戦国 basara 毛利 元 就。 毛利元就の名言・逸話15選

戦国BASARAの毛利元就について質問させてもらいます。

戦国 basara 毛利 元 就

両手に1本ずつ持つこともあり、S字の形に組むこともあるが、普段は円形にして、自分はその中に入り、ふたつの柄を掴む。 これが元就の基本の構えだ。 この体勢の元就と、1対1で対峙した場合を想像していただきたい。 上段の構えで突っ込んでいけば、輪刀をグイッと突き出されただけで、顔面やボディを斬られてしまうだろう。 中段の構えで突きを放つと、元就が輪刀の前面を上げただけで、自分の刀は跳ね上げられる。 斜めから振り下ろしても、同じ動作で防御される。 いずれも直後、舞うような足運びで間合いを詰められ、わき腹などをサクッと斬られてしまいそうだ。 最小限の動きで、敵に多大なダメージを与える。 それが輪刀の怖さだと思う。 だが、元就が輪刀から出たら、もっと怖い。 元就は輪刀の中にいるとき、ふたつの柄を両手を開いて握っている。 人間が両手を広げた幅は、ほぼ身長に等しいから、指を曲げる分を考慮しても、輪刀の直径は1m50㎝を超えるということだ。 通常の日本刀は、長さが1mほどだから、その1. 5倍も長い。 形が丸いためか、なかなかイメージしづらいが、元就の輪刀は非常に長大な刀なのだ。 当然、かなりの重さがあるだろう。 筆者が研究用に持っている模造刀は、刃渡り75㎝、刀身の幅が3㎝、峰の厚さが7㎜、重量980g。 刃の部分だけなら、800gほどのものだろう。 輪刀の直径を160㎝と仮定して、ゲームの画面で測定すると、輪刀の幅は18cmだ。 厚さが筆者の摸造刀と同じなら重さは32㎏である! 毛利元就は輪刀から出るとき、輪刀を反転させる。 あの高い烏帽子によくぶつけないものだと思うが、そんなことに感心している場合ではない。 この動作には、片手の力しか使えないはずだ。 なのに、あたかもフラフープでも扱うように、軽々と反転させるとは、かなり力があるのではないか。 新体操のフラフープは、300gの重さがある。 32㎏の輪刀を、フラフープと同じように扱える元就は、常人の100倍の力を持っているということだ。 常人が片手で3㎏のダンベルを持って運動できるとしたら、元就は300㎏の小型自動販売機を自由に振り回せる。 華麗に見えて、じつはたいへんな怪力なのだ。 この刀、ものすごく切れ味がいいと考えられる。 剣の達人は、刀を引きながら斬るという。 これによって、刃が鋭くなったのと同じ効果が生まれるのだ。 筆者の摸造刀は、刃から峰に向かう1. 7㎝までの断面が、二等辺三角形になっている。 もしこれが真剣なら、刃の先端角は23度になるはずだ。 これを5cm手前に引きながら切ると、刃が切り込んだ1点は、斜めに5・3㎝動いて直角三角形の底辺に達することになる。 これは、峰の厚さが同じで、刃から5. 3㎝までが二等辺三角形になった刀を、刃に対して垂直に動かすのと同じだ。 そのような刃の先端角とは7. 手元の精密工作用のカッターでさえ16度だから、これは切れる! イラスト:森永ピザ すると、輪刀はどうなるのか? 丸いゆえに、斬る物に対して、刃はいつも斜めに当たることになる。 これは、引きながら切るのと同じ効果を生むはずだ。 つまり輪刀は、ただブン回すだけで、達人が斬ったのと同じ切れ味を示すはずなのである。 たとえば、柄の反対側から18㎝、刀身の幅と長さの位置で斬ったとしよう。 その場合、刃が切り込んだ部分は、二等辺三角形の底辺に達するまでに54㎝動く。 それは、先端角が0. 74度の刀で斬ったのと同じである。 輪刀から放たれる光の輪にさまざまな機能があるのだ。 たとえば、弾き手「壁」では空間に壁 を設置する! あるいは、禁じ手「縛」は敵兵を縛り挙げる!……いったいどんな原理なのか、現在の科学では、まったく解明できない。 ただひとつわかるの は、光の輪で敵兵をぶっ飛ばしたり、壁を破壊したりする終の手「照」。 これだけでも解明して、面目を保とう。 固有技:弾き手「壁」(はじきて へき) 固有奥義:禁じ手「縛」(きんじて ばく) 光にも、力はある。 だから宇宙空間で大きな帆を張れば、太陽光線を受けて進むことができる。 終の手「照」も、この原理で敵兵をぶっ飛ばすのではないか。 ただしその場合、光の輪に猛烈なエネルギーが必要だ。 具足とあわせて100㎏の敵兵を5m飛ばすとしたら、そのエネルギーは敵兵に当たった分だけで、爆薬86t分! 固有奥義:終の手「照」(ついのて しょう) 科学的に考える限り、毛利元就はとてつもない攻撃力を持っているはずである。 力と華、天が二物を与えた男・毛利元就。 戦国の世を強く美しく舞ってもらいたい。 , LTD. 2012 ALL RIGHTS RESERVED. (すべての人に公開).

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【毛利元就】5分でわかる苦労した生い立ちと稀代の智略

戦国 basara 毛利 元 就

【目次】• 幼年期 寛大な子供 元就が幼少の頃のあるとき、その傳役が元就を抱いて水の中を渡ったときにつまずいて溺れた。 傳役は恐れ入って謝ったが、これに元就は「道を歩いてつまづくのはありがちなことだ。 少しも気にすることはない」と言ったという。 白鶏と狐(元就7歳) 元就が7歳のとき、かわいがって飼った白鶏が狐の仕業でいなくなってしまった。 そして元就が狐を殺そうとしているのを知った母が使者を遣わしてそれを止めようとした。 これに元就は「家臣がけんかして一方を殺した場合、殺した者をお助けになりますか?この鶏はまさか狐に対して不埒なこともいたしますまい。 それなのに食べ殺した罪は決して軽くはありません。 鶏も私の家来。 狐もこの邸地にいるから家来も同然です。 だから狐を殺すのは道にはずれてはいません。 」 といって使者を追い返したという。 大志(元就12歳) 元就が12歳のとき、厳島神社の詣から帰ってきて、従者に何を祈ったのかを聞いた。 従者はみな、少年の元就の気持ちにあわせる形でそれぞれが答え、その中で守役の者は、元就が中国支配を成し遂げるよう祈ったと答えた。 これに元就が「日本全国を支配するように祈ればよいものを」と言い、守役が「まずはこのあたりを支配することから始めて・・」と返した。 すると元就は「日本全国を取ろうとすれば、だんだんと中国は取れる。 中国だけをと思えば、どうして中国を取ったらよいのか」と言ったといい、従者らはその抱負の大きさを珍しく思った、という。 元就の相(元就17歳) 永正10年(1513年)、人相をみる朱の良範という者をしたがえて明の使者がやってきた。 良範は元就をみると「公は漢高祖と唐太宗の相を兼ねておられる。 かならず威を四方にふるわれることであろう」と述べた。 それを聞いた元就は心の中で自負した。 元就は眼光に威光があり、顔は面長で鼻も高く、鬚髯(しゅぜん)は神のようである。 声も大きく兵に号令するときは諸隊にまで聞こえたということだ。 家督相続以後 桂元澄を諭す(元就27歳) 大永3年(1523年)、毛利家の後継者となった元就は自分を殺害しようと企てる弟・相合元綱とその家臣・坂、渡辺らを謀殺した。 元就は坂の兄弟・志道広好と桂広澄を「坂の縁故があるといっても、お主らを疑いはせぬ」と言って諭し、広好はこれを受けたが、桂広澄はその言葉を信じずに自殺。 このため広澄の子・桂元澄らは一族を集結して城に籠城した。 元就は使者を出して諭すも、上手くいかず、ついに元就は自ら城へ赴いて「わしには全く他意はない。 もし疑うのなら、今わしは1人だから討ち殺すがよい!」と言った。 そして桂元澄らは悔いて元就に謝罪し、元就もまずます温かい言葉をかけて諭したため、ついに彼らは毛利家開国の家臣となったという。 (『名将言行録』) 尼子氏の病気の噂 の出雲へ攻める前のある時、毛利の老臣らが尼子晴久の病気を耳にして喜び、元就に伝えてきた。 これを聞いた元就は「敵が言いふらした計略かもしれないのに、それを我々父子の前で言いだすとはあるまじき事だ」と腹を立て、病気の噂はぴたりと止んだ。 しかし、晴久は本当に病気であったため、間もなくして没した。 元春と隆景の才を見抜く 元就は、北国の武士が計略を好まずに勇猛なことを第一に合戦にのぞむ傾向があり、一方で南国の武士は交際上手で計略を好む傾向にあることを伝え聞いていた。 ある日、まだ幼少の二男・元春と三男・隆景が5対5で雪合戦を行なっていた。 1度目は元春が力で雪をひたすら投げつけて隆景を打ち負かした。 しかし、隆景が再戦を希望した2度目には、仲間を伏せておいた側面攻撃によって隆景が勝利した。 この様子をみていた元就は将来、北国に元春を、南国に隆景を担当させることを決めたといい、のちに2人はその通りにそれぞれの方面を担当して討伐し、毛利家の中国制覇に多大な貢献をしたのであった。 (『名将言行録』) 酒を慎む 我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。 酒を飲まなければ、70、80まで健康でいられて、目出度いことだ。 (尾崎局に送った手紙) これは元就が嫡孫・の母である尾崎局(おざきのつぼね)に送った手紙にある言葉。 元就は父・弘元や兄・興元が酒によって短命だったことから、輝元が酒を覚えたのが気がかりであったようである。 母から酒をなるべく慎むように輝元に注意してほしいとの想いで手紙を送ったとされている。 天下は望まない われ、天下を競望せず(『吉川文書』) 「我は天下を競い合うつもりはない」といった意味。 元就は天下を狙えるほど勢力拡大したが、これ以上のものを望まない意志を表明した。 家臣の傷口を吸う 出雲・島根の陣で家臣・岩木道忠が左膝を矢で射られ、矢尻が体内に残ってしまった。 元就は医者にみせたが「足を切断しないと治りません」という。 これに怒った元就は自らの口で道忠の傷口を吸うと、矢尻がとれて元就の口に入り、傷は無事に治癒できた。 道忠が感動して、死んでこの恩に報いようという堅い決意の表情をすると、元就は「部下の命を守るのにこれしきのことをするのは当然だ」と深く戒めたという。 三本の矢 この矢一本なれば、最も折りやすし。 しかれども一つに束ぬれば、折り難し。 汝ら、これに鑑みて、一和同心すべし。 必ずそむくなかれ。 これは毛利元就の最も有名な "三本の矢"のエピソードの言葉。 元就が死の間際、「一本の矢だと簡単に折れるが、三本の矢を束にしてだと折ることが難しい」ことを3人の息子(・・)に教え、3兄弟の結束を強く訴えかけたというもの。 その他 常に合戦 元就が生涯において参戦した合戦の数は、220を超えるという。 楠木正成の再来 は元就を「楠木正成(くすのき まさしげ)級の優れた武将であり、きっと正成の生まれ変わりであろう。 」と賞賛している。 (『名将言行録』) 足利尊氏・新田義貞と同等? は元就を「昔のことはさておき、近き代では足利尊氏・新田義貞より以後では、ただ元就だけである」と賞賛している。 (『名将言行録』) 政務・家臣掌握術に長ける は自身の著作『朝倉宗滴話記(続々群書類従所収)』の中で政務・家臣掌握術において、武田信玄、上杉謙信、織田信長らと共に高く評している。 辞世の句 友を得て なおぞ嬉しき桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は.

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【毛利元就】5分でわかる苦労した生い立ちと稀代の智略

戦国 basara 毛利 元 就

毛利元就 戦国BASARA とは、の登場である。 兜の形がに見えることから一部のからは「」と呼ばれ親しまれている。 概要 の(初代)からの登場。 ではだったが2でに昇格した。 のためには手段を選ばない冷酷な策略である。 下を治めることにがなく、の繁栄及び領土の安泰を築くことのみにを注ぐ 他を積極的にしてくるやとはしく対立する 三子教訓状にある「に向かって十度を唱えていた」という史実の拡大解釈 からか日輪を篤く信仰し、強な軍持ち。 同じを領土としているのとは思想の違いから対立している。 「を理解できる者は、この世にだけでよい」の発言通り、他者を寄せ付けない非常に頑な、かつ冷淡な性格である。 しかし算段を乱されたり、思い通りに事が進まないと「計算してないぞ!」と慌てたり、やに孤独であることを摘されると逆上するなど、らしい一面も持ち合わせてはいる。 自らのを「 」と呼び(日輪の子らとも呼ぶ時もある)、己も所詮は盤上を動く駒の一つだと思っている。 彼を徴する名として「兵など所詮よ!」がある。 「」ではを耐えることを選択し、戦わずに息を潜める。 駄な戦を回避してを蓄えていった結果、徳軍や軍にも劣らぬ強大な勢へと変貌を遂げた。 利の一致ということで軍のとは秘密裏に同盟を結び、裏で采配を振るう。 今作では今まで以上に冷酷な一面を見せるの活躍が見れる。 逆に元親では……。 最新作「」ではとなり、地位をに還したとは言え、があるをタテに日の本全てを安芸とする計画をすようとしたが元親や孫、之助との出会いにより最終的には 上げてで殴ればいいと言う結論に達する。 このほかでは近所の隠しにのを名乗って、どう言う原理かは不明だが予言のようなものを与えて手駒にしようとしていたり、その隠しとで日輪対決をしたり、によってはに居たりした。 は、使用は輪(2以降)。 でのは采配、は炎。 弾き手『』、誘い手『幻』など系の固有技を多く持ち、それ等を駆使して敵を翻弄する戦い方がめられる。 輪で直接攻撃する固有技もあるにはあるが、数はあまり多くない だが敵を寄せ付けないようにするには十分。 基本もあまり高いとはいえないため、屋でパラメーターや技の補強をすると安全に戦える。 のに存在する、ザビーをとする「ザビー教」との戦いに敗れたことをケに、彼のようにな性格とは最も縁遠いようなにあっさりと入信。 しかも熱心なになってしまう。 ザビーに「」という洗礼名を与えられれば堂々と「は」と、ザビーをのように崇め、にしてきた軍の兵も全て熱心なザビー教にするという、である元親でも「さすがのでもこれは引くわー…」という有様になってしまった。 ザビーの活動 という名の全イ を効率よくするため、あらゆる計画を立てるタク振りを発揮。 この時は冷静ながらも、どこか笑えるや言動を披露する、もうしくないの姿が見れる。 においても、2においてへと変貌していたのがであるらしく、戻りかけたことがある。 しかし本人は当然なかったことにしておきたいらしく、にへ戻ってしまうことを拒否している。 しかし。 そしてではのザビーで非常に弾けた、弾けすぎたを見ることが出来るようになる。 とかとかとかも居るけど。 その弾けすぎは、によってはをしているはずなのにが出ただけで一でが膚きまでに破壊されるぐらいである。 戦国BASARAX の版であるでは 「何故使用可なのかわからない」 「相手がを使ったらそれは『(さっさと終わらせて)飯食いに行こうぜ』の合図」 などと言われるほどの。 間違いなくで一番強い。 彼を使えば相手がであろうと勝てる。 だってあのだもの。 しかしどうしてそうなったのかを説明すると長くなるので、詳しくはの記事を参照。 関連動画 愛なら仕方ないな 関連商品 関連コミュニティ 関連項目• を唱えた、というところから分かるようにあくまで徒としての行為であり、崇拝をしていたわけではない。 このことは同じ三子教訓状でたちに信心を篤くすることを勧める下りの中で「を唱える相手はでもでもいい」と書いていることからも分かる。 が視と日輪信仰ってしてるが、権威付けと戦意高揚の為にやってる?衆愚を導くためのというか、的な 当時では順当だし、現代でも祖霊信仰やは少数ではない 郷土溢れる素ならしい、と捉えるのも可だが 史実で、なんていないしがになるわ、byしてたもで似た描写されてるし、ただの史実要素取り入れた新解釈兼別表現なんかね 老成して見える3にも共通しそうだが、頭がいいだけの特に心体強そうでもないが奮闘してる様は好感が持てる(注:好き) 特にの様に情が深そうとは思ってないが、同じとはって見えるな。 から情とって的にして、からを失くした感じか、それ良いとこなしじゃんとは言ってはいけない 血腥いの嫌い発言で戦嫌そうだったり、仕方なく武将やってる臭するのは次男ならでは?得意そうで皮だが。 本人自覚 省略しています。 180 ななしのよっしん.

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