマはほぼずっと現場で立ち会ってくれた。 スティーヴ・マッキーの貢献も大きいんだけど、トーマはこう、哲学的なアプローチをとって、曲が言わんとしていることを掘り下げて、本当に深いレベルまで関わっているんだ。 最終的にはシンセサイザーのプログラミングも手掛けてくれた。 (リチャード・パリー) スティーヴ・マッキーは、ジャーヴィス・コッカーと並んでパルプのサウンドを担ってきたミュージシャンで、これまでにM. Aやフローレンス・アンド・ザ・マシーンのプロデュースも手掛けている。 現時点で、彼が具体的にどの曲のどの部分のプロデュースに関わったかまでは断定できない(スペースたっぷりなディスコ・ロック「グッド・ゴッド・ダム」等は如何にもパルプっぽい)が、過去にジャーヴィス・コッカー&スティーヴ・マッキー名義で『The Trip』というセレクト・アルバムもリリースしている彼は、アーケイド・ファイアとの間にも深い音楽的な関係性を築いているようだ。 パルプは僕にとってオールタイム・フェイバリットのブリティッシュ・バンドなんだ。 彼(スティーヴ)はとにかく本当にいい友人だよ。 うちのツアーDJみたいな感じ。 彼とはよく一緒にDJをやるんだ。 音楽のテイストが素晴らしい。 スティーヴは戦友みたいなものだよ。 ニューオーリンズで1年半戦闘態勢だったからね。 その頭脳であるジェフ・バーロウは、ダークでヴィンテージ感のあるシンセ・ワークにも定評があり、ポーティスヘッドの最新アルバムである『サード』(2008年)はその代表作の一つだと言えるだろう。 そんな彼のサウンドは、『エヴリシング・ナウ』でも「クリーチャー・コンフォート」や「ピーター・パン」あたりの曲で聴くことが出来る。 ジェフとは長年の間でフェスで一緒になって知り合いになったんだ。 ポーティスヘッドは大好きなバンドだよ。 10年に1回しかアルバムを出さないけどいつも素晴らしい。 (映画監督の)テレンス・マリックのバンド版みたいなバンドだよね。 10年かけて作ることが、これだけクールだって意味でね。 そして、その中心地がニューオーリンズであったことには運命的なものを感じてしまう(カナダ出身の彼らは、これまではモントリオールを中心にレコーディングをすることが多かった)。 具体的な意図があってそうしたわけじゃないし、アメリカで作ることでインスピレーションを得ようと考えていたわけでもないけど、結果的には、アメリカで長い時間を一緒に過ごしたことで、多くのアイデアが引き出されたと思う。 (リチャード・パリー) 数年前のことだけど、ニューオーリンズで沢山時間を過ごした時期があったんだ。 (新作は)ニューオーリンズ音楽っぽくはないから直接的な関係があるとは思えないけど…(ウィン・バトラー) ニューオーリンズは、ジャズをはじめとしたアメリカ音楽の発祥の地の一つとしても知られる。 そもそもニューオーリンズって、偉大なる音楽の町だよね。 年がら年中ひたすらミュージック!ミュージック!ミュージック!っていう感じで、実に多様な音楽に溢れている。 (略)直接曲につながったわけじゃないけど、たくさんの古い音楽とたくさんの新しい音楽が入り混じって鳴っているニューオーリンズらしいフィーリングが、このアルバムには染み渡っていると思うよ。 ニューオーリンズって、伝統的な地元の音楽と、若い世代が作る新しくてエッジーな音楽が、まさに渾然一体となっているんだ。 デヴィッド・ボウイはアーケイド・ファイアにとってデビュー当時から縁の深いアーティスト。 2005年には【Fashion Rocks】でステージ共演を果たし、まだ数ある新人バンドの一つでしかなかったバンドに大きな名誉を与えた。 また、2013年の『リフレクター』にはヴォーカルで参加。 コンセプチュアルな作品を次々とリリースし、音楽的にも冒険心に満ちてきたボウイのキャリアは、アーケイド・ファイアにとって誰よりも理想的な先達となっている。 軽快かつパワフルに演奏しながら市街地を練り歩き、ボウイの曲を響かせる楽団。 思い思いの衣装やコスプレに身を包み、パレードに加わる参加者たち。 後日公開されたビデオでは、ボウイの「ヒーロー」がフィーチャーされている。 「誰だって一日だけ/ヒーローになることが出来る」。 そんなアンセムの根底にある、人間の多様性や人生そのものを肯定するスピリットは、現代のややこしさをテーマにした『エヴリシング・ナウ』の根底にも受け継がれているのだ。 『エヴリシング・ナウ』は、最後に再び「エヴリシング・ナウ(コンティニュード)」を通過して、アルバムの冒頭に繋がる円環性を示して終わる。 その最終曲では、こう歌われている。 「僕たちは帰るべきところに/また辿り着けるということにしておけばいい/すべて、今から」。 バンド史上、最もディープでヘンテコでポップなアルバムには、繰り返されるもの、受け継がれるものへの希望が託されているのだ。

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ナウクラティスとは

ナウティス

ナウクラティスの位置を示した地図 紀元前7世紀エジプトでのギリシャ人の活動を記録した最古の文献はの『』で、とのが嵐で難破し、(付近)に漂着したという話を伝えている。 (朝)のファラオ(紀元前664-610年ごろ)はその当時、他のの支配者達と対立し、敗走していた。 そしての町ののを求めたところ、「海からやってくる青銅の人々」の助力を求めよという託宣が下った。 難破した海賊達は青銅製の鎧を身につけていたため、ファラオは彼らの助力を求め、見返りとして報酬を提供すると申し出た。 海賊達の加勢によってファラオは勝利を収め、報酬としてナイル川のペルシウム支流沿いに2区画の宿営地を与えた。 歴史 [ ] 文献 [ ] 紀元前570年、・(治世: 紀元前589-570年)は、その傭兵たちの子孫を中心とする3万人のカリア人とイオニア人を再び雇い、元将軍で反逆者となったイアフメスと戦わせた。 彼らは勇敢に戦ったが敗北し、(治世: 紀元前570-526年)がファラオとなった。 イアフメス2世はギリシャ人傭兵の宿営地を閉鎖し、彼らをに移し「同族であるからファラオを守る」親衛隊として雇った。 ヘロドトスによれば、イアフメス2世はこのギリシャ人達を好み、様々な報酬を与えた中で、ナウクラティスという都市への定住を許したのだという。 ヘロドトスの記述では、ナウクラティスはギリシャ人が作ったのではなく、それ以前から存在していたと見られ、考古学調査でもそれが裏付けられている。 この元々あった都市にはエジプト人、ギリシャ人だけでなく、人も混在して住んでいたと見られている。 その都市が紀元前570年以降間もなくギリシャ人に譲られたと考えられている。 イアフメス2世はナウクラティスを西洋との交易拠点および港に転換させた。 これにはギリシャ人を1箇所に封じ込め、彼らの活動をファラオの制御下に置くという意味もあった。 したがってナウクラティスは特定の都市国家の植民都市として始まったのではなく、北部の交易拠点のような(交易拠点)として始まった。 ヘロドトスによると、ナウクラティスには Hellenion という聖域(壁で囲まれた神殿)があり、次の9つのギリシア都市国家が共同で運営していたという。 国家: 、, 、• 国家: 、、、• 国家: 、、は Hellenion とは別の聖域を持っていた。 したがって、ナウクラティスには少なくとも12のギリシア都市国家の人々が共同で暮らしていた。 これだけでも珍しいが、かなり長い間続いたと判明している。 発掘 [ ] ナウクラティスはが1884年から1885年に発掘して発見した。 その後、 が発掘を引き継ぎ、 が1899年から1903年にかけて発掘した。 ピートリーの描いたナウクラティスの平面図 考古発掘の焦点は北と南の2つの区域に絞られた。 南端にはエジプト人による倉庫または宝物庫(右図ではAにあたる。 その神殿の東隣りからはのの印章を作る工房が見つかっている。 北の区域では、いくつかの神殿の遺跡が見つかっている(E: 神殿、F: 神殿、G: 神殿)。 ヘロドトスが記していた Hellenion は Hogarth が1899年に発見した(図ではFの東隣り)。 奉納された陶器の年代から、イアフメス2世の治世よりも古くからこの聖域が存在していたことが明らかとなっている。 1977年、アメリカの考古学者 W. Coulson と A. Leonard が「ナウクラティス・プロジェクト」 を立ち上げ、1977年から1978年にかけて調査を行い、1980年から1982年まで主に南部の発掘を行った。 だが、彼らが現地に赴いた時には、の上昇によって北の聖域部分の地下15m以下の部分は地下湖に沈んでいた。 今もナウクラティスの北部は水面下にあり、さらなる調査を困難にしている。 それまでの発掘調査は相補的とは言えず、宗教的部分だけが注目され、商業的側面や住居としての側面はほとんど無視されていた。 ナウクラティスの歴史上の重要性はその交易拠点としての特殊性にあるが、そういった観点の調査はほとんど行われていなかった。 さらに、時代や時代の変遷も完全に無視されていた。 さらに彼らを落胆させたのは、地元民による破壊である。 ピートリーの時代に既に3分の1の区域が日干しレンガを肥料にするために掘り返されていた。 その後約100年の間にナウクラティスの東部の日干しレンガはほぼ掘りつくされていた。 地下水面の上昇により、彼らはプトレマイオス朝より古い部分を調査できなかった。 ピートリーが「大きな聖域」とした場所がエジプト人による建物であるという点では Hogarth と同意見で、この遺跡の南部はギリシアとは無関係の町だという。 主な出土品は陶器で(ほとんどは破片だが、完全なものもある)、神殿に奉納されたものだが、石の肖像やスカラベの印章なども見つかっている。 それらは世界各地の博物館に分散して収蔵されており、初期の出土品の多くはイギリス(主に)、その後の出土品は主にアレクサンドリアの博物館に収蔵された。 影響 [ ] エジプト側がギリシア側に交易品として提供したのは主に穀物だが、他に亜麻布やパピルスもあった。 一方ギリシア側がエジプト側に提供したのは主に銀だが、他に木材やオリーブ油やワインもあった。 ナウクラティスはサイス朝ファラオに戦術や航海術に長けた傭兵を供給してくれる場所となった。 ナウクラティスで見つかったスフィンクスの描かれた皿。 紀元前6世紀 ギリシャ人にとってナウクラティスは、以降ギリシアでは失われたエジプトの建築や彫像の驚異に触れる場所として着想の源泉となった。 エジプトの工芸品は間もなくギリシアへの交易品となりギリシア世界に流通するようになった。 一方でギリシア美術もエジプトに流入したが、的なエジプト文化への影響は極めて小さかった。 実際はエジプトに旅行する前から幾何学を確立させていたが、ヘロドトスはエジプトの幾何学の方がギリシアよりも古いと考えていたため、タレスがエジプトで幾何学を学んだと考えたと見られている。 ナウクラティスで見つかったは発生期の特に初期のものであることが判明している。 陶器に書かれた銘には、、コリントス方言、ミロス島方言、レスボス島方言などの最古の記述があった。 からの変化の過程にあるものもあり、特に興味深い。 約1世紀後に確立された現代のギリシア文字の形との比較から、ギリシア文字がどのように成立し広まって行ったかを知る資料となっている。 ナウクラティスはエジプトにおけるとしては最古ではない。 が建設されるまでは古代エジプト有数の港だったが、ナイル川の流れが変化して港として機能しなくなっていった。 その他 [ ] ヘロドトスは、ナウクラティスに纏わる逸話として、詩人の兄クサンテスとナウクラティスの娼婦ロドーピスの話を記している。 ロドーピスは美しいトラキア人奴隷で、彼女を自由にするためクサンテスは大金を支払った。 自由の身となったロドーピスは娼館を立てて営業し、若干の金を蓄えた。 感謝の印としてロドーピスは高価な奉納供物を捧げ、それが最終的にに置かれるようになったという。 ヘロドトスの時代にもその供物がデルポイにあったと記している。

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ティスカリ (Tiscali)

ナウティス

ナウクラティスの位置を示した地図 紀元前7世紀エジプトでのギリシャ人の活動を記録した最古の文献はの『』で、とのが嵐で難破し、(付近)に漂着したという話を伝えている。 (朝)のファラオ(紀元前664-610年ごろ)はその当時、他のの支配者達と対立し、敗走していた。 そしての町ののを求めたところ、「海からやってくる青銅の人々」の助力を求めよという託宣が下った。 難破した海賊達は青銅製の鎧を身につけていたため、ファラオは彼らの助力を求め、見返りとして報酬を提供すると申し出た。 海賊達の加勢によってファラオは勝利を収め、報酬としてナイル川のペルシウム支流沿いに2区画の宿営地を与えた。 歴史 [ ] 文献 [ ] 紀元前570年、・(治世: 紀元前589-570年)は、その傭兵たちの子孫を中心とする3万人のカリア人とイオニア人を再び雇い、元将軍で反逆者となったイアフメスと戦わせた。 彼らは勇敢に戦ったが敗北し、(治世: 紀元前570-526年)がファラオとなった。 イアフメス2世はギリシャ人傭兵の宿営地を閉鎖し、彼らをに移し「同族であるからファラオを守る」親衛隊として雇った。 ヘロドトスによれば、イアフメス2世はこのギリシャ人達を好み、様々な報酬を与えた中で、ナウクラティスという都市への定住を許したのだという。 ヘロドトスの記述では、ナウクラティスはギリシャ人が作ったのではなく、それ以前から存在していたと見られ、考古学調査でもそれが裏付けられている。 この元々あった都市にはエジプト人、ギリシャ人だけでなく、人も混在して住んでいたと見られている。 その都市が紀元前570年以降間もなくギリシャ人に譲られたと考えられている。 イアフメス2世はナウクラティスを西洋との交易拠点および港に転換させた。 これにはギリシャ人を1箇所に封じ込め、彼らの活動をファラオの制御下に置くという意味もあった。 したがってナウクラティスは特定の都市国家の植民都市として始まったのではなく、北部の交易拠点のような(交易拠点)として始まった。 ヘロドトスによると、ナウクラティスには Hellenion という聖域(壁で囲まれた神殿)があり、次の9つのギリシア都市国家が共同で運営していたという。 国家: 、, 、• 国家: 、、、• 国家: 、、は Hellenion とは別の聖域を持っていた。 したがって、ナウクラティスには少なくとも12のギリシア都市国家の人々が共同で暮らしていた。 これだけでも珍しいが、かなり長い間続いたと判明している。 発掘 [ ] ナウクラティスはが1884年から1885年に発掘して発見した。 その後、 が発掘を引き継ぎ、 が1899年から1903年にかけて発掘した。 ピートリーの描いたナウクラティスの平面図 考古発掘の焦点は北と南の2つの区域に絞られた。 南端にはエジプト人による倉庫または宝物庫(右図ではAにあたる。 その神殿の東隣りからはのの印章を作る工房が見つかっている。 北の区域では、いくつかの神殿の遺跡が見つかっている(E: 神殿、F: 神殿、G: 神殿)。 ヘロドトスが記していた Hellenion は Hogarth が1899年に発見した(図ではFの東隣り)。 奉納された陶器の年代から、イアフメス2世の治世よりも古くからこの聖域が存在していたことが明らかとなっている。 1977年、アメリカの考古学者 W. Coulson と A. Leonard が「ナウクラティス・プロジェクト」 を立ち上げ、1977年から1978年にかけて調査を行い、1980年から1982年まで主に南部の発掘を行った。 だが、彼らが現地に赴いた時には、の上昇によって北の聖域部分の地下15m以下の部分は地下湖に沈んでいた。 今もナウクラティスの北部は水面下にあり、さらなる調査を困難にしている。 それまでの発掘調査は相補的とは言えず、宗教的部分だけが注目され、商業的側面や住居としての側面はほとんど無視されていた。 ナウクラティスの歴史上の重要性はその交易拠点としての特殊性にあるが、そういった観点の調査はほとんど行われていなかった。 さらに、時代や時代の変遷も完全に無視されていた。 さらに彼らを落胆させたのは、地元民による破壊である。 ピートリーの時代に既に3分の1の区域が日干しレンガを肥料にするために掘り返されていた。 その後約100年の間にナウクラティスの東部の日干しレンガはほぼ掘りつくされていた。 地下水面の上昇により、彼らはプトレマイオス朝より古い部分を調査できなかった。 ピートリーが「大きな聖域」とした場所がエジプト人による建物であるという点では Hogarth と同意見で、この遺跡の南部はギリシアとは無関係の町だという。 主な出土品は陶器で(ほとんどは破片だが、完全なものもある)、神殿に奉納されたものだが、石の肖像やスカラベの印章なども見つかっている。 それらは世界各地の博物館に分散して収蔵されており、初期の出土品の多くはイギリス(主に)、その後の出土品は主にアレクサンドリアの博物館に収蔵された。 影響 [ ] エジプト側がギリシア側に交易品として提供したのは主に穀物だが、他に亜麻布やパピルスもあった。 一方ギリシア側がエジプト側に提供したのは主に銀だが、他に木材やオリーブ油やワインもあった。 ナウクラティスはサイス朝ファラオに戦術や航海術に長けた傭兵を供給してくれる場所となった。 ナウクラティスで見つかったスフィンクスの描かれた皿。 紀元前6世紀 ギリシャ人にとってナウクラティスは、以降ギリシアでは失われたエジプトの建築や彫像の驚異に触れる場所として着想の源泉となった。 エジプトの工芸品は間もなくギリシアへの交易品となりギリシア世界に流通するようになった。 一方でギリシア美術もエジプトに流入したが、的なエジプト文化への影響は極めて小さかった。 実際はエジプトに旅行する前から幾何学を確立させていたが、ヘロドトスはエジプトの幾何学の方がギリシアよりも古いと考えていたため、タレスがエジプトで幾何学を学んだと考えたと見られている。 ナウクラティスで見つかったは発生期の特に初期のものであることが判明している。 陶器に書かれた銘には、、コリントス方言、ミロス島方言、レスボス島方言などの最古の記述があった。 からの変化の過程にあるものもあり、特に興味深い。 約1世紀後に確立された現代のギリシア文字の形との比較から、ギリシア文字がどのように成立し広まって行ったかを知る資料となっている。 ナウクラティスはエジプトにおけるとしては最古ではない。 が建設されるまでは古代エジプト有数の港だったが、ナイル川の流れが変化して港として機能しなくなっていった。 その他 [ ] ヘロドトスは、ナウクラティスに纏わる逸話として、詩人の兄クサンテスとナウクラティスの娼婦ロドーピスの話を記している。 ロドーピスは美しいトラキア人奴隷で、彼女を自由にするためクサンテスは大金を支払った。 自由の身となったロドーピスは娼館を立てて営業し、若干の金を蓄えた。 感謝の印としてロドーピスは高価な奉納供物を捧げ、それが最終的にに置かれるようになったという。 ヘロドトスの時代にもその供物がデルポイにあったと記している。 脚注・出典 [ ]• ヘロドトス『歴史』第2巻152節• ヘロドトス『歴史』第2巻154節• 考古学調査によれば、ナウクラティスの成立は紀元前625年ごろまで遡ると見られている。 詳しくは Peter James 2003 を参照• ヘロドトス『歴史』第2巻178節• 本文の位置の説明は、ピートリーの最初の発見に従ったものではなく、最新の考古学的発見に基づいている。 , pp. 120-121• , p. 154 - "On arriving at Naukratis the visitor may well be disappointed for the entire site of the early excavations is under water, a plight predicted by Petrie in 1886.. , p. 153• , p. 159• , p. これを "corn-for-coin" 仮説ともいう。 ヘロドトス『歴史』第2巻79節。 「エジプト人は自分達の習慣に執着し、外国の習慣を全く採用しない」• ヘロドトス『歴史』第2巻91節。 「エジプト人はギリシアの風習を採用しないし、どんな外国の風習も採用しない」• ヘロドトス『歴史』第2巻109節• , pp. 52-53• , p. 271• , pp. 222-3• ヘロドトス『歴史』第2巻135節 参考文献 [ ]• The Greeks Overseas: Their Early Colonies and Trade, New York: Thames and Hudson, 1980 , pp. 111-133,• Gardner, Ernest A. Leonard, A. ; Coulson, W. Leonard, A. ; Coulson, W. Jul. Leonard 1997 , Ancient Naukratis: Excavations at a Greek Emporium in Egypt. Lloyd, Alan B. 1975 , Herodotus Book II, Introduction, Leiden: E. Brill• Petrie, W. Austin - Greece and Egypt in the Archaic Age. Cambridge Philological Society, 1970. Coulson, Ancient Naukratis Vol. 2, The Survey at Naukratis and Environs, pt. Oxford: Oxbow. 1996. Oxford: Oxford University Press, 2000. Leonard Jr. , W. Coulson, The Naukratis Project, 1983, NARCE 125, 1984, 28-40. Venit - Greek Painted Pottery from Naukratis in Egyptian Museums. 外部リンク [ ]•

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