グッバイ 君 の うん めい の ひと は 僕 じゃ ない。 「Pretender」/まふまふ 歌ってみた【罗马音+假名歌词】

「Pretender」/まふまふ 歌ってみた【罗马音+假名歌词】

グッバイ 君 の うん めい の ひと は 僕 じゃ ない

ソバエ ナノ ソバエ 物悲しいモノクロームは柔いオブラートで世界を優しく包み込む。 だから僕は立ち尽くすのをやめて、ベッドの上に横たえた。 雨垂れの音を聞きながら、僕は仔犬を想う。 静かな雨の中ではしゃぐ仔犬は、アスファルトに地図を描く水溜りを忙しなく弾けさせていた。 そして僕はシーツに鼻を埋めて肺の隅々まで満ちるように息を吸う。 微かな君の甘い香りが僕を熱に溺れさせる。 仮初めでも構わないから、今は君の夢を見たい。 このせり上がる苦味を、刹那の君に慰めてほしい。 ーーーーー… 変ニ長調。 四分の四拍子のソステヌート。 僕の指先が描くそれは、あの日君の泣き濡れた頬を拭った時に見た、あの窓枠に垂れたもの。 切り取られた不機嫌な鈍色の中の丸い打音を、君は澄んだ瞳で追っていた。 僕の好きなその清明な漆黒の瞳。 それは今も変わらず僕を見つめてくれている。 「ねえ、なんて曲なの?」 「ショパンのプレリュード15番。 雨だれの前奏曲さ。 ショパンは知っているだろう?」 「ショパンって…これだよね。 」 そう言って君は暗転した嬰ハ短調の中でころころとモルト・ヴィヴァーチェのトレモロを走らせた。 同じくショパン。 仔犬のワルツだ。 それにつられて僕の指先もまた変ニ長調へと明転。 泣き止んだ君の微笑みのような強引なスケルツォに発展してゆく。 「あはは。 何これ。 」 「ふふ。 君が雨垂れの中で仔犬を走らせたから、いつの間にか可笑しな曲になってしまったじゃないか。 」 「でも晴れたね。 それってカヲル君みたい。 」 「僕みたい?」 「僕が泣いてもカヲル君がいたら、最後は僕、笑ってるから。 」 君のその綻んだ瞳は、今、僕と同じ情景を映しているのかもしれない。 ーーーーー… 僕等は同じマンションの隣に住む幼馴染だ。 ある日僕が学校から帰って来ると、越してきたばかりのシンジ君がしゃがみながら泣いていた。 僕の家の隣のちょうど扉の前で、風が運んだ雨空のちょっかいを所々に浴びながら。 「どうしたんだい?」 僕が同じようにしゃがんで君の顔を覗き込むと、熟れた林檎の頬をした君が濡れた睫毛を瞬かせながら僕を見つけた。 「…かぎ、なくしたの。 」 「なら、うちへおいでよ。 ご両親が帰ってくるまで一緒に遊んでいよう。 」 そして僕は君の丸い後頭部をひと撫でしてから、ひと回り小さな手を握ってそのまま部屋へと上げたのだ。 僕は大人びた子供だった。 言葉遣いも両親不在で祖父に育てられたせいか、ありふれた子供の言葉の響きではなかった。 そしてアルビノの容姿も僕の異様さに拍車を掛けて僕はとても世間から浮いていた。 それは反って他人と遊ぶよりも読書を好む僕の性格には好都合で、僕はそんな独りきりの自由を愉しんでいた。 「…ありがとう。 ぼく、だれもしってるひと、いないんだ。 」 「越してきたばかりだからね。 君、名前は?」 「碇シンジ、6さい、…」 「シンジ君、僕の一つ下だね。 友達はいないのかい?」 「うん。 ぼく、ひとがにがてなんだ。 だから、ひとりぼっち。 」 「ふふ。 僕と同じだね。 独りぼっちがふたり居るから、僕らはこれからはふたりぼっちだ。 」 「ふたり、ぼっち!?」 シンジ君は子供らしい驚きを見せた後、困ったように照れて屈託もなく笑った。 その純真な笑顔に僕はどきりとしてしまう。 自分の気儘な発言が、一瞬にして消沈していた彼を笑顔に変えたんだ。 まるでそれは魔法のように。 その体験は僕の世界まで、変えた。 嬉しそうに涙の名残りをそのままに笑うシンジ君の頬を僕は、指先で拭う。 その生温さが新しい予感を連れて僕の身体に染み込む気がした。 そして遠くを見やると窓枠には雨垂れが軽やかなリズムを刻んでいたのだった。 僕の視線を追ってシンジ君もその雫の垂れる様を眺めている。 僕はそのシンジ君の瞳を見つめて、まるで涅色のビロードのようだと、心を奪われていた。 ーーーーー… 「カヲル、くん…」 「シンジ君!どうしたんだい?」 「ぼく、学校行きたくない。 」 「どうして?」 「……トウジが、いじわるするんだ。 」 出逢ってから歳月が過ぎると、大人びて達観していた僕と子供らしく繊細なシンジ君はまるで、少し歳の離れた兄弟のようになっていた。 引っ込み思案のシンジ君は友達がなかなか出来ずに心細さによく泣いていた。 だからそんな時僕は、ピアノを弾いたんだ。 シンジ君の繊細な心に僕なりにそっと寄り添おうとしていた。 けれど僕はシンジ君がそんな状況でも、内心ではとても幸せだった。 僕は僕だけの宝物を見つけたんだ。 ふたりがこんなに楽しいなんて知らなかった。 きっとシンジ君だから楽しいんだ。 あの清らかな瞳が僕を憧れの眼差しで映す時、僕の胸は密かな高揚に染まる。 「…雨だれ。 」 「そう。 これは?」 「ふふ。 仔犬がいたずらして晴れちゃうんだ。 」 「シンジ君がいたずらしたのさ。 」 「でも、晴れたのはカヲル君がしたんだ。 」 「君が仔犬を走らせなかったらこのままだよ。 」 そしてまた、雨垂れが軽やかに落ちてゆく。 「…でも、僕、これも好きだよ。 カヲル君みたいで。 」 「晴れも雨も僕なのかい?」 「うん。 全部カヲル君なんだ。 僕たちふたりぼっちだから。 」 僕はそれを聞いて身体中に甘い痺れを感じた。 それはもう、世界なんてどうでもいいから僕達ふたりきりでこの部屋にずっと居ようと、君を攫ってしまいそうになるくらいに僕を酷く誘惑する響きだった。 「…僕、カヲル君がいてくれるから、がんばるよ。 ありがとう。 」 「頑張り屋さんだね。 偉いね、シンジ君。 」 僕が君の丸く愛らしい後頭部をゆっくりと撫でると、君は気持ち良さそうに瞳を閉じた。 ー僕の、シンジ君… 僕はいつしか君の事を心の中でそう呼ぶようになっていた。 いつも僕の弟のように僕の後ろをついて歩くシンジ君。 僕が守ってあげないとすぐにその瞳から大粒の涙を溢してしまうシンジ君。 君の世界が僕のこの腕の中だけになればいいのに… ーーーーー… 「昨日綾波がね、掃除の時手伝ってくれたんだ。 友達に、なれたかも。 」 僕等は中学生になった。 そして僕は、ずっと予想していた日を今日迎えたと知る。 シンジ君の魅力に気づく人間がいつか現れる。 それは時間の問題だったんだ。 「…そうか。 良かったじゃないか。 シンジ君はとても素敵だからね。 もっと自信を持っていいんだよ。 」 「うん。 カヲル君のおかげだよ。 ありがとう。 」 僕はそう言いながらも胸の内にちくりと柔い棘が生まれていた。 シンジ君が喜んでいるのは、嬉しい。 けれど、僕は思ってしまった。 君の事を誰かに気づいてもらう為に、僕は君を励ましていた訳じゃない。 そして僕の綯い交ぜになった感情は指先を動かす。 初めて僕等が笑顔を交わしたあの日の懐かしい雨垂れを。 「ねえ、アスカがさ、カヲル君は毎日告白されてるって言うんだけど、本当?」 「アスカって?」 「え?」 「アスカって、誰だい?」 「あれ?話さなかったっけ?隣の席の友達。 僕がトウジにいじめられた時に助けてくれたんだ。 」 僕は刺すような胸の痛みに喉が引き攣ってしまう。 同じ中学でも二年と三年ではなかなか僕はシンジ君の様子を伺えない。 僕以外にシンジ君を守ろうとする存在が現れた。 そしてシンジ君も心を許してその人間を下の名前で呼んでいる。 それは今まで、僕にしかしなかった、行為。 「…そうか。 聞いていなかったよ。 」 「ごめん。 忘れてたのかな…それでさ、カヲル君は毎日告白されてるの?」 「毎日ではないよ。 ほぼ連日ではあるけれど。 」 「…そうなんだ。 知らなかった。 カヲル君は彼女、いるの?」 「いないよ。 気になるのかい?」 僕のやや挑発的な質問に君は耳まで真っ赤にして俯いてしまう。 その反応は、気になったって事なのかな。 そう思うと僕の胸は甘く震える。 けれどほろ苦い。 君はそんな愛らしい表情を僕の預かり知らない所で人の目に晒しているのだろうか。 そうならば、僕は今すぐ君をこの腕の中に隠してしまわなくてはーー そう思ってから、自嘲する。 僕は何を考えているのだろう。 恋人同士でもないのに。 ただの、ふたりぼっちと云う名の幼馴染なのに。 そしてそのふたりぼっちも今では無くなってしまったようだ。 僕はその秘めた哀しみを隠すように雨垂れと仔犬のスケルツォを奏でた。 それを聞いて君はくすりと笑って僕を見つめた。 その憧憬の視線が僕の胸をいつまでも焦がしていた。 「今度ね、トウジとケンスケと一緒に動物園に行くんだ。 」 「…そう、か。 」 いつの間にか苛めっ子だったその子達はシンジ君の近しい友達になったらしい。 シンジ君は今まで僕以外の誰とも外出をしなかった。 もうそれも、終わりを迎える。 「…どうしたの?カヲル君。 」 「いや…良かったね、シンジ君。 」 「…うん。 カヲル君も、行く?」 「遠慮するよ。 彼等は僕の知り合いではないのだから。 」 シンジ君は僕が待ってと言う暇もなく、自立してゆく。 僕の袖を掴んで歩いた小さな君は、今では立派にひとりで他者と向き合っている。 それに反して僕は、シンジ君に心を完全に奪われてしまっていた。 片時もシンジ君から離れたくない。 シンジ君以外の物事には僕は塵程の関心をも持ち合わせていなかった。 何故だろう。 僕に兄弟が居たらとても世話焼きな兄になっていたのかもしれない。 ーもっと僕に甘えてごらんよ、シンジ君。 そう想いながら、僕は戯れる仔犬を奏でた。 そうしたら今度は君が雨垂れを降らす。 「…この仔犬、ちょっと悲しそうだよ。 」 「そうかな?足を怪我してしまっているのかもしれないね。 」 「ふふ。 変なの。 」 僕がふざけてそのショパンのワルツを嬰ハ短調に移調したら、君は驚いた声を上げた。 「それじゃあ、仔犬が泣きながらのたうち回ってるみたいじゃないか。 」 「可哀想かい?」 「うん。 かわいそう。 」 「じゃあ、僕の頭を撫でてごらん。 そうしたら仔犬は元気になるよ。 」 シンジ君はそれを聞いて僕の頭を優しく撫でた。 その回数毎に仔犬はむくむくと元気になって途端に変ニ長調の中をプレストしてゆく。 撫でれば撫でる程に速く楽しそうに駆け回る仔犬に君は可笑しそうに笑っていた。 「ほら、元気になっただろう?」 「うん。 ありがとう。 」 そうして君が僕の頭を撫でながら耳元で囁いたから、僕は思わず頬を上気させてしまった。 胸がきゅうっと苦しくなる。 その初めての感覚に僕は大いに混乱した。 このざわめきは何なのだろう。 この灼けるような痛みは。 けれど、僕は知る事になる。 その灼けるような痛みの訳を。 ーーーーー… 「動物園はいつ行くんだい?」 「明後日。 今珍しい動物が居るみたいで、トウジはすごくそれが見たいんだって。 」 僕は曖昧に返事をすると、また本を読むふりを始めた。 シンジ君は僕のベッドに寝そべっている。 外は今日もまたじっとりとした雨が降る。 今は梅雨の時期だから日射しの届かない昼間は物憂げだ。 だからだろうか、今日の君は眠そうで、すぐにベッドに身を預けてしまっていた。 「眠いのかい?」 「うん。 なんか、寝不足なんだ。 」 そう伝える君の声までが靄にように消え入りそうだった。 僕はその状態を耳だけで確認し、君の仕草を想像した。 きっと君は今、うつらうつらと重くなった瞼を閉じようとしているのだろう。 僕はそのベッドの縁に背中を預けて、立膝をついて床に座っていた。 今日、僕は君を見られない。 僕は思い知ったんだ。 自分の邪な願望について。 昨日、初めて夢の中でシンジ君を抱いた。 唐突な夢だった。 僕は裸に横たえた君の素肌を愛撫していた。 吸い付くようなその感覚に熱い溜息を漏らしながら、君の名を呼んでいた。 僕はもう、その愛おしさを隠す事もなく甘えた声で君を呼んだ。 君は僕に感じ入った声なき声しか出せなくて、僕はその悶えるような表情に酷く興奮していた。 幼な顏の君は香り立つような色気で僕を誘っている。 だから僕はとても自然な流れと言うように、君の尻肉を割ってその中へと入ったのだ。 味わうようにじっくりと前へと進み、自らの慾棒の全てを君に沈み込ませると、君は幼い林檎のような頬のまま、僕をうっとりと眺めていた。 僕はその様子に透明な雨垂れを零す。 やっと僕は、君とちゃんとふたりぼっちになれた、と幸せに溺れて君を境界線が無くなるまでに抱き寄せては、欲のままに君へと腰を突いた。 密着しながら律動を早めると君は抑えきれずに嬌声を上げて、僕等は共に絶頂に達したのだった。 僕はその夢から目覚めた夜明けに頭を抱えて落涙する。 僕を兄のように慕ってくれたシンジ君の事を思うと、己の劣情を恨んだ。 そしてその、もう自らをも騙せなくなってしまった熱情を知って、途方に暮れた。 君の僕の全てを受け入れてくれたあの微笑み。 僕はそれを望んでいるんだ。 僕は心も体も君とふたりぼっちになりたいんだ。 僕はその熱をシンジ君に気づかれまいとした。 もしも俄雨だったのなら。 それはすぐに晴れ間が射すのだ。 僕がこの想いをひた隠しにすればいい。 僕の微熱はやがて冷める。 そして僕等はいつまでも兄弟のように寄り添って歩いてゆく。 例えその先にふたりぼっちなんて言葉を忘れてしまう程に君が僕から離れてしまっても、君の為にはそれが一番良い事なんだ。 僕は君の為の僕でありたい。 君のその涅色のビロードの瞳に僕が映らなくなってしまっても、その瞳が雨垂れを垂らす時に、それを拭うのは誰でもない、僕なんだ。 僕はそう自分に言い聞かせて、ひとりぼっちのベッドの上でハミングを奏でた。 変ニ長調のソステヌート。 あの日の雨垂れは今となってはまるで夢のようで、その切なさが僕の赤い瞳にまで雨垂れを運んだ。 ーーーーー… ふと気がつくと、寝息が聞こえた。 ベッドに横たえたまま君は眠ってしまったんだ。 僕はゆっくりと君の方を振り返る。 シンジ君は瞼を閉じたまま小さく胸を上下させていた。 そっと近づいて寝顔をまじまじと見つめると、深く眠っているようだった。 力を無くした表情で薄っすらと唇を開けている。 ふっくらとして艶めいた、柔らかそうな、薄紅。 ーもっと。 隅々まで、僕のシンジ君を眺めたい… 僕はシンジ君の顔に覆い被さるようにして覗き込んだ。 澄んだように繊細な肌に長いしっとりとした睫毛に、形のいい鼻梁。 丸くふっくらと愛らしい頬に、一言一句ですら僕の心を擽ってしまう淡い唇。 その唇にそっと触れてみるとマシュマロのように柔らかくて僕は驚いた。 じんわりと身体中が熱くなる。 それは甘くて美味しいのだろうか。 僕は思わず唇を寄せた。 唇を重ねたい。 口に含んで、君の味を知りたい。 僕の喉がごくりと鳴る。 その音に君が目覚めはしないだろうかと一瞬、怯んでしまう。 そして君の寝息を確認して、もっと唇を寄せると、僕らの唇の先は触れそうで触れない隙間を残すのみとなった。 ー僕の、シンジ君… あと少しで君の味を知れる。 そう思うと背筋を駆け抜ける甘い衝動に堪らずシーツを握りしめた。 僕はそっと瞳を閉じる。 僕の唇に鮮明に君を刻もうとした。 僕の、シンジ君の、味を。 けれど、とうとう僕はシンジ君にキスが出来なかった。 最後の最後にして、僕のシンジ君への兄としての理性が残って、僕は何もなかったかのように身体を起こすのだった。 けれどその代わりに僕の赤からは雨垂れがぽろりと落ちてしまい、僕は居た堪れなくなって部屋をそそくさと出て行ったのだ。 そして酷い罪悪感で息が出来ずに壁に額を押し付けては、君を想いながら唇を噛みしめるのだった。 ーーーーー… 「…結局、雨で動物園は中止になったんだ。 」 「そうか。 残念だったね。 」 僕はそう言いながらも内心では喜びに揺れていて、それを表情に出すまいと顔を君から逸らしていた。 しっぽりと遣らずの雨が僕等の部屋を包み込む。 僕の密かな祈りが天に届いてしまったようで、僕はこっそりと声に出さずに君に謝った。 「でもね、僕、良かったのかもしれない。 最近ずっと眠いんだ。 」 「寝不足かい?」 「うん。 なんだか最近眠れなくって。 」 「…何か悩み事かな?」 「…ううん。 大したことじゃないんだ。 でもね、僕、カヲル君が側に居ると眠れるみたい。 この前もいつの間にか寝ちゃってたから。 」 僕の胸は前日の未遂行為を思い出して悲鳴を上げた。 罪悪感が血管に痛みを乗せてどくんどくんと流れてゆく。 「…また、寝ていい?僕、眠くなってきちゃった。 」 「気にしないで。 今日は生憎の雨だからね。 ゆっくり休むといいよ。 」 そう言ってから僕は自嘲する。 生憎の雨とはよく言ったものだ。 僕は今日もまたシンジ君の顔を見られない。 けれどシンジ君は気遣ってくれているのか、そんな僕に問う事もない。 僕等はそれ程までに互いを信頼しきっていた。 暫くするとまた、君の小さな寝息が聞こえてきた。 僕はそれを合図にまたシンジ君に近寄った。 こんな盗み見るような行為は良くないとはわかっている。 そして結局は罪悪感で消え入りたくなるのもわかっている。 けれど、今日は雨が降っているんだ。 あの日から変わらないあの窓枠の雨垂れが、いつだって少しばかり僕をおかしくしてしまう。 あの軽やかなリズムが可愛らしい仔犬を連れてきては悪戯に僕の胸を掻き回すんだ。 そうして僕は君に覆い被さるように全身をベッドに預けた。 決して君に触れないように隙間を空けながらも僕は、君を世界から隠すようにして肢体で君の身体を囲む。 ー僕の、シンジ君… 寝顔を見つめながらそんな事を心で呟く僕は、きっとおかしい。 僕のそんな倒錯した行為を水鏡を覗き込むようにしてもうひとりの僕が静かに嘲笑っている。 僕はこの姿勢に身体の芯が疼くのを感じていた。 先日の肉欲に濡れた君との夢を想う。 僕は最低だな、そう思いながらもこの唇は欲望に抗えずにゆっくりと君のそれへと近づいてゆく。 すると突然、辺りを切り裂くように携帯電話のバイブレーションが僕等のすぐ側でけたたましく鳴り響いた。 僕は心臓が止まる程に驚いて跳ね返るように上体を起こす。 そしてゆっくりとシンジ君の目は開かれて、僕を見据えた。 けれどもそれは一瞬で、すぐに耳横に置かれた携帯へと手を伸ばして君は顔を傾けた。 「…もしもし。 あ、ケンスケ、どうしたの?…え?今?僕、カヲル君ち…え?あ、隣のうちだよ……ええ?」 シンジ君は僕の下からすり抜けて、あの雨垂れの窓枠へと近づいた。 そしてそこからマンション手前の舗道を見下ろす。 「…嘘。 来ちゃったの?ちょっと待ってよ…」 シンジ君はそう言うと携帯を切った。 僕は、その一連のシーンを眺めながら、絶望の中で途方に暮れていた。 シンジ君にとって、僕は憧れの存在だった。 僕の異性への関心を気にされるくらいには、憧れられていると思っていた。 けれど、僕が眠っている君に覆い被さっていた事について、シンジ君は何の驚きも示さなかった。 瞬きに小さな恥じらいを込めたくらいだ。 僕はそれに今までに無い程の衝撃を受けた。 仮に同性だとしても、そんな事、驚かずに居られるだろうか。 疚しさのかけらも無いと思えるのだろうか。 だから僕はきっと、シンジ君にとっては全くもって、兄、なのだろう。 性的衝動を疑う事もしない、安全な存在なんだ。 君にとっての僕は、そんな、存在ーー 「…なんかね、トウジとケンスケがマンションの前まで来ちゃったんだ。 雨の動物園でもいいから行くんだって。 」 振り返る君は薄っすらと頬を染めていた。 そんな君に僕は何も言葉を紡げない。 苦しくて喉が締め付けられているようで、息すら出来ない。 「…ちょっと…行ってくるね。 」 「…ああ。 行っておいで。 」 どうにか絞り出してそれだけ君に告げて、僕は遠くの窓枠を見た。 そして雨垂れの丸い雫の動線を数えてみる。 ひとつ、ふたつーーそうしていないと僕の赤は表面張力でも耐えきれずに、音も無く雫を垂らしてしまいそうだった。 「…うん…ごめんね…」 ぱたりと静かにドアが閉まる音を聞いて、僕ははっと深く息を吸い込みながら瀕死の胸に手を当てた。 ぎゅっとシャツを握り締めると僕の頬を雨垂れが伝う。 そして徐に立ち上がっては部屋に佇むアップライトピアノを見つめた。 僕等はそこで同じ椅子に腰を掛けて、同じ鍵盤を弾いていた。 肩を並べて時折君と僕の小指と小指が触れ合うんだ。 その心地良い距離感。 僕の耳にはあの日の雨垂れが聴こえる。 そして仔犬の戯れる足音が。 それを笑う君の鈴の音のような軽やかな声。 遠い日の僕等の残像をこの赤い瞳は映していた。 そしてそれは触れようと手を伸ばすと瞬く間に消えてしまう。 行かないでほしい。 いつまでも、僕はーーー ーーーーー… だから僕はシーツに顔を埋めては君の残した匂いと温もりに溺れるんだ。 身体を捻って俯せになってそれに口付ける。 現実とは違う未来を描いてみる。 君のその唇に僕のを重ねて、目覚めた君が僕に想いを返してくれたのなら。 互いの熱を確かめ合って、互いに身体を掻き抱けたのなら。 ー僕は、君と、ふたりぼっちになりたかった… そして僕は君の居ない部屋で君を想いながら、シーツを濡らすのだった。 音も無い、雨垂れの、涙によって。 「…カヲル、君。 」 暫くしてドアの開くかちゃりとした音と同時に、シンジ君は戻ってきた。 僕は何故、と酷く混乱したが、こんな泣き濡れた情けない顔を君には見せられない。 だからそのまま寝たふりを決め込んだ。 「…寝ちゃったの?」 シンジ君の足音が近づいてきて、僕の心臓は早鐘を打つ。 どうしようか、そう寝たふりのまま焦っていると、シンジ君は僕の顔を覗き込んだ。 「…泣いてるの?」 「……君が、行ってしまって、寂しかったのさ…」 僕が降参して君に向き直ると、僕らの顔はとても近くにあった。 「…本当?」 「…君に嘘なんて、吐かないよ。 」 「じゃあ、カヲル君はなんで僕の寝てる時だけキスしようとするのさ。 」 僕は驚きの余りに眩暈がした。 心臓が潰れるくらいにしなってしまう。 「……起きてたのかい?」 「うん。 一回目はキスしてくれなかったから、また寝たふりをしたのに、今度は邪魔が入っちゃったね。 」 そう言うとシンジ君はくすりと笑った。 君はとても緊張しているのだろう。 頬を真っ赤にして困ったように笑いながら、指先が微かに震えている。 「…キスして良かったのかい?」 「…ねえ、僕の寝不足の訳を知ってる?」 「いや。 何かな?」 「カヲル君がいつか誰か僕の知らない人と付き合っちゃうんじゃないかって思うと、苦しくて眠れなかったんだ。 」 僕は呆気にとられて、濡れた睫毛を瞬かせた。 「まさか。 僕が好きなのは君だけだよ、シンジ君。 さっきも本当は、君の恋愛対象になれないと思うと辛くて泣いてたんだ。 」 「…やっぱりカヲル君は嘘吐きだね。 」 「…そうなるかな。 ごめん。 」 「じゃあ、僕から、お仕置き。 」 そう言ってシンジ君は僕に優しいキスをくれた。 覗き込むようにして唇をちゅっとくつけたんだ。 僕はその余りにも可愛いお仕置きが堪らなくて、君の背中に腕を伸ばして君をベッドの上に誘う。 そんな僕等の不埒な光景を、あの窓枠はずっと眺めていた。 雨垂れの前奏曲を奏でながら、そこで今日も仔犬は遊ぶんだ。 それは世界でふたりぼっちの僕等しか知らない、秘密の旋律。 「僕の、シンジ君…」 「ふふ。 僕の、カヲル君。

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Pretenderが推しを拗らせたオタクの歌にしか聞こえなくてつらい

グッバイ 君 の うん めい の ひと は 僕 じゃ ない

曲ごとの難易度も大公開! 自分にぴったりの曲も見つかりますよー。 Pretender Official髭男dism YouTube解説版 歌ってみた 音源リンク カテゴリ: J-Pop 難易度分析 最高音がかなり高いので女性も原曲キー推奨です。 男性は-2くらいは必要になると思います。 とにかくC5が連発する上にアクセントの位置、リズムもある程度複雑なので、自分にあったキーで歌えるよう調整してみましょう。 あくまで個人的感性ですが、この曲は歌詞の内容がとても素敵です。 それに伴い、細かい感情表現が随所に見られます。 音程の高さ以外にも注目してぜひ練習してみてください。 Bメロは細かくリズムを感じるパートです。 mの音を先取りすることで、よりキレのあるリズムを表現しています。 Aメロ・サビはここまでリズムが強調されないので、リズムという側面からの抑揚と捉えることもできます。 小さな『っ』の表現と組み合わせることで効果倍増です。 サビ グッバイ きみの うんめいのひ とは ぼく じゃない 息 つ らいけ どい なめない で もは なれ がたいの さ そのかみに ふれただけで い たいやいやでも あ まいないやいや グッバイ それじゃ ぼくに とって きみ はなに こ たえ はわ からない わ かり たく もない のさ たったひとつたしかなことが あるとするのならば きみは きれい だー 息 1ポイントアドイス とにかく高いです笑。 キーを下げたとしてもギリギリの戦いになる人も多いと思いますが、アクセント位置にしっかりと感情を乗せられないと、ただ叫んでいるだけの歌になってしまいます。 黄色の位置を強く読むだけでもいいので、歌が平坦にならないよう注意しましょう。 まとめ 高い音に注目されがちな髭男ですが、それ以上に圧倒的なリズム感や細かい感情表現がフレージングに現れています。 キャッチーなサビだけではなく、ぜひAメロ、Bメロにも要注目です。 最後まで読んでくれてありがとうございます。 記事を読んで何か感じたことがあればぜひコメントください。 分からないことやリクエストでも構いません。 みなさんの声をお待ちしています。 もしこの記事が役に立ったらぜひシェアもお願いします。 レッスンをご希望の方はこちら.

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Official髭男dism「Pretender」の魅力を思う存分語りたい【映画「コンフィデンスマンJP」主題歌】

グッバイ 君 の うん めい の ひと は 僕 じゃ ない

ソバエ ナノ ソバエ 物悲しいモノクロームは柔いオブラートで世界を優しく包み込む。 だから僕は立ち尽くすのをやめて、ベッドの上に横たえた。 雨垂れの音を聞きながら、僕は仔犬を想う。 静かな雨の中ではしゃぐ仔犬は、アスファルトに地図を描く水溜りを忙しなく弾けさせていた。 そして僕はシーツに鼻を埋めて肺の隅々まで満ちるように息を吸う。 微かな君の甘い香りが僕を熱に溺れさせる。 仮初めでも構わないから、今は君の夢を見たい。 このせり上がる苦味を、刹那の君に慰めてほしい。 ーーーーー… 変ニ長調。 四分の四拍子のソステヌート。 僕の指先が描くそれは、あの日君の泣き濡れた頬を拭った時に見た、あの窓枠に垂れたもの。 切り取られた不機嫌な鈍色の中の丸い打音を、君は澄んだ瞳で追っていた。 僕の好きなその清明な漆黒の瞳。 それは今も変わらず僕を見つめてくれている。 「ねえ、なんて曲なの?」 「ショパンのプレリュード15番。 雨だれの前奏曲さ。 ショパンは知っているだろう?」 「ショパンって…これだよね。 」 そう言って君は暗転した嬰ハ短調の中でころころとモルト・ヴィヴァーチェのトレモロを走らせた。 同じくショパン。 仔犬のワルツだ。 それにつられて僕の指先もまた変ニ長調へと明転。 泣き止んだ君の微笑みのような強引なスケルツォに発展してゆく。 「あはは。 何これ。 」 「ふふ。 君が雨垂れの中で仔犬を走らせたから、いつの間にか可笑しな曲になってしまったじゃないか。 」 「でも晴れたね。 それってカヲル君みたい。 」 「僕みたい?」 「僕が泣いてもカヲル君がいたら、最後は僕、笑ってるから。 」 君のその綻んだ瞳は、今、僕と同じ情景を映しているのかもしれない。 ーーーーー… 僕等は同じマンションの隣に住む幼馴染だ。 ある日僕が学校から帰って来ると、越してきたばかりのシンジ君がしゃがみながら泣いていた。 僕の家の隣のちょうど扉の前で、風が運んだ雨空のちょっかいを所々に浴びながら。 「どうしたんだい?」 僕が同じようにしゃがんで君の顔を覗き込むと、熟れた林檎の頬をした君が濡れた睫毛を瞬かせながら僕を見つけた。 「…かぎ、なくしたの。 」 「なら、うちへおいでよ。 ご両親が帰ってくるまで一緒に遊んでいよう。 」 そして僕は君の丸い後頭部をひと撫でしてから、ひと回り小さな手を握ってそのまま部屋へと上げたのだ。 僕は大人びた子供だった。 言葉遣いも両親不在で祖父に育てられたせいか、ありふれた子供の言葉の響きではなかった。 そしてアルビノの容姿も僕の異様さに拍車を掛けて僕はとても世間から浮いていた。 それは反って他人と遊ぶよりも読書を好む僕の性格には好都合で、僕はそんな独りきりの自由を愉しんでいた。 「…ありがとう。 ぼく、だれもしってるひと、いないんだ。 」 「越してきたばかりだからね。 君、名前は?」 「碇シンジ、6さい、…」 「シンジ君、僕の一つ下だね。 友達はいないのかい?」 「うん。 ぼく、ひとがにがてなんだ。 だから、ひとりぼっち。 」 「ふふ。 僕と同じだね。 独りぼっちがふたり居るから、僕らはこれからはふたりぼっちだ。 」 「ふたり、ぼっち!?」 シンジ君は子供らしい驚きを見せた後、困ったように照れて屈託もなく笑った。 その純真な笑顔に僕はどきりとしてしまう。 自分の気儘な発言が、一瞬にして消沈していた彼を笑顔に変えたんだ。 まるでそれは魔法のように。 その体験は僕の世界まで、変えた。 嬉しそうに涙の名残りをそのままに笑うシンジ君の頬を僕は、指先で拭う。 その生温さが新しい予感を連れて僕の身体に染み込む気がした。 そして遠くを見やると窓枠には雨垂れが軽やかなリズムを刻んでいたのだった。 僕の視線を追ってシンジ君もその雫の垂れる様を眺めている。 僕はそのシンジ君の瞳を見つめて、まるで涅色のビロードのようだと、心を奪われていた。 ーーーーー… 「カヲル、くん…」 「シンジ君!どうしたんだい?」 「ぼく、学校行きたくない。 」 「どうして?」 「……トウジが、いじわるするんだ。 」 出逢ってから歳月が過ぎると、大人びて達観していた僕と子供らしく繊細なシンジ君はまるで、少し歳の離れた兄弟のようになっていた。 引っ込み思案のシンジ君は友達がなかなか出来ずに心細さによく泣いていた。 だからそんな時僕は、ピアノを弾いたんだ。 シンジ君の繊細な心に僕なりにそっと寄り添おうとしていた。 けれど僕はシンジ君がそんな状況でも、内心ではとても幸せだった。 僕は僕だけの宝物を見つけたんだ。 ふたりがこんなに楽しいなんて知らなかった。 きっとシンジ君だから楽しいんだ。 あの清らかな瞳が僕を憧れの眼差しで映す時、僕の胸は密かな高揚に染まる。 「…雨だれ。 」 「そう。 これは?」 「ふふ。 仔犬がいたずらして晴れちゃうんだ。 」 「シンジ君がいたずらしたのさ。 」 「でも、晴れたのはカヲル君がしたんだ。 」 「君が仔犬を走らせなかったらこのままだよ。 」 そしてまた、雨垂れが軽やかに落ちてゆく。 「…でも、僕、これも好きだよ。 カヲル君みたいで。 」 「晴れも雨も僕なのかい?」 「うん。 全部カヲル君なんだ。 僕たちふたりぼっちだから。 」 僕はそれを聞いて身体中に甘い痺れを感じた。 それはもう、世界なんてどうでもいいから僕達ふたりきりでこの部屋にずっと居ようと、君を攫ってしまいそうになるくらいに僕を酷く誘惑する響きだった。 「…僕、カヲル君がいてくれるから、がんばるよ。 ありがとう。 」 「頑張り屋さんだね。 偉いね、シンジ君。 」 僕が君の丸く愛らしい後頭部をゆっくりと撫でると、君は気持ち良さそうに瞳を閉じた。 ー僕の、シンジ君… 僕はいつしか君の事を心の中でそう呼ぶようになっていた。 いつも僕の弟のように僕の後ろをついて歩くシンジ君。 僕が守ってあげないとすぐにその瞳から大粒の涙を溢してしまうシンジ君。 君の世界が僕のこの腕の中だけになればいいのに… ーーーーー… 「昨日綾波がね、掃除の時手伝ってくれたんだ。 友達に、なれたかも。 」 僕等は中学生になった。 そして僕は、ずっと予想していた日を今日迎えたと知る。 シンジ君の魅力に気づく人間がいつか現れる。 それは時間の問題だったんだ。 「…そうか。 良かったじゃないか。 シンジ君はとても素敵だからね。 もっと自信を持っていいんだよ。 」 「うん。 カヲル君のおかげだよ。 ありがとう。 」 僕はそう言いながらも胸の内にちくりと柔い棘が生まれていた。 シンジ君が喜んでいるのは、嬉しい。 けれど、僕は思ってしまった。 君の事を誰かに気づいてもらう為に、僕は君を励ましていた訳じゃない。 そして僕の綯い交ぜになった感情は指先を動かす。 初めて僕等が笑顔を交わしたあの日の懐かしい雨垂れを。 「ねえ、アスカがさ、カヲル君は毎日告白されてるって言うんだけど、本当?」 「アスカって?」 「え?」 「アスカって、誰だい?」 「あれ?話さなかったっけ?隣の席の友達。 僕がトウジにいじめられた時に助けてくれたんだ。 」 僕は刺すような胸の痛みに喉が引き攣ってしまう。 同じ中学でも二年と三年ではなかなか僕はシンジ君の様子を伺えない。 僕以外にシンジ君を守ろうとする存在が現れた。 そしてシンジ君も心を許してその人間を下の名前で呼んでいる。 それは今まで、僕にしかしなかった、行為。 「…そうか。 聞いていなかったよ。 」 「ごめん。 忘れてたのかな…それでさ、カヲル君は毎日告白されてるの?」 「毎日ではないよ。 ほぼ連日ではあるけれど。 」 「…そうなんだ。 知らなかった。 カヲル君は彼女、いるの?」 「いないよ。 気になるのかい?」 僕のやや挑発的な質問に君は耳まで真っ赤にして俯いてしまう。 その反応は、気になったって事なのかな。 そう思うと僕の胸は甘く震える。 けれどほろ苦い。 君はそんな愛らしい表情を僕の預かり知らない所で人の目に晒しているのだろうか。 そうならば、僕は今すぐ君をこの腕の中に隠してしまわなくてはーー そう思ってから、自嘲する。 僕は何を考えているのだろう。 恋人同士でもないのに。 ただの、ふたりぼっちと云う名の幼馴染なのに。 そしてそのふたりぼっちも今では無くなってしまったようだ。 僕はその秘めた哀しみを隠すように雨垂れと仔犬のスケルツォを奏でた。 それを聞いて君はくすりと笑って僕を見つめた。 その憧憬の視線が僕の胸をいつまでも焦がしていた。 「今度ね、トウジとケンスケと一緒に動物園に行くんだ。 」 「…そう、か。 」 いつの間にか苛めっ子だったその子達はシンジ君の近しい友達になったらしい。 シンジ君は今まで僕以外の誰とも外出をしなかった。 もうそれも、終わりを迎える。 「…どうしたの?カヲル君。 」 「いや…良かったね、シンジ君。 」 「…うん。 カヲル君も、行く?」 「遠慮するよ。 彼等は僕の知り合いではないのだから。 」 シンジ君は僕が待ってと言う暇もなく、自立してゆく。 僕の袖を掴んで歩いた小さな君は、今では立派にひとりで他者と向き合っている。 それに反して僕は、シンジ君に心を完全に奪われてしまっていた。 片時もシンジ君から離れたくない。 シンジ君以外の物事には僕は塵程の関心をも持ち合わせていなかった。 何故だろう。 僕に兄弟が居たらとても世話焼きな兄になっていたのかもしれない。 ーもっと僕に甘えてごらんよ、シンジ君。 そう想いながら、僕は戯れる仔犬を奏でた。 そうしたら今度は君が雨垂れを降らす。 「…この仔犬、ちょっと悲しそうだよ。 」 「そうかな?足を怪我してしまっているのかもしれないね。 」 「ふふ。 変なの。 」 僕がふざけてそのショパンのワルツを嬰ハ短調に移調したら、君は驚いた声を上げた。 「それじゃあ、仔犬が泣きながらのたうち回ってるみたいじゃないか。 」 「可哀想かい?」 「うん。 かわいそう。 」 「じゃあ、僕の頭を撫でてごらん。 そうしたら仔犬は元気になるよ。 」 シンジ君はそれを聞いて僕の頭を優しく撫でた。 その回数毎に仔犬はむくむくと元気になって途端に変ニ長調の中をプレストしてゆく。 撫でれば撫でる程に速く楽しそうに駆け回る仔犬に君は可笑しそうに笑っていた。 「ほら、元気になっただろう?」 「うん。 ありがとう。 」 そうして君が僕の頭を撫でながら耳元で囁いたから、僕は思わず頬を上気させてしまった。 胸がきゅうっと苦しくなる。 その初めての感覚に僕は大いに混乱した。 このざわめきは何なのだろう。 この灼けるような痛みは。 けれど、僕は知る事になる。 その灼けるような痛みの訳を。 ーーーーー… 「動物園はいつ行くんだい?」 「明後日。 今珍しい動物が居るみたいで、トウジはすごくそれが見たいんだって。 」 僕は曖昧に返事をすると、また本を読むふりを始めた。 シンジ君は僕のベッドに寝そべっている。 外は今日もまたじっとりとした雨が降る。 今は梅雨の時期だから日射しの届かない昼間は物憂げだ。 だからだろうか、今日の君は眠そうで、すぐにベッドに身を預けてしまっていた。 「眠いのかい?」 「うん。 なんか、寝不足なんだ。 」 そう伝える君の声までが靄にように消え入りそうだった。 僕はその状態を耳だけで確認し、君の仕草を想像した。 きっと君は今、うつらうつらと重くなった瞼を閉じようとしているのだろう。 僕はそのベッドの縁に背中を預けて、立膝をついて床に座っていた。 今日、僕は君を見られない。 僕は思い知ったんだ。 自分の邪な願望について。 昨日、初めて夢の中でシンジ君を抱いた。 唐突な夢だった。 僕は裸に横たえた君の素肌を愛撫していた。 吸い付くようなその感覚に熱い溜息を漏らしながら、君の名を呼んでいた。 僕はもう、その愛おしさを隠す事もなく甘えた声で君を呼んだ。 君は僕に感じ入った声なき声しか出せなくて、僕はその悶えるような表情に酷く興奮していた。 幼な顏の君は香り立つような色気で僕を誘っている。 だから僕はとても自然な流れと言うように、君の尻肉を割ってその中へと入ったのだ。 味わうようにじっくりと前へと進み、自らの慾棒の全てを君に沈み込ませると、君は幼い林檎のような頬のまま、僕をうっとりと眺めていた。 僕はその様子に透明な雨垂れを零す。 やっと僕は、君とちゃんとふたりぼっちになれた、と幸せに溺れて君を境界線が無くなるまでに抱き寄せては、欲のままに君へと腰を突いた。 密着しながら律動を早めると君は抑えきれずに嬌声を上げて、僕等は共に絶頂に達したのだった。 僕はその夢から目覚めた夜明けに頭を抱えて落涙する。 僕を兄のように慕ってくれたシンジ君の事を思うと、己の劣情を恨んだ。 そしてその、もう自らをも騙せなくなってしまった熱情を知って、途方に暮れた。 君の僕の全てを受け入れてくれたあの微笑み。 僕はそれを望んでいるんだ。 僕は心も体も君とふたりぼっちになりたいんだ。 僕はその熱をシンジ君に気づかれまいとした。 もしも俄雨だったのなら。 それはすぐに晴れ間が射すのだ。 僕がこの想いをひた隠しにすればいい。 僕の微熱はやがて冷める。 そして僕等はいつまでも兄弟のように寄り添って歩いてゆく。 例えその先にふたりぼっちなんて言葉を忘れてしまう程に君が僕から離れてしまっても、君の為にはそれが一番良い事なんだ。 僕は君の為の僕でありたい。 君のその涅色のビロードの瞳に僕が映らなくなってしまっても、その瞳が雨垂れを垂らす時に、それを拭うのは誰でもない、僕なんだ。 僕はそう自分に言い聞かせて、ひとりぼっちのベッドの上でハミングを奏でた。 変ニ長調のソステヌート。 あの日の雨垂れは今となってはまるで夢のようで、その切なさが僕の赤い瞳にまで雨垂れを運んだ。 ーーーーー… ふと気がつくと、寝息が聞こえた。 ベッドに横たえたまま君は眠ってしまったんだ。 僕はゆっくりと君の方を振り返る。 シンジ君は瞼を閉じたまま小さく胸を上下させていた。 そっと近づいて寝顔をまじまじと見つめると、深く眠っているようだった。 力を無くした表情で薄っすらと唇を開けている。 ふっくらとして艶めいた、柔らかそうな、薄紅。 ーもっと。 隅々まで、僕のシンジ君を眺めたい… 僕はシンジ君の顔に覆い被さるようにして覗き込んだ。 澄んだように繊細な肌に長いしっとりとした睫毛に、形のいい鼻梁。 丸くふっくらと愛らしい頬に、一言一句ですら僕の心を擽ってしまう淡い唇。 その唇にそっと触れてみるとマシュマロのように柔らかくて僕は驚いた。 じんわりと身体中が熱くなる。 それは甘くて美味しいのだろうか。 僕は思わず唇を寄せた。 唇を重ねたい。 口に含んで、君の味を知りたい。 僕の喉がごくりと鳴る。 その音に君が目覚めはしないだろうかと一瞬、怯んでしまう。 そして君の寝息を確認して、もっと唇を寄せると、僕らの唇の先は触れそうで触れない隙間を残すのみとなった。 ー僕の、シンジ君… あと少しで君の味を知れる。 そう思うと背筋を駆け抜ける甘い衝動に堪らずシーツを握りしめた。 僕はそっと瞳を閉じる。 僕の唇に鮮明に君を刻もうとした。 僕の、シンジ君の、味を。 けれど、とうとう僕はシンジ君にキスが出来なかった。 最後の最後にして、僕のシンジ君への兄としての理性が残って、僕は何もなかったかのように身体を起こすのだった。 けれどその代わりに僕の赤からは雨垂れがぽろりと落ちてしまい、僕は居た堪れなくなって部屋をそそくさと出て行ったのだ。 そして酷い罪悪感で息が出来ずに壁に額を押し付けては、君を想いながら唇を噛みしめるのだった。 ーーーーー… 「…結局、雨で動物園は中止になったんだ。 」 「そうか。 残念だったね。 」 僕はそう言いながらも内心では喜びに揺れていて、それを表情に出すまいと顔を君から逸らしていた。 しっぽりと遣らずの雨が僕等の部屋を包み込む。 僕の密かな祈りが天に届いてしまったようで、僕はこっそりと声に出さずに君に謝った。 「でもね、僕、良かったのかもしれない。 最近ずっと眠いんだ。 」 「寝不足かい?」 「うん。 なんだか最近眠れなくって。 」 「…何か悩み事かな?」 「…ううん。 大したことじゃないんだ。 でもね、僕、カヲル君が側に居ると眠れるみたい。 この前もいつの間にか寝ちゃってたから。 」 僕の胸は前日の未遂行為を思い出して悲鳴を上げた。 罪悪感が血管に痛みを乗せてどくんどくんと流れてゆく。 「…また、寝ていい?僕、眠くなってきちゃった。 」 「気にしないで。 今日は生憎の雨だからね。 ゆっくり休むといいよ。 」 そう言ってから僕は自嘲する。 生憎の雨とはよく言ったものだ。 僕は今日もまたシンジ君の顔を見られない。 けれどシンジ君は気遣ってくれているのか、そんな僕に問う事もない。 僕等はそれ程までに互いを信頼しきっていた。 暫くするとまた、君の小さな寝息が聞こえてきた。 僕はそれを合図にまたシンジ君に近寄った。 こんな盗み見るような行為は良くないとはわかっている。 そして結局は罪悪感で消え入りたくなるのもわかっている。 けれど、今日は雨が降っているんだ。 あの日から変わらないあの窓枠の雨垂れが、いつだって少しばかり僕をおかしくしてしまう。 あの軽やかなリズムが可愛らしい仔犬を連れてきては悪戯に僕の胸を掻き回すんだ。 そうして僕は君に覆い被さるように全身をベッドに預けた。 決して君に触れないように隙間を空けながらも僕は、君を世界から隠すようにして肢体で君の身体を囲む。 ー僕の、シンジ君… 寝顔を見つめながらそんな事を心で呟く僕は、きっとおかしい。 僕のそんな倒錯した行為を水鏡を覗き込むようにしてもうひとりの僕が静かに嘲笑っている。 僕はこの姿勢に身体の芯が疼くのを感じていた。 先日の肉欲に濡れた君との夢を想う。 僕は最低だな、そう思いながらもこの唇は欲望に抗えずにゆっくりと君のそれへと近づいてゆく。 すると突然、辺りを切り裂くように携帯電話のバイブレーションが僕等のすぐ側でけたたましく鳴り響いた。 僕は心臓が止まる程に驚いて跳ね返るように上体を起こす。 そしてゆっくりとシンジ君の目は開かれて、僕を見据えた。 けれどもそれは一瞬で、すぐに耳横に置かれた携帯へと手を伸ばして君は顔を傾けた。 「…もしもし。 あ、ケンスケ、どうしたの?…え?今?僕、カヲル君ち…え?あ、隣のうちだよ……ええ?」 シンジ君は僕の下からすり抜けて、あの雨垂れの窓枠へと近づいた。 そしてそこからマンション手前の舗道を見下ろす。 「…嘘。 来ちゃったの?ちょっと待ってよ…」 シンジ君はそう言うと携帯を切った。 僕は、その一連のシーンを眺めながら、絶望の中で途方に暮れていた。 シンジ君にとって、僕は憧れの存在だった。 僕の異性への関心を気にされるくらいには、憧れられていると思っていた。 けれど、僕が眠っている君に覆い被さっていた事について、シンジ君は何の驚きも示さなかった。 瞬きに小さな恥じらいを込めたくらいだ。 僕はそれに今までに無い程の衝撃を受けた。 仮に同性だとしても、そんな事、驚かずに居られるだろうか。 疚しさのかけらも無いと思えるのだろうか。 だから僕はきっと、シンジ君にとっては全くもって、兄、なのだろう。 性的衝動を疑う事もしない、安全な存在なんだ。 君にとっての僕は、そんな、存在ーー 「…なんかね、トウジとケンスケがマンションの前まで来ちゃったんだ。 雨の動物園でもいいから行くんだって。 」 振り返る君は薄っすらと頬を染めていた。 そんな君に僕は何も言葉を紡げない。 苦しくて喉が締め付けられているようで、息すら出来ない。 「…ちょっと…行ってくるね。 」 「…ああ。 行っておいで。 」 どうにか絞り出してそれだけ君に告げて、僕は遠くの窓枠を見た。 そして雨垂れの丸い雫の動線を数えてみる。 ひとつ、ふたつーーそうしていないと僕の赤は表面張力でも耐えきれずに、音も無く雫を垂らしてしまいそうだった。 「…うん…ごめんね…」 ぱたりと静かにドアが閉まる音を聞いて、僕ははっと深く息を吸い込みながら瀕死の胸に手を当てた。 ぎゅっとシャツを握り締めると僕の頬を雨垂れが伝う。 そして徐に立ち上がっては部屋に佇むアップライトピアノを見つめた。 僕等はそこで同じ椅子に腰を掛けて、同じ鍵盤を弾いていた。 肩を並べて時折君と僕の小指と小指が触れ合うんだ。 その心地良い距離感。 僕の耳にはあの日の雨垂れが聴こえる。 そして仔犬の戯れる足音が。 それを笑う君の鈴の音のような軽やかな声。 遠い日の僕等の残像をこの赤い瞳は映していた。 そしてそれは触れようと手を伸ばすと瞬く間に消えてしまう。 行かないでほしい。 いつまでも、僕はーーー ーーーーー… だから僕はシーツに顔を埋めては君の残した匂いと温もりに溺れるんだ。 身体を捻って俯せになってそれに口付ける。 現実とは違う未来を描いてみる。 君のその唇に僕のを重ねて、目覚めた君が僕に想いを返してくれたのなら。 互いの熱を確かめ合って、互いに身体を掻き抱けたのなら。 ー僕は、君と、ふたりぼっちになりたかった… そして僕は君の居ない部屋で君を想いながら、シーツを濡らすのだった。 音も無い、雨垂れの、涙によって。 「…カヲル、君。 」 暫くしてドアの開くかちゃりとした音と同時に、シンジ君は戻ってきた。 僕は何故、と酷く混乱したが、こんな泣き濡れた情けない顔を君には見せられない。 だからそのまま寝たふりを決め込んだ。 「…寝ちゃったの?」 シンジ君の足音が近づいてきて、僕の心臓は早鐘を打つ。 どうしようか、そう寝たふりのまま焦っていると、シンジ君は僕の顔を覗き込んだ。 「…泣いてるの?」 「……君が、行ってしまって、寂しかったのさ…」 僕が降参して君に向き直ると、僕らの顔はとても近くにあった。 「…本当?」 「…君に嘘なんて、吐かないよ。 」 「じゃあ、カヲル君はなんで僕の寝てる時だけキスしようとするのさ。 」 僕は驚きの余りに眩暈がした。 心臓が潰れるくらいにしなってしまう。 「……起きてたのかい?」 「うん。 一回目はキスしてくれなかったから、また寝たふりをしたのに、今度は邪魔が入っちゃったね。 」 そう言うとシンジ君はくすりと笑った。 君はとても緊張しているのだろう。 頬を真っ赤にして困ったように笑いながら、指先が微かに震えている。 「…キスして良かったのかい?」 「…ねえ、僕の寝不足の訳を知ってる?」 「いや。 何かな?」 「カヲル君がいつか誰か僕の知らない人と付き合っちゃうんじゃないかって思うと、苦しくて眠れなかったんだ。 」 僕は呆気にとられて、濡れた睫毛を瞬かせた。 「まさか。 僕が好きなのは君だけだよ、シンジ君。 さっきも本当は、君の恋愛対象になれないと思うと辛くて泣いてたんだ。 」 「…やっぱりカヲル君は嘘吐きだね。 」 「…そうなるかな。 ごめん。 」 「じゃあ、僕から、お仕置き。 」 そう言ってシンジ君は僕に優しいキスをくれた。 覗き込むようにして唇をちゅっとくつけたんだ。 僕はその余りにも可愛いお仕置きが堪らなくて、君の背中に腕を伸ばして君をベッドの上に誘う。 そんな僕等の不埒な光景を、あの窓枠はずっと眺めていた。 雨垂れの前奏曲を奏でながら、そこで今日も仔犬は遊ぶんだ。 それは世界でふたりぼっちの僕等しか知らない、秘密の旋律。 「僕の、シンジ君…」 「ふふ。 僕の、カヲル君。

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